今日は、いつもに増して、濃い一日だった。
朝っぱらから、大家夫人の襲来だ。夫婦揃ってビジネスをしている彼女は、今日の昼の便でデリーへ発ち、2週間ほど不在となる。
アルヴィンドは明日から香港だし、わたしもいなくなるし、従っては今朝8時半、最終の打ち合わせとなった次第。家賃値上げに応じることになるだろうとはわかっており、わたしはもう、抵抗するのも面倒だったので、受け入れた上で「アパートメントの改善要求」をぶつけようと考えていた。
アルヴィンドもそれでしぶしぶ、納得していた。
弁護士を連れて、さすがに飛行機の時間があるからか、驚いたことに時間通りに到着した彼女。朝からボルテージが高い。
契約の話をし、値上げを受け入れ、こちらの要求を述べ、とりあえずは一段落したものの、すぐには退散せず、彼女は自分がいかに忙しいかを語り始める。更には、最近購入した不動産(アパートメント4物件)についての具体的な情報を披露する。
さっきまでは、「家賃を値上げしなきゃ、うちもやっていけない」などと困窮の表情だったが、どう考えてもじゃんじゃん利益を得ているとしか思えん。
昨今のバンガロールの不動産の値上がり率といったら、半端じゃない。不動産が買い時、との噂は5年ほど前から聞いていたが、半年、1年で、2倍もの価値になる物件もあり、驚かされるばかりだ。
大家夫人は単に吝嗇家というだけでなく、頭がいいのだと、感心させられた。いや、頭がいいのかどうかはしらんが、頭の回転が早いのは確かだ。たとえそれが脈絡なく、論理的でないにしても。
自分が所有しているアパートメントその他のディテール及び世間話を話し始めたらとまらないとまらない、それはまさに立て板に水。
1スクエアフィートがいくらで、部屋番号はこれこれで、値上がり率はこうで、一方こちらはこうでああで、でもあそこの不動産屋はこれだからそれで、あなたも興味があるなら紹介するわよこれ電話番号、部屋番号は****がいいわよ、覚えた? となりの棟はムスリムのへんな音楽が毎朝うるさいでしょ、ああ、あなた(弁護士に向かって)ムスリムね、気にしないで、それであそこは何年前に作られたけれどこうでああで、方角が風向きが、あのときのバイクの事故で使用人がアジア・コロンビアホスピタルに運ばれて、そう昨日行ったの? そうあの近くにもいい物件があって、あのあたりはよくなるわよ、そうそう事故は神のご加護で大事に至らずよかったけれど、このアパートメントもこのコンプレックスじゃ一番いいのよ、向きもなにもかも一番、だから高くて当然なのよなんだかんだなんだかんだ……。
……すっかりエネルギーを吸い取られてしまった。ぺらぺらになった気分だ。
エネルギーを奪われ切ったところで、スジャータとラグヴァン登場。ヨガの帰りに朝食を食べに来たのだ。いや、朝食を食べるのが目的ではなく、我々に会いに来るのが目的なのではあるが。
わたしはといえば、夕べは遅くまで原稿を書いていたこともあり、大家夫人が撤退した後はもう一寝入りしたいくらいだったが、そうもいかず、ともに食卓を囲む。
話は自ずと、アパートメントや不動産の話題に。
彼らは1年半ほど前、バンガロールに投資目的でアパートメントを購入している。まだ、そのプロジェクトが立ち上がってまもない頃で、現在もまだ建築中。実際に人が入居できるようになるまではあと2年ほどかかるらしい。が、すでに購入したときに比べ、価格は2倍になっているという。
わたしたちは、移住当初から、彼らに不動産への投資を勧められていたが、まだまだ気分的に落ち着かず、どこへ引っ越すかもわからない身の上だしで、面倒には手を出したくないと考えていた。
「財テク」とか、「資産運用」とかいうことに、我々は疎いのである。
アルヴィンドはといえば、ひたすら「マネー」な投資関係の仕事をして「数字まみれ」なわりに、自分たちのこととなるとかなり無頓着で、「なんとかしなきゃね」と言いながら、何年も過ごしている次第だ。
横道にそれるが、日本において「アパートメント」つまり、「アパート」というと、「あなたは〜もう〜忘れたかしら〜♪」の『神田川』的、木造モルタルの安アパートを連想される方がいるかもしれないが、それは間違っている。
日本の不動産用語、特に集合住宅などに於けるカタカナ英語の使用法は、恥ずかしいくらいに、間違っとる。
だいたい、「マンション」がたまらん。頼むから、その団地を「マンション」と呼ばんでって。
本来マンションとは、「大・邸・宅」を示す言葉である。
その大邸宅ぶりも半端ではなく、門から邸宅に至るまで、しばらく車を走らせ、さらに「車寄せ」に車を停め、ドアマンがドアを開けてくれたりして、玄関を開ければそこは吹き抜けで、そうそう、『風とともに去りぬ』に出てくる、豪奢な家。ああいう家を「マンション」と呼ぶのである。
それにしても、日本の不動産関係者は、どうしてあんなにも、不思議なほどにものすごい名前をつけたがるんだろう。シャトーだのパレスだのヴィラだのなんだの。ヴィラ。地中海を見下ろす丘の上の、白亜の邸宅?
これに関しては、わたしは東京時代から、恥ずかしかった。ギャグとしか思えん。
その点、わたしが東京時代に一時期住んでいたアパートメントは正直だった。「竹陣荘」。「荘」だもの。
なんで「竹陣」なのかはずっと謎だったが、あるとき大家さんが来たときにわかった。仕事の途中だったらしく、白いエプロンを着ていたのだが、胸に「そば処 竹陣」と刺繍が施してあったのだ。大家さん、そば屋だったのね。
そのあと、保戸田マンション、というところに引っ越したが、それは大家さんが「保戸田さん」だったから。ストレートでよいと思う。保毛田保毛男を彷彿とさせるその名前。わかる人には、わかっていただけよう。
無論、あれをマンションと呼ぶとは、日本全国アミューズメントパークのようだと、今になって思う。
インドも変な国だが、日本も相当に変な国だ。
そんな話はさておき、つまりアパートメント、といっても、欧米はもちろん、インドにおいても、「立派な集合住宅」なのである。
ああ、また今日も話が長い。
そんなわけで、アパートメントの話をしていたら、スジャータたちが、
「これからわたしたちが買った物件を見に行かない?」
と誘う。ビルディングはできていないものの、ショールームがあるらしいのだ。前述の通り、現在バンガロールのみならずインドの各地で、宅地造成が進んでおり、特に高級住宅地の新規開拓が目覚ましい。
新聞の不動産欄には、次々と新しいアパートメントコンプレックスの案内が見られる。2ベッドルーム3ベッドルームといった核家族を意識した間取りが主で、全体に古いアパートメントよりも間取りが狭い。
我が家は3ベッドルームながらもおよそ3000スクエアフィートと、かなり広い。特にリヴィンングルームが広いのが気に入っている。一方、最近の物件は、その3分の2、もしくは2分の1というのが主だ。
確かに、設備が新しく整っていて住み心地がよいのは魅力だが、わたしは近代的な建築よりも、コロニアル風の、味わいのある建物が好きなので、本当ならば古いバンガロー(邸宅)のようなものを改装し、アンティークな家具などを配して生活したいのである。
それはさておき、忙しいはずにも関わらず、アルヴィンドも「今、買うべきではなかろうか?」という思いが沸き上がったようで、早速、では見に行こうということになった。
慌ただしく身支度をし、車に乗り込む。車で我が家から約20分。スジャータたちの住むIIS(インド科学大学)のキャンパスにほど近い一画に辿り着いた。
現在、バンガロール界隈ではいくつもの宅地造成が進められているが、ここが最大規模だとのこと。
工事現場の傍らを過ぎ、オフィスへ。
インドの工事現場は、どこであれ、「それでいいのか?」というスローかつプリミティヴ(原始的)なムードが漂っているが、そして一抹の不安が過るが、その瞬間、いつも思うように努めている。
大丈夫。この国の人たちは、あの、タージマハルを作ったのだから。
コラマンガラに、フォーラムと呼ばれるショッピングモールがあるが、ここのモールはその2倍の規模だという。もちろん、映画館などが入ったエンターテインメント施設だ。
その隣には、5つ星のシェラトンホテルが建つ予定。そして9階建ての立体駐車場。昨日訪れたコロンビア・アジアホスピタルもできる。オフィスビルディングもある。おまけにインターナショナルスクールまで誕生する。中央には大きな人造湖が作られ、そこを境にして、アパートメントコンプレックスが立ち並ぶのである。
バンガロールの六本木ヒルズ?
確かに美しいが、でも、ニューヨークのデザイン会社が設計しただけあり、完璧に「モダン」だ。
わたしたちは、投資のために買うとしても、人に住まわせるのではなく、できれば自分たちが住みたいと思ってしまう。投資のため、と割り切れず、住むことを考えてみると、やはり高層ビルには、もう住みたくないと思う。
無論18階程度だから、マンハッタン時代の50階などに比べれば低いものだが、わたしは、自分が住んでいたアパートが火災にあったり、9/11を経験したことから、高層ビルには住みたくないのだ。
せめてはしご車が届く10階くらいまでにしておきたい。インドははしご車がなさそうだから、たたた〜っと駆け下りられる5階くらいがせいぜいだ。
間取り図を見る。4ベッドルームの一番広い部屋でも、わたしたちが今住んでいるアパートメントより狭い。ううむ。
最後にマネージメントオフィスに行き、担当者から説明を受ける。まだ、建物が出来上がっていないにもかかわらず、大半が売れていて、しかし4ベッドルームはまだいくつかの空きがある。
担当者曰く、欧米に在住のNRI (Non Resident Indian: インドに住んでいないインド人)が投資目的で購入するケースが非常に多いとのこと。信頼のおける不動産会社であれば、「遠隔操作」もつつがないようだ。
特にこの物件に関しては、リサーチに入念なスジャータとラグヴァンが勧めているくらいだから、リスクは低いはずだ。
考える時期なのかもしれん。という気持ちにさせられた。しかし、何かがひっかかる。便利で美しいところの方が、生活はしやすいに決まっている。
でも、それを望むのだったら、インドに来ず、米国にいればよかったのだ。インドで、欧米先進国的な快適な暮らしをするのは、確かに理想かもしれないが、一方で、「土地の匂い」がするところに、住んでいたいとも思う。
しかし、古い家を買って改築、もしくは新築するなどとなると、経済的にも、精神的にも、アパートメントを買うよりずっと負担が大きいこともわかっている。
そうやって、あれこれ考えているうちに、遊牧民気質におされて、何もしないまま月日が流れるのだろうか。どうなるんだろうか。
帰りに、スジャータたちの家に寄り、しばらく、アルヴィンドが感想を述べる。聞きながら、どうしたものかな〜と、思いめぐらす。
帰りしな、ぐちゃぐちゃな地元繁華街にある、地元の食堂に寄り、ランチを食べることにする。ドサを食べる。パイナップルジュースを飲む。近代的なショッピングモールもいいけれど、わたしはこの、ぐちゃぐちゃのインドも好きなのだな……と、思う。
そうこうしているうちに、病院へ検査結果を受けに行く時間。家へ戻る時間もなく、病院へ直行。
検査結果は案の定、アルヴィンドのコレステロール値はわたしのそれの2倍近くもあり、やっぱり薬は飲まなきゃね、ということになった。おまけに少々、彼は高血圧気味。
高血圧、高コレステロール。福岡の母と、まったく同じ。やっぱ、血は争えんね。
っていうか、繋がってないって、血。
わたしは婦人科検診が残っているものの、それ以外は健康。これも予想していた通りであった。
最後に薬局でコレステロールの薬を受け取る。
米国時代はリピトール1錠50mgだの100mgだの、とてつもないボリュームを飲むよう勧められていたが、今回は、数値が相当高いにも関わらず、10mgからはじめて10日後にチェックアップ、という緩やかな治療を提案してくれたのが、とてもよかった。
今日、治療結果をもとにアドヴァイスをしてくれたドクターも、やはり女性だった。インドでは、優秀な女性の進出が目覚ましいということも、実感する「健康診断体験」である。
コレステロール値を下げる薬は、リピトールと同じ成分の別の薬であったが、これがまた、リピトールの1割という格安ぶり。薬のブラックマーケットが存在することを予想させる、それは安さである。
さて、明日こそは、残りの原稿を仕上げて、次なるムンバイ出張に向けて、準備をはじめなければ。