■仕事のこと
ブログも滞りがちの昨今。相変わらずデスクワークの日々である。なのに昨日は日記が消えたりして、30分ほどの喪失が痛かった。
仕事に関してちょっとだけ説明すると、パワーポイントというプレゼンテーション用のソフトで、資料を作っている。これは非常に「はまる」仕事である。
凝ったデザインは要されないのだが、見やすいデザインを考えるとき、やはり配慮が必要である。写真の位置や文字の場所、全体のレイアウトを考えるうちに、資料作りとは別の部分で時間を費やす。
しかし、これが編集者であるわたしにとっては、楽しい仕事であったりもする。と思う。
その資料を、1つ2つではなく、結構たっぷりと作らねばならず、従っては月初の日本より復帰以来、デスクワークが続いているのである。
この仕事は、表には出ないが、ささやかながら、日印の架け橋となるはずの仕事である。割り箸程度の「橋」かもしれんが、確実に、「橋」である。
ひょっとするとゴールデンゲートブリッジ級になるかもしれん。
急に話が大きいかもしれん。
■クリスマスツリーのこと
昨日は、ランチのあと、コマーシャルストリート&サフィナプラザへ行き、クリスマスツリーを買った。どちらにもクリスマスツリーが出ているというので、比較するべく訪れてみた。結果、オーナメントの一部をコマーシャルストリートで、ツリー本体をサフィナプラザで買った。
すでに購入のタイミングが遅く、オーナメントは「売り切れがち」であったが、それなりにシンプルながら、きれいなツリーを作ることができた。
ちなみに全長7フィート。8フィートというのもあったが、これで十分のサイズだった。想像していたより枝振りのよい、いい木である。
米国時代のクリスマスシーズンを思い出しながら、飾り付ける。どこか、別世界のことのようである。実際、別世界である。
[参考写真:2000年冬、ロックフェラーセンターのクリスマス]
12月のマンハッタンは、一年のうちで一番、街が美しい季節。寒くても、歩くのが楽しかった。
頬を刺すような冷たい風を受けながら、ぐんぐんと歩いた日々が懐かしい。
毎年、どこかの森の中から選ばれた1本が、はるばるマンハッタンまでやって来て、飾り付けられ、大勢の人々に見つめられる。
その年、その年によって、大きさや枝振りが、ちょっと異なるのも味わい深い。
さて、帰宅したアルヴィンド、ツリーを見て、「きれい!」と感嘆。そのあと、
「ねえ、これどれくらい持つの?」
「……?」
「だから、このツリー、何日くらい、持つの?」
「何日って……、何年も、持つでしょ?」
「……?」
どうやらハニー。「生の木」と勘違いしていたようである。なにしろアメリカ生活長いからね。でも、ここは南インドだからね。米国では、クリスマスシーズンになると、「生の木」が街角で売られるのである。無論、一度も買ったことはないのだが。
ちなみにバンガロールでもナーセリーなどに行けば「生の木」が買えるようだが、枝振りなどが今ひとつらしい。わかる気はする。
[参考写真:(左)2001年のクリスマスシーズン。マンハッタンのブロードウェイにて。(右)2003年の冬。ワシントンDCのウィスコンシンアヴェニューにて]
■ユニークな顔合わせでランチ
そして今日は、イタリアンのSUNNY'Sでランチ。メンバーは、義姉スジャータ、スジャータの恩師チャンドラ女史、日本料理店「播磨」のジュンコさん、そしてわたしの4人だ。
ことの起こりは先日の、ジュンコさんからの電話。彼女の親しい友人(男性)の双子の兄弟(女性)がシンガポールから遊びに来ていて、話をしていたところ、わたしの名前が出たと言う。
聞けば、彼女、つまりチャンドラ女史はアルヴィンドやスジャータがデリーでの小学生時代の恩師だとのこと。スジャータはスジャータで彼女と連絡を取り合っていたらしいが、せっかくだから4人で会おうということになった次第。
明るい日差しが差し込むダイニングで、ピザやパスタ、魚のグリルを食べながら、心地のよいひととき。バンガロールに30年以上も前から暮らしているジュンコさんの話は、非常に興味深い。
ジュンコさんもまた、米国でインド人男性と出会い結婚し、インドに渡られた。ご主人はすでに他界されているが、二人のお子さんがいる。
当時の国際結婚も、インド移住も、今から思えば想像もつかないほど大変なことであったろう。
もっといろいろとお聞きしたいところではあったが、そういうわけにもいかず。また別の機会にお会いしたいものである。
■バンガロールクラブで日本からのご家族と
SUNNY'Sを一足先に出て、今度は間近にあるバンガロールクラブへ。日本からいらしたメグミさんとその家族とに、ちょっとお会いすることになっていたのだ。
メグミさんはインターネットで検索中にわたしのホームページを知り、ブログを知り、『街の灯』も読んでくださり、とてもご丁寧なメールをくださっていた。
ご主人のサチさんはインド人と日本人のミックスで、義理のお兄さんはニューヨークに住んでいらっしゃるなど、わたしのホームページとご自身の背景に重なるところも少なくないようで、メールには自己紹介も兼ねて、わたしの文章の感想なども書いてあった。
今回、ご主人の亡父の故郷であるバンガロール、それからデリーに家族でいらっしゃるということで、ご連絡をいただいた。
「お忙しそうだから……」
と、気を遣ってくださっていたが、わたしもちょっとだけでもご挨拶したいと思い、ご家族が滞在していらっしゃるバンガロールクラブに向かった次第。
サチさんのお母様(日本人)は、戦後間もなく日本に訪れていたお父様(インド人)と知り合い、ご結婚なさったという。
ジュンコさんの時代よりも更に大きく遡る。今から60年前である。長男は日本で、次男(サチさん)はインドのプネーでお生まれになり、その後、日本に移られたとか。
日本からインドへ、一足先に帰国した夫を頼りに、船で向かう……。どんなにか大変なことだったろうと、偲ばれる。
お茶だけでも、と思っていたが、お話をするのも、お聞きするのも楽しく、瞬く間に時間が過ぎてしまった。我が好物の「おかき」やアルヴィンドの好きな「チョコレート」など、あれこれとお土産もいただき、うれしい。
また、いつかどこかでお目にかかれればと思う。