大晦日である。
2006年もまた、濃い一年であった。今日の午後、このブログの過去記事一覧を更新するとともに1年をざっと振り返ってみた。
2005年の終わりにインドへ移住して1年と少し。多くの旅をして、多くの出会いがあった。水面下の波乱は尽きないが、それでも、少しずつ、少しずつ、実りのある"LIFE"であるような気がする。
LIFE。人生であり、暮らしであり、命であり。
……一年の終わりに際し、少し内省的な文章を書こうと思っていたのだが、しんみりとした気分のない大晦日である。
年明けは2日よりムンバイ、そしてデリー、ニームラナ……と小さな旅をして、8日の午後にバンガロールに戻る予定。ブログはしばし滞ることとなるが、戻り次第、再開したい。
さて、大晦日の本日。夕食はバンガロールクラブに近いSUNNY'Sに予約を入れておいた。
インド産スパークリングワイン、SULAのBrut(ドライ)で乾杯する。
グラスの底に、女性には赤いチェリー、男性にはグリーンでシュガーコーティングされたチェリーが沈んでいる。なんだかインドらしい。
店内は風船のデコレーションが賑やか。まだクリスマスツリーもそこにある。
今日は、ニューイヤーズ・イヴのスペシャルメニュー。アルギュラ (arugula) のサラダ、パルミジャーノチーズ添えと、ロブスター&サーモンの寿司ロールが前菜。
ほんのり苦みのあるアルギュラの葉は、米国時代から好きなサラダ菜で、よくサラダに入れていた。ちなみに日本ではルッコラと呼ばれているらしい。インドで食べられるとはうれしい。
主菜はビーフのマッシュルームソースがけに、シーバスのパイ包み焼き。いずれも、スペシャルメニュー故、「今日初めてチャレンジ」らしく、厨房はてんやわんやの様子で、なかなか料理がテーブルに届かない。
相当に時間がかかって、友人夫妻との待ち合わせが迫って来て催促をせねばならなかったが、料理がおいしかったので、満足である。
この店のオーナーシェフのことは幾度か書いたが、改めて書けば、彼はかつてマンハッタンに住んでいた、初老のインド人男性である。見るからに、そして実際にゲイで、パートナーとともに、店を切り盛りしているようだ。
彼の存在はバンガロールのレストラン業界ではかなり印象が強い。なにしろバンガロールにはこのようなレストランが少ないので。
彼を知る人の評判は、個性的ゆえか大きく二極化されるのだが、わたしは早朝のラッセルマーケットで彼と遭遇して以来、食に対する彼の真剣味が伝わって、好意的なのである。
ラムチョップも質のいい物を仕入れているし、魚も毎日、バンガロールにしては新鮮な物を使っていると思う。パルミジャーノチーズもインドにしてはおいしいし、それに今日のアリギュラだって。
彼がテーブルに何度かやって来てくれたので、料理のことを尋ねる。
忙しそうながらも、ビーフの調理法や、インド素材をアレンジするポイントなどを、ちょこちょこと説明してくれる。
「アリギュラは、どこか特別な場所で育てているんですか? きっと秘密なんでしょうけれど」
と尋ねたら、にっこりと笑って、
「その通り。あの野菜は、とある農家で、特別に作ってもらっているから、マーケットでは手に入らないんだよ」
とのこと。
食生活も、この数年で劇的に変化しているインド。欧米は言わずもがな、日本料理さえ流入し、その素材や調味料の確保がどれほどたいへんだろう。
前菜の寿司ロールは、あいにく握りが甘くてご飯がぽろぽろとこぼれ落ち、決していいできとは言えなかったが、しかしニューヨークの寿司がこの十数年の間で劇的においしくなったように、インドの寿司も、きっとあと何年かのうちに変化することだろう。
さて、食事を終えて9時過ぎ、日本人カップル2組と合流し、バンガロールクラブへ。
屋外の会場はすでに音楽が鳴り響き盛り上がっている様子だったが、取りあえず我々はバーへ。
夜は長い。しばらくはここでおしゃべりをして、それから会場に赴くことにした。
彼らは日本のNHK放送が入るケーブルに加入しているお宅で、紅白歌合戦を見て来たとのこと。
日本の芸能人の話などを聞くが、アルヴィンドはもちろん、わたしもよくわからない。思えば紅白歌合戦を最後に見たのは、十年以上も前のことである。
最早、前世の話のようである。
誰?
マイハニーに至っては、
「アィヤィヤィ? 誰それ?」
と、最早、日本の人名じゃないし。
さて、1時間ほども過ぎた頃、いよいよ会場へ。
殿方はシルクハットもどきを、そしてご婦人はスカーフを受け取り会場へ。
きらびやかなイルミネーションに彩られた会場は、テーブル席で飲み、食べる人、ステージ間際で踊る人……。
大勢の人たちでごった返している。否が応にもお祭り気分が盛り上がる。
メインイヴェントに突入する前に、すでに「出来上がってる」感じの男衆。支給された帽子が、なんと似合わないことかマイハニー。それは、「麦わら帽子」な被り方だよ。
若い世代から年配まで、ダンスフロアは垣根のない顔ぶれである。最も若い世代は、スタイル抜群露出度満点なファッションで、身体をくねらせ踊っている。
ちなみに右上、左下の二人はステージ上のダンサーね。
母親世代(つまり、わたし世代……?)は、派手なサルワールカミーズ、もしくは派手なインド的洋装。年配女性はサリーと、世代別衣装の傾向が分かれているのも興味深い。
わたしたちは、ひとまず席を確保したものの、ほどなくして盛り上がりの渦、ダンスフロアへ。焚かれているスモークが、バンガロールではおなじみのペストコントロール(殺虫)の薬剤噴霧を思わせるところが悲しい哉。
火を巧みに操る大道芸のお兄さん。見覚えがある! と記憶を辿れば、3年前の冬、ゴアを訪れたときに、ホテルのナイトショーに出演していたナイトショーに出演していたお兄さんだった(最下部に写真あり)。お懐かしい! お元気そうでなによりだ。
やがて2006年の終わりを告げるカウントダウン、そして2007年を祝福する歓声。
大勢のカップルや家族や仲間たちが、いっぱいの笑顔で新年の到来を祝福する。
年が明けても踊りは続く。ボリウッドダンスのクラスで聞き慣れたメロディーも流れ出し、そしてそれは、インドの人々にとっては「ヒット曲」であるらしく、老いも若きもノリノリで、ときに声を揃えて歌い踊り……。
インドには、洋楽だけでなく、こうしてみなが盛り上がりながら踊れるという、「自国独特の音楽」があるのは、本当にすばらしいと思う。
しばし、ボリウッドのダンスミュージックが続き、アルヴィンドの大好きなABBAも流れ(インド人、ABBA大好き)、友人カップルらもそれぞれに、ときに休憩を挟みつつ、深夜にサンドイッチやポテトチップを食べたりもして、そろそろお開きにしようかと言いつつも、
「これ、わたしの好きな曲!」
とかなんとか言いながら、立ち上がってはまた踊り、じゃ、僕たちももう一度踊ろうよとまた席を立ち、結局は2時過ぎまで踊っていた。
バンガロールクラブ。義父ロメイシュのお陰で家族メンバーになることができ、異国の者としては参加する機会がなかなか得られない場に、こうして身を置き、色々な人たちの様子を見られることはまた、とてもいい経験である。
特に、インドの劇的な経済成長と西洋化に伴う文化の変貌ぶりを、若い世代のファッションや顔つきや、物腰に見いだしながら、この国の5年後、10年後に思いを馳せる。
先だってのムンバイ出張で、わたしは多くのインド人家族の話を聞く機会があった。彼らは一様に、ソーシャルライフを重んじていたし、インドならではの家族の繋がりを大切に思っていた。
それは、わたしがインドに暮らし始めて実感していたことと、同じである。
ここに来て、ソーシャルライフの重要性や、家族の結びつきを大切に思い始めていたことは、折に触れ、この場にも記して来たことだ。このようなインドならではの社会の有様が、これからどう変化して行くのだろう。
わたしたちは今、めまぐるしく価値観が変わっているこの国の、うねりのなかにあることを、実感した。
数千人のインドの人々と、踊りながら。年を越しながら。
バンガロール・キャンディーズ、2007年も健在である。
殿方は、疲労困憊の様子である。
このブログをお読みの皆様にとっても、2007年がよき年となりますよう。
HAPPY NEW YEAR!