ざわざわと、風受ける木枝のうなり。
ぐわんぐわんと、しなる枝葉の揺らぎ。
掃いたばかりの庭に、
三日月みたいなかたちの木の葉が、
はらはら、はらはら、舞い落ちる。
ゆたかに水を含んだ灰色の雲が、
まもなく、真上に届く。
乾いた土に、雨が降る。
乾いた緑に、雨が降る。
真夏の午後の、灼熱は幻。
冷たくなった風が、
ひゅるひゅると吹き抜ける。
ごくごくと飲み干すように、
大地は雨を受け止めて、
緑はしずくを迸らせて、
たちまち強く、蘇る。
ヒトのわたしも、蘇る。
アルヴィンドは今朝からハイダラバード出張。先日モスクでテロがあって、十数名が殺されたばかりのハイダラバードだ。もう、世界中、そんなことばっかりだ。
で、ロメイシュ&ウマも、今日の午後、スジャータ宅へ3泊4日の「お泊まり」に出かけた。
しかるに現在。午後6時半。書きかけの原稿もそのままに、赤ワインを開け、オリーヴやチーズをつまみつつ、一人至福のひととき。
うおぉぉぉぉぉ〜〜〜〜!
と叫び、小躍りしたくなるほど、せいせいした気分だ。実際、小躍った。
ん?
ついこの間、「義理両親が1カ月くらい滞在したって平気」みたいな余裕をかましていたのは誰なんだ。書くんじゃなかったな、あんなこと。撤回だ。つくづくわたしは、「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」タイプのようだ。
やっぱりね〜。いくら理解のあるいい義理両親だからって、朝から晩まで一緒じゃ、たいへんというものである。なにしろ幼少のみぎりより「協調性のない独立独行なわたし」である。うっかり本性が出てしまうのである。鬼嫁と化すのである。
友人らから、「ミホさんはラッキーよね。いいご家族に恵まれて」などと言われると、そうだわ。わたしってラッキーだわ、と思っていたのだが、しばらくたつと、もう一人のいけないわたしが登場し、わたしを支配する。
ラッキーなのは、むしろ義理両親、特に言えばロメイシュの方ではないのか? いやがるアルヴィンドを説き伏せて、はるばる先進国アメリカから第三世界な発展途上国インドまで移住するきっかけを作ったのは、わたしだ。
こうして父子が国内で気軽に会えるのも、わたしの米国における「ポリス沙汰」になるほどの努力があってこそじゃないか。すばらしい嫁じゃあないか。
もうひとりのわたしは、そんな恩着せがましいことを考えてしまうのである。さすがに、口には出さんけどね。
そりゃそうと、義理家族との一時同居を巡って、あれこれと笑える話がたいそうあるのだが、仕事優先につき、書き留める暇なく忘却されていくのが惜しい。
ところで、引っ越し前後の1カ月ほどをのぞいての一年あまり、三食昼寝付きで平均実働時間は3〜4時間程度の優雅使用人ライフを送っていたモハン。
義理両親がいる今このときこそが、彼の存在価値をアピールできるがんばりどきなのに、1カ月の休暇に出ている。タイミングが悪すぎる。無論、彼のせいではないのだが、それにしたって、だ。
使用人事情を筆頭に、あれこれが、思い通りにいかん。なにもかもが、いかん。それがインド生活だ。わかっちゃいるけど、相変わらず「壁に激突しては流血!」な日々である。
なにしろ来たくて来てるからね。おちおち弱音を吐けんのが辛いところ。
救いは4代目ドライヴァーのラヴィがいい感じで信頼できること。加えてドビー(アイロンかけ屋)のクリシュナが毎朝きちんと「お届け&受け取り」に来てくれること。しかも格安! 「大きいもの一つ3ルピー(10円くらい)、小さいもの1つ1ルピー(3円くらい)」という大雑把な値段設定がいい。
しかもクリシュナは英語が話せる! でも、洗濯物の受け渡しに、英語はほとんど必要ないところが惜しい!
ともあれ、家事の中でアイロンかけが一番嫌いなわたしとしては、木綿製品が多くアイロン不可欠なインドライフにおいて、毎日きちんとアイロンされた衣類が確実に届けられるだけで、幸せである。
いや、幸せがっている場合ではないのである。
せっかく「いい感じ!」と喜んでいた新人シャンティの登場だが、彼女が午前中通っているクライアントと我が家の距離があまりにも遠すぎて、通勤が困難だから辞めさせた欲しいといわれたのだ。
バスの乗り換えを含めると片道2時間以上もかかるという。なんでも昼時はバスの本数が少なく、炎天下のバス停で、次のバスを1時間ほども待たねばならないとのこと。仕事をするよりもその方が辛いのだとか。
「マダムのところで、わたしも働きたいのですが、あまりにも疲れてしまい、体調がすぐれないのです」
そう言われると、返す言葉がない。電話でその旨を告げられ、がっかりの極地な心境であった。が、
「わたしの義理の妹をかわりに送ります。英語は少しだけ、しゃべります」
とのこと。期待はせん。期待はせんぞ。と思いつつも、
「じゃあ、明日一緒に来て」
とだけ告げた。
どっと、疲労感。
使用人モハンとの間で何が起こったかの詳細を、やはり書く気にはならない。ともあれ、彼をここに同居させるのはもうどうしても嫌なのだが、彼を解雇できない理由はいくつかある。
アルヴィンドがひょっとするとムンバイ単身赴任になる可能性があり(いつになるのかは未定だが)、そのときには彼を連れて行くのがいいだろう、ということがひとつ。
信頼が置ける新しい使用人が見つかっていないことがひとつ。
スジャータやラグヴァンは、モハンを気に入っていて、彼を使いたいが使用人部屋がないため引き取れないという微妙な状況であることがひとつ。
ほかにも、あれこれあれこれ、ややこしい問題があって、面倒くさいこと極まりない。
従っては、「家事は自分でやる方が楽!」な気分だ。
実際、ここ数日、自分でやってみて、もうこれでいいかも、とすら思う。そもそもインド人の富裕層マダムは自分で家事ができない人が大半だから、使用人に頼らざるを得ないが、日本人であるわたしは、自分で出来るのだ。
なにしろ、インドのマーサ・スチュワートだ。どんな使用人よりも、家事はうまいし、早くこなせるのだ。もう、謙虚さのかけらもないのだ。でも、言いたいのだ。でも、言ってしまうと、
「じゃ、自分でやれよ」
という話になるのよね。そこのところがまた、微妙なのよインドじゃ。何が微妙なんだか、よく説明もつかんくらいに。使用人を一切排除するわけにも、いかんのよ。
この件に関しては、いつまで住むのか見当もつかぬが、インドに住む限りは一生つきまとう問題である。たいへんなもんだ。が、その分、いいこともたいそうある。だから、ひとつひとつ辛抱強く、処理して行くしかない。
明日は、アーユルヴェーダのマッサージに来てもらう。
そうなのだ。インドならではの醍醐味は、たくさんある。
アーユルヴェーダを筆頭に、道を歩けば面白い光景が続出だし、マンゴーはおいしいし、ショッピングは楽しいし、スパは安いし、カーミットはかわいいし、いろいろな人にたくさん出会えるし、仕事のネタは尽きないし。
そして何より、決して退屈することがない!
自分から求めなくても、刺激的な出来事が、どんどん飛び込んでくる!
もう、いやっちゅうほど、飛び込んでくる!
そんなわけで、空元気な様子がうかがえなくもないが、明日もがんばろうと思う。
(※若干酩酊中につき、文章の著しい乱れをお許しください)