今、束の間の平穏、5月15日火曜日午前11時。ここ数日はブログを書く余裕もなく、どたばたと時間が流れていた。
ロメイシュ&ウマが来ている。が、実はいつまで泊まるのだか、わたしはまだ知らない。彼らは6月20日ごろ、トルコ、スイス、そしてギリシャの旅に出ることは決まっている。だから、それまでには帰るには違いない。
つまり、どんなに長くても1カ月。
……1カ月は大した長さじゃない。インド的に言えばむしろ短いくらいだ。などと、余裕を見せられるのも、幾度も記して来た通り、それはマルハン家の面々が、インドにありがちな封建的、強制的な人々ではないからだ。
これまで数多くのインド家族の実態に触れるにつけ、わたしは「自分が恵まれている」と書いて来たが、その思いを今回も強くしている。
「いつまでいるのかしら〜?」
などと思ってはいるけれど、でも、長くいてくれても構わないわよ、と思えるのは、ひとえに義理両親の柔軟さである。彼らはわたしに何も要求しないし、わたしが作る醤油風味の日本食にも文句は言わないし、こっちの予定を尊重してくれるし、本当に自由にさせてくれる。
無論、米国在住時代に1カ月滞在されたときには、気を失いそうになっていたけれど。今や昔。わたしも大人になったようだ。
ロメイシュは、先ほどアルヴィンドに勧められて、朝っぱらから庭でビールを飲んだり、夕べはウマと二人でバドミントンをしたり、散歩に出かけたり、本を読んだり、連続ドラマやDVDを観たりと、楽しそうである。
今日はこれから、スジャータもやってくる。ラグヴァンが出張中なので、うちに泊まるそうだ。ダイニングルームの例のロフト(秘密の部屋)に寝るらしい。
で、今夜は彼女が夕飯を作ってくれるらしい。楽しみだ。
ところで、家政夫モハンは昨日の午後、1カ月の里帰りの旅に出た。
彼が出かけたあと、使用人部屋をチェックしたら、大変なことになっていた。本気で気を失いそうになった。具体的に書きたいところだが、なんだか書けないのである。ともかく、ダメージを受けっぱなしである。
彼の件でここ数日、数回の家族会議が持たれた。なにしろ、マルハン実家に30年近く仕えている「執事的」なティージビールの従兄弟だということで、信頼のもとに我が家へやって来た彼。
最初の数カ月は、インド人使用人にしてはとても優秀だと思っていた。無論、ある側面においては、今でもとても優秀な彼である。ただ、要求の尺度が一般的インド人と異なる日本人のもとで働き始めたことは、そして片付けや清潔度に厳しいわたしのもとで働いていることは、彼にとってもきついに違いない。
とはいえ、一日の実働時間は3時間程度なのだから、ちょっとは努力してほしいと願い続けていた。が、どうにも、だめなのだ。あるラインから上の仕事を、どうにもできないのである。これはもはや、言葉の問題ではない。
彼は、「質より量」の仕事をこなして来た。故に、粗い。わたしは「量より質」を望んでいる。基本的に、我が家は二人家族だから、仕事の量などたかがしれている。
あれこれと、見逃しがたい事件が次々に勃発し続けたこの1年。やばいな、と思い始めた頃から、彼の存在価値を高めるために、クッキングクラスなどを企画した。わたしなりに、前向きな作戦を考えて来たつもりである。結果、日本人マダムたちに喜んでいただいたし、再開を望んでくださる方も少なくない。
わたしも、クッキングクラスを再開したいのはやまやまだ。が、いろいろと、あるのである。
お願い、もう、わたしをひとりにして。と何度思ったことか。でも、そうもいかないのが、インドのマダム生活。贅沢な悩みである。わかっているから、具体的なことを書きたくないのである。
十分書いているじゃないか、と思われそうだが、こんな程度は、ほとんど書いていないに等しいのだ。
それにしても本当に、人を雇うことの大変さを実感している。特に、インドでは。
ところで、やはり何度か記した通り、ウマもまた、使用人を常駐させるのを好まない。だから、デリー実家の自分たちが住んでいる4階のフロアは、すべてウマが掃除洗濯をしている。
「自分で家事をやらないと、じっとしているばかりじゃ身体に悪いしね。」
「人にあれこれ触られるのは、いやだし」
「仕事のできない人に任せるより、自分でやったほうがいい」
と、非常にはっきりとした姿勢を持っているのである。
これまで2階にはダディマが暮らしていたから、そこには数名の使用人がいたけれど、ダディマ亡き今は、2、3人が解雇されている。
そんなウマなので、我が家に来ても、茶碗の上げ下げや洗い物なども、率先してやってくれる。「アルヴィンドの実の母ではない」というところで、わたしとしてもさほど気を遣うことなく、友人のような関係の、お互いに「気楽さ」がある。
二人して、アルヴィンドとロメイシュ共通の「弱点」(悪口)を語って盛り上がれるし。相手が実母だと、こうはいかない。
ところで夕べの食後などは、みなで和気あいあいと食卓の準備をし、食事を楽しみ、茶碗を下げるなど、使用人なしでも平和なときを過ごしたのだった。驚いたことには、「アルヴィンドが茶碗を洗った」のだ。しかも「率先して」である。
どこか、頭の調子が悪くなったんじゃないかと思った。無論、毎日やるとは思えんが。
新人シャンティは一日数時間の出勤なので、主には「掃除」をしてもらう。洗濯は、先ほど我みずから行い、外に干した。米国時代は乾燥機生活だったから、干す習慣は十数年ぶりだ。新鮮だ。なかなかにいい運動である。やっぱり洗濯くらいは自分でせんとね。
アイロンかけは嫌いなので、アパートメントのコンプレックスで働いているドビー(洗濯・アイロン屋)に頼む。あと、庭掃除も、数十ルピー払えば、アパートメント専属の掃除人が来てくれる。庭師は毎週一度、剪定その他を行いに来てくれる。
マネージメントさえうまくやれば、なんとか快適に生活できるはずだと念じつつ、ユニークな「共同生活」を行っているところだ。
●引っ越しのプージャーをやった。
引っ越し後、一カ月半が過ぎてようやく、引っ越しのプージャー(儀礼)を執り行うこととなった。マルハン家、ヴァラダラジャン家は、「一応」ヒンドゥー教に帰依しているが、アルヴィンドはもちろんのこと、義理両親、義姉夫妻は牛肉を平気で食べる「敬虔ではない信者」だ。
従っては、プージャーそのものも、軽く縁起担ぎ的にやればいいかな、という程度で、さほど真剣ではない。ファミリーフレンドに紹介された祭司に連絡を取り、30分ほどのショートヴァージョンなプージャーをしてもらうことになった。
プージャーを執り行うのに際して、あらかじめ準備しておくべきリストを、アルヴィンドが祭司から電話で聞き、リストを渡してくれた。以下がその内容だ。
- Haldi (turmeric)
- Sindoor (kumkum)
- Agrabati
- Karpoor
- Pan
- Supari (betal leaves, nut)
- Jasmine flowers
- Four coconuts
- Ganesha statue or picture
- Milk to boil (1liter)
- Curd
- Honey
- Fruits (banana, orange, e.t.c.)
- Vessel for boiling milk (pregerably new, otherwise old is okay)
ターメリックやジャスミンの花、ココナツ、フルーツ、ヨーグルトにハチミツ、ガネーシャの像もしくは絵、牛乳、牛乳をわかす鍋などはわかるが、それ以外の不明なものについては、アルヴィンドからモハンにヒンディー語で説明してもらい、買って来てもらった。
その他、米、線香、額に付ける赤いビンディー、バラの花、灯火にのための油なども準備する。
それぞれの「素材」に意味があり、儀式の流れに大切なものらしい。プージャーの締めくくりとなる重要な部分は「台所で牛乳を沸騰させる」行為。このための鍋は新しい方がよいということなので、先日、ラッセルマーケットの台所用品店で調達したのだった。
さて、1時から開催のパーティー準備でキッチン界隈がてんやわんやの朝。
11時半という約束よりもはやく、祭司がやってきた。
バイクに乗って来たらしく、ヘルメットを携えている。
玄関先で、法衣に着替え、「それらしい風情」に早変わり。
祭司は東向きで床に座り、素材を配している。準備が整った段階で、
「写真を撮ってもいいですか?」
と尋ねたら、
「もうちょっと後で」
と言われたので、あら、不謹慎だったかしらん、とちょっと反省したら、わたしが花びらをガネーシャ像(象の頭を持った神様)に撒き散らすタイミングで、スジャータに向かい、
と指示が入った。
すてき。
この若いお兄ちゃんな祭司、しかしヒンディー語だかサンスクリット語だかの、一つ一つの儀礼を終えるたびに、「心得」のようなことを英語で説明してくれる。
「きれいな精神は、きれいな食生活から」とか、
「両親を敬うことが大切」とか、
あくまでも道徳的なことであるが、なんとなく、しんみりとありがたく聞く。
30分ほどの儀礼が終わった後、締めくくりの「牛乳沸かし」である。
思い返せば1年半前。インド移住直後に住まいを決定した先で、大家のチャヤ夫人から誘いを受け、プージャーをしたのだった。わずか1年半後に、自分たちの家を持ち、自分たちのプージャーをすることになろうとは、予想していなかった。
上の写真は、パーティ準備で立て込んでいるキッチンにて、牛乳を沸かしているところ。手前のバナナには線香が突き刺さっていて「スタンド代わり」となっている。
無事、プージャーを終えた直後、パーティのゲストが訪れ始めたのだった。
●ハウスウォーミング・パーティを開いた。
新居で行う初めてのパーティ。料理はモハン北インドとシャンティ南インドのコラボレーション故、それなりにチームワークが必要だ。
しかし、シャンティはヒンディーがほとんどしゃべれず、昨日の食材購入の打ち合わせでも、モハンとの会話が成り立たず、相変わらず3人そろってゼスチャーやらなんやらで、実に労の多いひとときであった。
買い物のあとの食材確認時もトラブルが多発。
「わたしはコリアンダーリーフと言ったのに!」(シャンティ)
「いや、ぼくは聞いてない。確かにコリアンダーパウダーと言われた!」(モハン)
「チャナ豆はわたしが質のいいものを買ってくるといったでしょ?」(マダム)
「頼んでたカルダモンはどこ?」(シャンティ)
といった会話を忙しい最中に繰り返してもう、ええい、もう一回買い物リストをすべて確認して買い物やり直し! みたいなことを2度も行ったのだった。
どうにも二人のチームワークが未熟だし、キッチンの準備で手一杯で、パーティーの途中のグラスや皿の上げ下げや、料理の準備などをする余裕がなさそうだったので、急遽ドライヴァーのラヴィをスカウト。
かつて彼が「ぼく、以前レストランで働いていたんです。すごくハードワークでした」
といっていたことを思い出したのだ。
ちょっとお小遣いを弾むから、手伝ってくれと頼んだのだった。
写真左端の仏頂面な男がそれだ。普段は笑顔がなかなかに好感度高いのだが、突然スジャータにカメラを向けられ、表情作りに戸惑ったのかもしれない。
最初は台所仕事に気が進まない様子だったが、しばらくしてキッチンに入ったら、ラヴィが包丁片手に「タンタンタンタン」と、リズミカルにキュウリを薄切りしていたので驚いた。やるじゃん。
そんなこんなで、1時にはすでに招待していたご近所さん(4世帯)が続々と登場。インドの人々は時間に遅れる、というのが通例だが、ご近所さんは海外在住経験のある人も多いせいか、典型的なインドの人々とは趣が異なる。
以前、我が家の上の階の人々のバトルについてを記したが、彼らは互いに顔を合わせたことはないとのことだったので、どうなることやらと思っていたが、なんだかみな、いい感じであった。
我々家族をはじめ、ご近所の人々、ファミリーフレンド、わたしの日本人の友人やその伴侶、子供を含め、40名を超えるゲストに集っていただいた。
いろいろなゲストと一様に話をしたいのだが、なにしろキッチンはてんやわんや。パーティ慣れしているはずのモハンだが、やはり指示なしには能動的に動けない。3人ともキッチンに籠ったままである。従っては、
「グラスをさげて!」
「コップが足りない!」
「次、スナックを揚げて!」
「コロッケ、ヴェジタリアン追加!」
「浄水!」
「ビール冷えたの3本!」
「氷2袋!」
「空き瓶下げて!」
「子供のジュース! ミックスフルーツ!」
「ランチの準備!」
「出来た物からテーブルに並べて!」
「ライスは半分ずつ!」
「プーリが足りない!」
「エビカレー追加!」
「マサラチキン追加!」
「ご飯はもういらない!」
「デザートの準備!」
「ダイニングテーブルとリヴィングに3皿ずつ!」
「グラブジャムンあっためて!」
「アイスクリームの皿はそれ!」
「チェリーを飾って!」
「生クリーム泡立てて。違う違う、こうするの。こうやって泡立てる!」
「紅茶はこれ、3分間出してこのポットに入れる!」
「コーヒーはこのポット!」
「蚊取り線香4つ設置!」
と、まあいちいちキッチンに指令を出しに行く必要があったので、あまり時間に余裕がなかったのが実情だ。
とはいえ、家族はとても喜んでくれたし、ゲストの方々もとても楽しんでくれたようで、「ハウスウォーミング・パーティー」としては、とてもよいできだったのではないかと思う。
シャンティの料理も非常においしかった。いきなりパーティーデビューということで、ちょっと不安もあったのだが、マサラチキンはほどよくスパイシーで味がしみこんでいておいしかったし、ココナッツを使ったチャナ豆や、にんじんのサラダ、カツレツ(コロッケ)なども非常においしかった。
食生活に関して、我々はとても恵まれていると思う。
今回パーティに参加してくれたしきちさんが、ご自身のブログで当日の様子を紹介してくれている。ちょっと褒められすぎている気もして、照れる。が、わたしが暴露した使用人事情も客観的に書いてくれているので、ちょっと飛んでみていただければと思う。
今回、マダムの手料理は、おつまみのサンドイッチと毎度おなじみのマンゴームースだけであったが、マンゴームースは「旬」だけあり、非常に美味だった。
そのほか、スジャータが焼いてくれた「ほどよい甘さ」なチョコレートケーキを3つ、わたしとシャンティで夕べのうちに作っておいたグラブジャムンを出した。
米国時代、自分で材料を調合して、かなり面倒な思いをしてグラブジャムンを作っていたが、今回シャンティの勧めにより「MTR」という有名な食品メーカーのグラブジャムンミックスを使ったら、簡単でおいしかったので、愕然とした。
日本人で、このべた甘い菓子を好む人は少ないと思われるが、好きな方、森永のホットケーキミックスと並んで、優れたミックスだと思うので、お試しあれ。
ところで、あまりゆっくりと会話ができなかったとはいえ、印象に残っている女性が一人。2階上の大マダム。年のころなら60歳代前半か。それまでは専業主婦だった彼女。1978年にアップル社のコンピュータを買い、独学でコンピュータを学び始め、以来、ずっとコンピュータ関連の仕事をしているのだという。
アルヴィンドと同世代とおぼしき優秀そうな息子が、
「ぼくがコンピュータのトラブルに見舞われたら、母がすべて解決してくれるんです。彼女にどれだけ助けられたか! ぼくが取りまとめている『駐在員クラブ』のホームページも彼女が作ったんですよ」
とのこと。その駐在員クラブにも、我々早速入会した。
ご近所さんは、ドクターや、例のこのアパートメントのデヴェロパーCEO、駐在員、企業経営、ライターなど、夫婦そろってキャリアを持っている人が大半で、同時に「東西南北の人」が多く、話をしていてとても楽しい。
4階の夫婦は、わたしたちと同様、ニューヨーク、ワシントンDCに住んでいて、アルヴィンドが勤務していたヴァージニアのレストンに住んでいたこともあるらしい。世界が狭く感じる。
バンガロールに住んでいても、「欠落した気分」にならないのは、多分周囲に、同じような境遇の人々が多いことも一つの理由に違いない。流動している自分たちと同じような人たちが身近にいて、それはとても、心地の良い感覚である。そして、楽しい。
新しい拠点を得た幸運に感謝しつつ、よりいっそう、日々を大切に過ごしていきたいと思うのである。
今しばらくは、インドにて。