●インディラナガールでお買い物
思い返せば、昨年末に日本から帰国した翌日から「新居購入プロジェクト」が開始され、加えて濃密な仕事を抱え、内装工事だ引っ越しだ、米国行きだパーティーだ、義理両親の到来だと、間断なくイヴェントごとが続いていた半年間であった。
尤も、インド移住以来、そういう日々なのであるが、そんななか、今週末は夫婦揃って「落ち着いたな」という気分で、週末を迎えた。新居の改善作業はまだまだ余地ありの状況だが、ともかくは、平和で快適である。
このごろは、夕刻に雨が降り、気温も落ち着き、特に朝晩は冷え込むくらいの涼しさで、高原都市に住んでいるのだなという思いを新たにする。無論、我が家の場所がいいというだけで、同じアパートメントでも最上階は灼熱の太陽が照りつけ、冷房なしではやっていけないらしい。バンガロールで「ロフト」は、間違っているのだ。
さて、土曜の午後は、インディラナガールへアルヴィンドの新しいパンツを買い求めに行った。先だって、Centralというデパートメントストアでいろいろなブランドを試着した結果、Dockersのものがいちばんよかったので、3本ほど購入したのだが、なにしろこの一年あまり、インドで買い物をしたがらなかったハニーとあって、3本買っても、まだ足りない。
というより、インドで買ったそのパンツの見栄えがよく、かなり気に入ったらしく、今まではいていた米国のBrooks BrothersやPoloのパンツがむしろ、くたびれて見えてしまい、更に新調したくなった様子である。
インディラナガールにDockersのブティックがオープンしているので、そこの方が品揃えも豊富だろうと、出かけたのだった。
インディラナガール。アルヴィンドが幼少期、ロメイシュの転勤で一時期住んでいた場所。当時は、というかほんの十年前は、鬱蒼とした木々に囲まれた、人気のない静かな場所だったらしい。
今や目抜き通りの100フィートロードは、あちらこちらで建設中のブティックやらレストランから立ち上る砂塵と渋滞とで、まるで様相を異にしてるようだ。
ところでDockersはサンフランシスコのブランド。ここで気になるのは、商品が「どこで製造されているか」、である。パンツに関しては、米国で買うそれと、ほとんど変わらない値段だ。質もいい。ただ、商品によって、品質にむらがある。
ちなみに夫が気に入った仕立てのいいノンアイロン(といっても、乾燥機を使わない限り、アイロンは必要)のパンツは中国製。
彼が試着している間に、商品のタグをあれこれとめくって確認する。主には香港製、中国製、そしてシャツ類に一部インド製が認められた。
以前、コマーシャルストリート近くに開店したばかりのaddidasで商品をチェックしたときは、大半がインド製で、まだ品質が不確かだった。しかしながら、インド製が、中国製や香港製と並んで仕立てよく作られる日も、そう遠くないだろう。
念のため記しておくが、米国で売られているアパレルの大半は、中国製、台湾製、香港製と、アジアや南米などの海外で製造されている。インテリア小物やキッチンリネン、たとえばテーブルクロスやナプキンなどは、4、5年前から急激にインド製が増えた。
そういえば、バーバリーが工場すべてを中国に移すとのことで、バーバリーファンから猛反対を受けているというニュースが数カ月前に流れたが、どうなったのだろう。
さて、パンツを更に3本買い求めたあと、丈を直してもらっている間(インドはこういう「お直し」を速攻でやってもらえるのがよい)、隣にあるLevi'sを訪れた。ちなみにDockersはLevi'sと同じ会社である。
この店は、「世界各国製が集まっている」といえば聞こえがいいが、「売れ残りが集められている?」という風にも見えない品揃えだ。驚いたことに、日本製の女性用ジーンズが置いてあるのだ。ミニスカートや装飾の華やかなジーンズ。それらはすべて10000円を超えている。
そもそもLevi'sといえば、米国ではカジュアルかつリーズナブルなジーンズのブランドだが、日本では、過去、広告にジェームズ・ディーンを用いるなど、たいそうな戦略で以て、こじゃれたジーンズブランドとしての位置が確立された。
今はどうだかしらないが、そんなこともあるせいか、商品の値段も、米国に比べるとかなり高い。インド製のジーンズが、半分以下の値段で売られている傍らで、ユニークな現象である。
ちなみに、5年ほど前までのインドでは、ジーンズは「富裕層が購入する欧米のおしゃれな衣類」というイメージだったが、今や国産ジーンズが量産され、中流層でも買える商品が市場に出回っている。
ちなみに、インド製のジーンズ用布は、一目でそれがインド製とわかる。善し悪しは別にして、紺色がやや重く、白が「霜降り風」に散っている、独特の風合いがあるのだ。
とまあ、そんなことはさておき、買い物を無事にすませ、遅いランチを取った後、帰宅。夜はヴァラダラジャン宅に招かれていたので渋滞の街をすり抜けて、IISのキャンパスへ向かった。
●ヴァラダラジャン宅でディナー
この日(土曜日)は、パレスグラウンドで、エアロスミスのライヴがあった。インド全国津々浦々からファンが集まり、1万人以上は収容したらしい。
インドの屋外ライブ。音響関係、まだまだ怪しそうだし、トイレなんかも足りないだろうし、人は押し合いへし合いだろうし、想像するだに恐ろしい。
ところで、この写真は、ラグヴァンがブラジルのサトウキビで出来たお酒でカクテルを作ってくれているところ。
ラグヴァンの仕草は、いつでも「実験」のような手つきなのがおかしい。
カクテル作りも、研究の一環のような趣である。
この間はブルーハワイを作ってくれた。
我が家でも、自分たちの好きな「マティーニ」や「モヒト」や「マルガリータ」や、マンハッタンを懐かしむ、というよりはSex and the City を懐かしむ「コスモポリタン」なんかを作る材料を揃えようかしらと思う。
そういえば、バーカウンターを作るという企画も、まだ保留だ。
ところで今日は、ラグヴァンの弟マドヴァンと、ただいま臨月の妻アナパマ、そして彼らのいとこであるモナがコルカタから来ていて、総勢5名のアットホームな集いである。
アナパマはロイターに勤務しているが、臨月でもナイトシフトで通勤しているらしい。が、明日から実家のあるデリーに帰って、デリーで出産するとのこと。
従兄弟がデリーで産婦人科医をやっているので、そこで産むとのことだ。子供っけのない我々家族親戚に、初めてのベイビーである。楽しみだ。
ラナはコルカタの私立校で英語教師をしている。彼女の両親はやはり学者で、日本にも何度か赴いたことがあるという。
「ミホの仕事の役に立つかと思って」
と、わたしのために、Yokoso Japanのブックレットを持って来てくれた。
普通、わたしが他国の人に日本を案内する意味で渡さねばならないはずなのだが、なんだか立場が逆である。
マドヴァンも、米国留学中に日本に行ったことがあるらしいが、急ぎの旅だったらしく2泊しかできなかったのに、東京在住のインド人の友人がヴェジタリアンだったせいか、銀座などを歩いたにも関わらず、日本食を食べさせてもらえず、
「ぼくはね、日本で、イディリを食べさせられたんだよ、彼の家で、イディリ! もう最悪!」
と、叫んでいた。イディリとは、南インドの主食の一つ、米粉で出来たパンのようなものだ。マルハン家、ヴァラダラジャン家、そして坂田家。国籍もバックグラウンドも、なにもかもが違うのに、「食に対する寛大さ」「好奇心」という共通項がある。
マルハン家、ヴァラダラジャン家は、みな牛肉も食べれば、刺身も食べる。スジャータやラグヴァンも日本食好き。なにしろアルヴィンドたちの実母は、「日本のみそ汁は身体にいい」からと、彼らが子供時代に、自宅で味噌を造っていたような人だ。
実母は国連関係の仕事をしていて、海外へ出ることが多かったから、日本食にも早い時期から触れていたらしい。それにしても、自宅で味噌を造るとは。日本人のわたしですら、やったことがないのに。
ラグヴァンとマドヴァンの父親、ドクター・ヴァラダラジャンは、以前も書いたが、インドでは有名な科学者だ。尤も、ラグヴァンもエイズワクチンの研究において、各方面からさまざまな賞を受けたりもしている、たいへん優秀な科学者。この間もたいそうな賞を受賞して、新聞に載っていた。しかし、そういう様子を一切見せないところがすばらしい。
ドクター・ヴァラダラジャンに関しては、いまでこそ老化が著しく、最近では何をしゃべってるのかよくわからず、いつもすり切れたスーツを着て、「ミニマム」な服装をして、パーティーはといえば、ハードリカーばかりをストレートで飲み、ぎょろりと大きな目を光らせて語り、見た目は、やばい。
しかし、そもそもは精力的に、世界各地を飛び回る科学者だった。日本にも何度か訪れたことがあるし、世界科学者会議などを通して、日本の現天皇陛下が皇太子時代から交流があるし、森首相(意外と、親インド派だったのだ)とも関わり合いがあったという、日本人のわたしですら持ち得ないネットワークを持っている人物である。
彼らを通して、自分の知らない日本をすら、教えてもらえるのである。
いつか、我がインド家族親戚と共に、日本旅をしたいものだ。ぜひともマドヴァンにはおいしい日本食を食べてもらいたいし、みなを温泉にも連れて行きたい。インドとゆかりのある京都を巡り、新幹線で駅弁を食べ……。と、プランが頭を巡る。
さて、スジャータ特製のマンゴーライス(青い調理用のマンゴー)やマトンビリヤニ、その他、野菜の炒め物などがテーブルに並ぶ。デザートはもちろんマンゴー関係。マンゴーピューレをかけたバニラアイスとクリームで至福のひととき。
いい土曜日であった。
●バッグが出来上がった!
書く機会を逸していたが、先日、注文していたバッグが届いた。すでに何度も使用しており、友人らからも好評を博している。
オリジナルはCELINEのBOOGIEシリーズというバッグ。オレンジ色が鮮やかでとても気に入っていたのだが、汚れやすく、特にハンドルの部分がくすんだ色になってしまい、2年と使わないうちにくたびれた感じになってしまっていた。
大きさといい形といい、ショルダータイプとは異なる使い勝手のよさがあったので、別の色を買いたいと思っていたのだが、なにしろ1000ドルを軽く超える。色違いで気軽にいくつも、というわけにはいかない。
が、「気軽にいくつも」が、実現しそうなのである。そもそも「コピー(模倣)」は、たとえ個人使用であれ、おおっぴらにするべきではないことであるから、あくまでも、「似たようなデザインのバッグを作ってもらった」ということに、ここでは便宜上、しておく。
金具こそ、少々安っぽいものの、縫製や中の布などはしっかりとしていて、できばえも、なかなかによい。
このときは、よく考えずにとりあえず、という感じで内ポケットなども追加でつけてもらったが、次回は自分のデジタルカメラや携帯電話のサイズに合わせて、好みの形でポケットも付けてもらおうと思う。
オーソドックスな黒やブラウン、赤などでも作りたい。ピンクや濃紺などのコンビネーションもいい。無論、異なるデザインのバッグやパスポートケース、財布なども小物類も注文するつもりだ。来週には母が来るので、二人で作戦を練ってオリジナルグッズを制作しようと思っている。
ちなみに、右の写真が、参考にさせていただいたCELINEのバッグである。
これは2年前に英国へ行ったときの写真。コッツウォルズは本当にすばらしかった。そういえば、米国時代の親しい友人カップル、ルーマニア人のアンドレイとシルヴィアのロンドン移住が決まった。
そもそも、ワシントンDCにいた頃から、彼らはいずれ欧州に戻りたいと言っていたから、これはグッドニュース。アンドレイはこの月曜、そしてシルヴィアが来年早々移住するとのこと。日曜の夜、電話で話したのだが、お互いの距離が近くなることを喜び合った。
なにしろバンガロール・ロンドン間には直行便がある。彼らもきっと、バンガロールに来ることだろう。わたしたちも、あと1年半で、「半年おきの米国旅行」から解き放たれるはずである。そのころには、アルヴィンドの米国市民権問題も進展しているはずだから。
早く、彼らと再会したいものだ。そんな日は、多分あっというまに、来るのだろう。