先日、ご近所のNRI (Non Resident Indian: 海外在住インド人)で、現在バンガロールに赴任中のカップルから、BEC (Bangalore Expatriate Club)の入会に誘われていた。夫の方(彼もアルヴィンドという)が立ち上げた海外駐在員のためのクラブで、現在数百名のメンバーがいるという。
OWCは女性のクラブで、たまに夫も同伴でのイヴェントがあるが、こちらの方がメンバーも若手で、隔週のカクテルパーティーや週末の国内旅行などを企画しており、カジュアルかつアクティブな雰囲気だ。早速ウェブサイトをチェックして、入会したのだった。
金曜の夜、Taj Residency HotelのICE BARでの集いに参加した。
実に楽しい夜だった。
プレジデントをつとめているラシュミは、米国生まれのインド人、つまりNRI。長身ですらりと背が高くかなりの美人で、女性のわたしでも見とれてしまう。アルヴィンドに至っては、何をかいわんや、満面の笑顔で挨拶をする。
彼女はドクター、夫もNRIで、金融関係の仕事をしている。ご両親はケララの出身らしく、彼女はアーユルヴェーダ医学も学んでいるとのこと。
このほか、英国から単身赴任でやって来たアフリカ系移民の男性(ITビジネス)、米国から来たコリアン&メキシカンの男性(ソフトウエア)、マイソール出身でカリフォルニアから来たNRI女性(ライター)、ニューヨークから来たNRI女性(金融関係)、やはりニューヨークから来たコリアン女性(アパレル経営)など、たまたま周りに居合わせた人たちと言葉を交わす。
みなそれぞれにキャリアを持ち、いくつかの国に故郷を持ち、国境を軽々と飛び越えて、今、束の間バンガロールでひとときを過ごしている。
マンハッタンはあまりにも多国籍の街だったが、こうして見知らぬ人同士で集い合うという機会は少なかった。
一方、バンガロールは埃まみれの発展途上の街ながら、いや、発展途上の街ゆえに、世界各国からの赴任者が会し、こうしてホテルのバーの一画で、互いの仕事や暮らしのことなどを、語り合える機会がある。
何より、皆が前向きで、元気がいいのがいい。インドやインド人を見下すようなことを言う人はいない。それが非常にうれしい。こちらもがんばらなけば、という気分にさせられる。
ところで、印象に残った出会いは、ニューヨーク育ちの30代と思しきコリアン女性。彼女は釜山で生まれ育ち、幼少期、父親の仕事の関係でニューヨークへ移り、その後、バングラデシュを経て、家族とともにインドへ来たという。
彼女が釜山の話をしたので、「わたしの大学は下関だったのよ。釜山とはとても近いの。フェリーが通っててね」と言ったところ、
「わたしの祖母は、実は日本人だったの。下関出身の。祖母が亡くなってから知ったのだけどね」
と言うではないか。
彼女の祖父は、日韓併合後、朝鮮半島が日本の支配下にあった時代に下関へ渡り、日本人女性と結婚して「旅館」を営んでいたという。
「戦争が終わる前に、祖父母は釜山に戻って来たの。下関には、旅館をはじめ、いろいろと資産があったらしいけど、全部置いて来てしまったと聞いてる。いつか旅館を取り戻しに行かなきゃ!」
もちろん彼女は冗談で言っているのではあるが、入り乱れる歴史と国家の縁(えにし)を思う。
「おばあちゃんから教わって、わたし、waribashiとか、baketsuとか、sentakukiとか、韓国語だと信じて使ってたの。うちの家族はそれが普通だったから。大きくなってともだちと話して、あなたの言葉、変、っていわれてね」
彼女の祖母の旅館は、今頃どうなっているのだろう。あとかたもなく、消えてしまっているのだろうか。
それにしても、楽しい夜だった。
いろいろと思うところ多く、憤怒にかられること少なくなく、実は、やや滅入っていたここ数日だったが、この夜の数時間で、ずいぶんと気が晴れた。
やや滅入っていた理由については、いつか「褌のヒモを締め直す気分で」書かねばならないテーマだと思っている。
インドとインド人。日本と日本人。
インド人を十把一絡げに見下し蔑む、「一部の」日本人について。
あれこれと、テーマの多い日常である。