久しぶりの、ゆったりとした週末である。今朝は、メイドのプレシラがやってくる10時まで、ベッドでごろごろとしていた。
窓辺の緑は鮮やかで、吹き込む風は爽やかで、本当にこの地は、気候がよい。
さて、今日は諸々の雑事をすませ、買い物その他の外出ののち、夕方帰宅。夕立の合間を縫って、夫とバドミントン(半ば義務)をする。
夫の向こうには木立ち。
木立の向こうには灰色の雲。
灰色の雲の合間に見え隠れするは青空。
そして傾きかけた太陽が発する象牙色のひかり。
ここはインドで、わたしの夫はインド人で、日本人であるところの母は、日本からインドに来ていて、今、台所で料理の下ごしらえをしていて、わたしのインド人家族であるところの義姉と義兄が、まもなく夕餉を分かち合いにやってくる。
中空から、突如目前に現れるシャトルを、ただひたすらに追い、打ちながら、この日常がふと特異に思えると同時に、時間の連なりが育くむ違和感の融和を思う。
再びの雨で庭から退散し、シャワーを浴び、料理の準備をする。やがて義姉夫妻、スジャータとラグヴァンがやってきて、数日前だった夫の誕生日を再び祝するスパークリングワインで乾杯。
彼らからアルヴィンドへは、CDや書籍のプレゼント。
夕食の一品に、スジャータがオリジナルのギリシャ風サラダを差し入れ。
食事を終えて、やはりスジャータが焼いて来てくれたスポンジケーキにプラムソースをかけ、わたしが買っておいてしかし使うことのなかったキャンドルとHAPPY BIRTHDAYの飾りをケーキにほどこす。
こうして家族と一緒に過ごせる時間が、かけがえのないものに思える。
インドに住んで、インドの人たちと関わるようになって、家族の結びつきについてを考え改めさせられることが多い。
義務ではなく、願いとして、両親をはじめ肉親を大切にする人々の多いことに、少なからず影響されている。
それは幸い、わたしの義理家族が「とてもいい人たち」だからこそ、かもしれないが。
スジャータの焼くケーキは、おいしい。
先日のチョコレートケーキもよかったが、このマカデミアナッツ入りのスポンジケーキも格別だ。
プレゼントにもらったルイ・アームストロングを聞きながら、アルヴィンドはご機嫌で、お気に入りのポートワインを皆にふるまう。
母はまた、
「わたしと夫が30代の頃、よくルイ・アームストロングを聴いていたのよ。懐かしい」
と、英語を話しているつもりの日本語で語り、目頭を熱くしている。
国籍も世代も異なる人たちが同じ場所で、同じ旋律に耳を傾け、それぞれに思い出を蘇らせ、過去に思い巡らせながら、ささやかに幸せな夜。