本当に、久しぶりに、一人の土曜日だ。一人とはいえ、朝からメイドのプレシラが来る。ドビー(洗濯&アイロン屋)のクリシュナが来る。庭師の山下清が来る。牛乳のクーポン売りが来る。あまり落ち着かない。
そして翌日、日曜の午後、今度はムンバイ&プネへ向けて出発する。
今月の彼、非常に目まぐるしい。
ムンバイ&プネ出張は2泊3日につき、妻は同行しない。まだ、あれこれと仕事も山積している。すべては来週から、と少しそれらを押しやって、週末は自由に過ごそうと思う。
出張先での夫。毎朝欠かさずヨガをやり、空いた時間にはマッサージをしてもらうなど、健康管理を心がけているようだ。
食べ過ぎにも注意するよう伝えておいたが、自分にできないことを夫に強要するのもいかがなものか、である。なにしろ香港。おいしい誘惑が多すぎる。
●母は、無事に福岡へ。まだ、暑いらしい。
母はといえば、福岡へ無事、帰還した。金曜の、朝10時過ぎの到着だったが、その日のうちに「部屋の片付け」をしたらしい。
あまりにもごちゃごちゃと飾り立てている自分の家に息が詰まりそうになったらしい。インドに来た当初は「がらんとしている」と空間の多い我が家を落ち着かないとすら言っていた。
それは間違いだ、お母さんの家こそごちゃごちゃしすぎて窒息しそうになる、と言う娘の言葉もどこ吹く風だったのだが。
今後、あれこれと処分する心意気らしい。
「こんな部屋じゃリラックスできない」
「わたし、病気だったんじゃないかしら」
と、久しぶりの自宅でカルチャーショックを受けている様子。それはよき傾向に思えるが、しかしぼちぼちやってほしいものだ。
●またしても、ウェディングエキシビションへ。
インドは年末のウェディングシーズンに先駆け、ウェディングエキシビションが盛んだ。
先週は母を伴い、GRAND ASHOKのエキシビションへ行ったが、今日はLeelaで行われるとの広告を目にしたので、仕事を兼ねて出かけた。
結論から言えば、先週の方が規模が大きかった。そしていまひとつだった。
せっかくだから、Leelaのショッピグモールを一巡し、ホテルを出ていくつかの用事をすませ、SAFINA PLAZAへ。
毎度おなじみのクラフトフェアだ。毎回似たり寄ったりながら、必ず少なくとも一つは「これだ!」と思うものが見つかる各地の工芸品フェア。
今日は、欲しいと思っていた木彫りの像を見つけた。やはり、「これだ!」は健在だ。
見つけたのは、かつてアートスクールで買いそびれていたそれ。
NEEM(ニーム)という木で作られた木彫り細工の数々。
お隣タミル・ナドゥ州で作られているらしい。
やや大きめの、ガネイシャ像を選んだ。
なにしろ今日から巷はガネイシャ祭り。象の神様ガネイシャが、街のあちこちに飾られている。
そんなガネイシャの日にガネイシャを購入するとは、いかにも縁起がよさそうだ。
かなりどっしり重いそれと、壁掛けの2種類を購入した。
NEEMは防虫効果のある木。
その葉で、かつて人々は、歯を磨いていたという。
今でもNEEMエキス入りの、その名もNEEMと呼ばれる歯磨き粉がインドでは主流で、我が家でも愛用している。
この木像は雨ざらしになっても大丈夫だということで、当初は庭に置く予定だったのだが、部屋に置いても悪くない存在感。しばらくは屋内に飾っておこうと思う。
●ガネイシャフェスティヴァルのプジャーに参加
夫が戻ってくるまでもひととき、夕食の準備でもしようというころに、アパートメントのマネジメントオフィスから電話。
アパートメントの住民たちのガネイシャフェスティヴァルのプジャー(儀礼)が行われるとのこと。
ちょっと顔を出すことにした。
このアパートメントには40世帯が入っているが、そのうちの半数近くが参加していると思われた。
無論、駐在員やNRIらしき人は見られず、どちらかと言えば、こてこてのインド人ばかりだ。
艶やかに着飾っている女性たちも少なくない。
電話がかかってきてすぐさま家を出て来たわたしは、普段着のサルワールカミーズ姿。
儀礼に参加するときには、きちんとした服を着て来るべきだったと少し反省した。
それにしても、インドのプジャーは、相変わらず、煙や炎や果物や花々や唱和やらで、実に賑やかだ。
皆で声をそろえて歌ったり、巡回する炎を諸手でかざし、その手で自分の頭部をかざしたり、菊の花びらをガネイシャ像に投げつけたり、聖水を飲まされたり……。
2001年の、自分たちの結婚式のプジャーに始まり、ヒンドゥー教の信者でないわたしながらも、いくつかのプジャーを経験して来た。
引っ越しのプジャー。祝祭のプジャー。厄払いのプジャー。葬儀のプジャー……。
ワンワンと鳴り響く唱和の渦の中で、この上なく派手に飾り付けられたガネイシャの姿を見ながら、そうして、老若男女の様子を見ながら、なんて愉快なのだろう、と思う。
自分の生まれ育った場所の、文化や風習からは遠く離れた、異質の常識と慣習の中では、いつだって初めての心持ちで、愉快だ。