※本文と写真(バンガロール鉄道駅)とは、まったく関係ありません。
約半月ほどかかっていたレポートをようやく夕べ、仕上げることができた。仕上がった何十ページもの資料をプリントアウトし、ファイルに綴じる。機械の熱を受けた、厚みのあるその紙の束のほのかな温もりに触れるときの、達成感。
データを電子メールで日本へ送信して、完了。本当に、便利な世の中である。わたしが社会人になってから今日までの20年間の間に、ビジネスの環境は劇的に変化した。わたしが駆け出しの編集者だった頃、ライターから仕上がって来る原稿はほとんどが「手書き」だった。
それが、ワープロになり、パソコンになった。プリントアウトしたそれらを、宅配便やバイク便で受け取ったり、あるいはファックスで受け取っていたのが、電子メールになった。いやいや、その前に「フロッピーディスク」というのもあったな。
レイアウト用紙に一枚一枚手書きされるデザイン。原稿とそれをセットにして写植屋へ持って行く。分厚い版下の束を、印刷所へ渡す。
……。
書き始めるときりがないので、よそう。ともあれ、電子メール、である。
海外に暮らすようになり、日本の仕事関係者とのやりとりは、電子メールが主流である。仕事を開始する場合、それが単発であれ、長期に亘るものであれ、たいていは電話で挨拶をさせてもらい、それから仕事にかかる場合が多い。
お会いできないのだから、せめて電話で相手の方の様子を感じ取りたいし、先方にもこちらの様子をわかっていただきたいと思う。
しかし、途中で担当者が変わる場合も少なくない。そんなときは、メールのやりとりだけでご挨拶をすませている。敢えてこちらから電話をして、今後ともよろしくお願いします。と言うのも、お邪魔かしらん、とも思うようになってしまったのだ。
そもそも、わたしとしては、
1. 直接会って挨拶をする
2. 電話をかけて挨拶をする
3. 電子メールで挨拶をする
の順番が、挨拶における重要度の高さだと思っていたのだが、最近では「直接電話をかけるのは失礼」との判断をする人も少なくないと知り、2と3の順番について、常識をはかれずにいた。
電話だとすばやく相手に意図を伝えられる上、メールよりもはるかに誤解が少なく意思の疎通が図れるので、挨拶に限らず、込み入った内容については電話で相談をしたい。しかし、人によっては、それを「相手の時間に突然踏み入る」ことになるそうで、そう言われると、そういうものなのか、とも思う。
国際電話の料金が大幅に安くなった昨今、こちらから電話をしても大したことはないのだが、先方が恐縮してくれて、早く切ろうとしてくれたりするのも、ちょっと申し訳ない。
ところで先日、やや衝撃的な出来事があった。
前任者から引き継がれた方と、ここ数カ月間、メールでやりとりをしながらお仕事をさせていただいていた。その方は名字だけを書かれていたので、最初は男性か女性かわからなかったのだが、だからって「失礼ですが○○さんの性別は?」などとメールで尋ねるのも失礼だろうとそのままだった。
数回やりとりをしたあと、文章の具合から、何となく、同世代の女性かな、と判断した。あるとき、その方の名前を知る機会があった。そのお名前は、女性でも男性でもOKのお名前であった。もうすっかり、女性だと断定した。
そして先日。原稿の内容に関して、メールのやりとりだと、こちらの実情がお伝えできないと判断し、電話をかけることにした。
「わたくし、インドの坂田マルハン美穂と申します。いつもお世話になっております。恐れ入りますが、○○さんは、お手すきでいらっしゃいますか?」
ものすごく久しぶりに、日本の会社へ電話をするので、自分の話す言葉がなんだか妙な感じである。さて数秒後、「もしもし。○○です」と出たその声の主は……男性だったのである。
米国などでは、ときどき女性でも男性のようなドスの利いた声を出す人がいるので、うっかり女性を男性と間違えることがあるが、どうやらそういうケースではない。明らかに、男性の声である。
○○さんって、男だったの?!
と、叫ぶわけにもいかず、平静を装って会話を続けたが、最初の数十秒、我が脳裏は「軌道修正」に追われていた。
ええぇ、どうしてわたし、気づかなかったんだろう。でも、お受け取りしたメールの一人称は「わたし」だったよな。いやいや男性だからって、ビジネスメールに「俺」とか、「僕」とか、書かないよな。「小生」っていうのも、もっとないな。
少々動揺したが、約30秒後にはすっかり○○さんが男性だという現実に慣れ、会話も速やかに進み、あれこれとお話をさせていただき、電話を切ったのだった。
その後、これまでいただいたメールをざっと読み返してみた。読み返してみるに、どこにも「女性っぽさ」はないのである。そしてむしろ「男性っぽい」のである。
わたしはいったい、なにゆえに、女性だと思い込んでいたのだろう。我ながらミステリーである。
今後、たとえどんなに邪魔くさいと思われようと、忙しい人の時間を割いていると言われようと、わたしは電話を重視しようと決意した午後であった。