「師走らしさ」を敢えて演出している訳ではないのだが、少々立て込んでいるこのごろ。このブログの更新も、滞りがちである。
ここ数日はレポートの期限や原稿の締め切りが迫っており、デスクワークが多い。しかし夜はたっぷり7、8時間は寝ているし、OWCやBECの集いに顔を出してるし、切羽詰まっている訳ではない。
東京時代の師走、つまり二十代のころの「仕事に追われるさま」に比べたら、極楽みたいなものである。あのころは、本当に、異常なほどに働いていたものだ。異常なほどに働く人々が周囲に満ちあふれていたから、それがおかしいとも思わなかったのだが。
ニューヨーク時代もかなりよく働いていたが、東京時代に比べるとはるかに精神的な余裕があった。東京は広すぎて、移動だけでも時間がかかっていたから尚更、時間に追い立てられる気がしていたのかもしれない。
マンハッタンは、歩ける距離の範囲内に目的地があることも少なくなかった。だから、東京にいるときのような「街に飲み込まれてしまうような感覚」に襲われることはなかったのかもしれない。
●午は木の葉のそよぎに蝶。宵は満月、漂う花の芳香。
数日ぶりの快晴で、庭には相変わらず何種類もの蝶が飛び交い、一方、「人々の樹」は今、落葉の頃で、朝な夕なに、はらはらと庭の一隅の芝生に、乾いた葉を舞い落とす。
このごろは、夜、庭に出ると、どこからともなく、甘く馨しい、それはそれはよい花の香りが漂って来る。
いったいこの香りはどこからだろう? ご近所さんがインセンスでも焚いているのかしら。毎晩のプジャ(儀礼)かしら……などとと思っていた。
今朝、アパートメントのオーナーの集会で、ご近所さんたちとおしゃべりをしていたときに、教わった。
あの香りは、隣家の庭に植えられている "Queen of the night"という花が発しているのだという。夜の7時半ごろから朝の6時ごろまで、香りを放ち続け、満月の夜には、その香りをひときわ強くするそうだ。
この国には、ジャスミンやテュベローズ(月下香)など、すばらしい香りのする花が身近にある。それらの香りは、この上なく自然な在り方で、心や身体を浄化してくれるようでもある。
午は蝶。宵は芳香。幸せな庭。
●庭に小径ができている
上の写真でもくっきりと見える通り、庭の周囲に、小径ができてしまった。庭を歩くからだ。最初は目が回らないよう「八の字」に歩いていたのだが、ミステリーサークルならぬ無限大記号「∞」ができつつあった。
ある日、山下清的庭師から、懇願された。
「マダム。芝生が、痛んでます。せめて、周囲を歩いてください」
我々、言葉は通じないが、彼の悲痛な表情とゼスチャーとで、解釈するのである。
「歩くときは、狭く、狭く、歩いてください」
とも、言われた。そう言いながら、彼が両手で示すその幅は、15センチ程度であった。そんなに狭くは、歩けないのである。平均台じゃあるまいし。
確かに、芝生がはげてしまってまずいな、とは思っていたが、芝生よりも我々の健康的な生活の方が大切である。とはいえ、無限大記号はやはりみっともないので、庭の周囲を「なるたけ狭い幅で」ぐるぐると歩くことにした。
三半規管が弱いわたしとしては、目が回ることを懸念したが、この間のインド人初宇宙飛行士のおじさんが言っていた通り、三半規管は「回って鍛える」べきかもしれない。
今更、宇宙飛行士を目指す訳ではないが、シュノーケリングで海に潜っていられる時間が長くなるかもしれない。次回モルディヴへ行ったときに、その成果がわかるだろう。
●アルヴィンドはシンガポールへプチ出張
さて夕ベは、アルヴィンドが出張でシンガポールへ行った。数日前から毎度の如く、
「ミホも一緒に行こうよ!」
と誘われる。わずか2泊のために、しかもこの立て込んでいるときに、それに9月に訪れたばかりなのに、わざわざついていくこともないだろう。今回はやめておく。と言えば、
「快適なホテルだよ。プールサイドでリラックスできるよ」
「ショッピング、すればいいじゃない」
「日本の食料品店で、日本の米を買えるよ」
と、しつこい。しかし、しつこく言われると、なんだか「みすみす好機を逃している」「早めに仕事を仕上げておくんだった」という気分にさせられ、癪に障る。
わざわざ日本米を買うためにシンガポールへいかずともよいのだ。それに日本米ならまだある。母が滞在中、我が家は「日本米飢饉」に見舞われそうになったが、普段は毎日のように米を炊かないから、そんなに減らないのである。
しかし、また来年、母が来るだろうから、「備蓄日本米」を意識して購入しておく必要があろう。
ところで夕べ、バンガロール空港に到着した夫から電話があった。その瞬間から「シンガポール査証(ヴィザ)騒動」が勃発した。
もう、ほとほと無駄な心労が絶えない。実はインド国籍者。シンガポールで「乗り換え時の96時間以内」なら査証なしで入国できるが、それ以外は査証が必要だということに、チェックインの際、指摘されたのだと言う。
彼は米国永住権を持っているが、市民権はない。永住権を持っているだけでは、シンガポールの査証取得が免除される訳ではないらしいのだ。これまで数回、査証なしでシンガポールに入国していたことから、すっかり査証不要と思っていたのだが、思い返せば今まではすべて、米国もしくは香港への「乗り換えの途中」だったのだ。
最終的には、今回は2泊だけの滞在だし、これまでも査証なしで入国できたから、一か八か、ということでインドの出国管理も通過させてもらえ、ともかくは飛行機に乗ることになった次第。
入国管理での対応をどうするかについて、電話であれこれと作戦を練るなど、無駄に疲労する。なにしろ査証騒動は我々夫婦にとって、これまで何度も発生してきた騒ぎであるから、過剰にストレスを感じるのである。
ともあれ、万一入国できなかったら、チャンギ国際空港でマッサージでもしてもらい、仮眠して、わたしへの土産でも買い、明日の夜の便で帰ってきて、また来週にでも出直せば、と伝えて電話を切った。
今朝未明「入国管理局で少々手こずったが、シンガポール航空の協力を得て、無事にシンガポールに入国できた」とアルヴィンドから連絡があったときには、本当に安心した。
どんなに近くても、海外は、海外、なのである。常に「初心忘るべからず」なのである。
●クリスマスは、デリーで過ごすことにした。
24日から28日まで、デリーの実家へ行くことにした。冬のデリーは寒い。しかも濃霧が頻発するため、飛行機が時間通りに飛ばない。空港で数時間待ちは当たり前、定刻通りに離着陸できたら幸運である。
しかしながら、スジャータたちも行くというし、わたしたちも旅行の予定を入れていないことから、家族みなで一緒に過ごすことにしたのだ。
12月25日はダディマ(祖母)の誕生日だった。ダディマ亡き後、初めてのクリスマスでもあるので、賑やかに過ごすのが、いいだろう。
バンガロールでは手に入らない「あれこれ」を、デリーで調達して来よう。
●NRIの心情に共感を覚えるのはなぜか
金曜日の夜は、BEC (Bangalore Expatriate Club)の集まりで、数週間ぶりにTaj Residency HotelのICE BARへ赴いた。PWG (Professional Women's Group)の集いに参加していても思うことだが、欧米企業から「単身赴任で」インドに訪れる女性の多さに驚く。
そういうタフな女性たちと話していると、実に刺激的で興味深いものである。一方、仕事ばかりで「インドの楽しみ」を享受せずに過ごす人たちも少なくない。「インドの楽しみ」に詳しいわたしは、ついついあれこれと伝授してしまう。
今回は、数カ月前に、それぞれ米国から「帰って来た」NRIの女性二人と出会う。Non Resident Indian、非インド在住インド人。二人とも40代で、一人は独身。一人は離婚したばかり。二人ともインドを子供のころに離れ、「見かけは100%インド人」なのに、心は米国人とインド人との狭間で、困惑の絶えない生活ぶりがうかがえる。
それでも二人はそれぞれに仕事を持っており、明るく社交的な女性たちで、話が楽しい。
わたしは、なぜだか知らぬが、NRIの女性たちに、たいへん共感を覚えることが多い。それは、米国時代にジュンパ・ラヒリの小説を読んだころから、芽生えていた感情だった。
米国で、インド人の両親のもとに生まれた人。あるいは大学進学のために渡米し、米国に住み続けている人。インドと米国という二つの国の間で揺れる人々の心模様が、我が心の琴線に触れてしまう。
なぜだろう。
わたしは日本人なのに。「日本と米国の狭間」で、というテーマでは、特段、心を動かされないのに、なぜインドと米国なのだろう。それは、インドと米国の間で揺さぶられていた夫の精神を間近で見ていたからか。夫を愛するがゆえなのか。
……違うな。
そうだと思うのも悪くはないのだが、明らかにそうではない。このテーマに関しては、夫よりもわたしの方が敏感なようなのだ。先日も知人のジャーナリスト(NRI)が、家族揃って米国からインドに戻って来るに至った経緯を書いた手記を読みながら、幾度となく目頭を熱くした。
この件に関しては、もっと掘り下げて、いつかきちんと書き残したいと思っている。いつになるのか、相変わらずわからんが。