師走も半ば。こんなに季節感がなくて、いいのだろうか。我が感受性に錆が付くのではないか。
などと、無用な心配をしてしまうくらいに、季節感のない日々を過ごして丸二年目。いつも、同じような服を着ている。少しずつ、色あせていく木綿の衣類に、歳月の流れを見る。
ここしばらくは、リサーチのレポートをまとめるべくデスクワークである。が、煮詰まる。書斎から、ラップトップや資料をダイニングルームに持って来て、窓を開け放ち、庭を眺めつつ、仕事をする。
と、蝶々が部屋に舞い込んで来て、我が頭上をひらひらと旋回してまた、庭へと出て行く。夢現が交錯するような刹那である。
土曜日は、ヴァラダラジャン家へ赴き、スジャータ&ラグヴァンと夕食を共にした。
下の写真は、スジャータがご購入のサリーだ。ケララ旅行の際に買ったものだとか。白地に金糸が織り込まれている。この白と金のコンビネーションがケララならでは、なのだとか。
スジャータは、「洋装に関しては」極めて無頓着な様子だが、サリー、及びサルワールカミーズは相当にたっぷりと、持っていると思われる。しかも彼女はテキスタイルに詳しいので、各地の伝統的で質の高いサリーを、賢い値段で購入している。
ところで、スジャータに限らず、インド人女性は一般に衣装持ちが多い。富裕層に限らず、中流層でも、低所得者層でも、思いのほか、持っているのである。我が家に来ているメイドのプレシラも、毎日毎日異なるサルワールカミーズを着て来る。
最初の一カ月は、同じ服を着て来たことがなかった。その後何度か、「見覚えがあるな」というのもあったが、覚えきれないくらい、毎日違う服を着ている。
安いといったって、彼女の家庭の収入から考えると、かなりの額となるはずである。しかしながら、わたしよりもはるかに衣装持ちであることは、間違いない。
プレシラを巡っては、あれこれとユニークなエピソードがあるのだが、日々がとうとうと過ぎていき、書き残す機会がないのが惜しい。
Leela Palaceのダイニングで、12時半に待ち合わせた。
それから、食べてしゃべって、食べてしゃべって、しゃべって、しゃべって、店を出る頃には日差しが傾いていていた。
とても楽しいひとときだった。
そのあと、隣接するショッピングモール、Leela Galleriaへ行った。ピアノの音色が、いつもとは違う。いつもは、「かつて音楽の先生だった」風情の初老のインド人女性がピアノを弾いている。
ショパンやリストなど、耳慣れた曲をよく弾いているのだが、かなり「チャレンジャー」なところがあり、弾きこなせない曲をまるで練習するが如くに弾いている。好きな曲でも、聴くのが辛いことが多い。
が、今日のピアノは、音が違う。かつて一度見かけた、異邦のおじさんのピアノに違いない。と、吹き抜けのホールを見下ろせば、やはりそうであった。
曲名は知らぬが、しかし難易度の高い曲を、滑らかに、温かく、とても自然に弾きこなしている。彼の指の動きが見られるこんないい場所から、美しい旋律を聴くことができるのは、なんともうれしいことである。
しばらくを、そこで過ごした。
ところで、左の写真は、我が家に出入りするようになった野良ネコのモカである。
本人は、全身隠れているつもりのようだ。
そこを、ズームで撮影した。
まだ、姿を現して写真撮影に応じてくれるほど、親しくなってはいない。
さて、火曜の朝、夫は早起きをして、スタジアムまでクリケットの試合を見に行った。平日だというのに。お弁当を持って。嬉々として。
休みを返上して仕事をすることもあるのだから、こんなことがあってもいいだろう。だからって、友達を誘うのはよしてほしい。
結局、みなに断られて(当たり前だ)、一人で出かけていった。最後の最後まで「一緒に行こう」としつこく誘われたが、辞退した。なにしろ、朝の8時に出かけて、帰って来たのは午後5時。丸一日、である。
わたしは夜、PWG (Professional Women's Group) の集いに出かけた。20名ほどの女性たちが集い、スピーチを聴き、会話を楽しむ。
会社勤務の女性たちが多く、従ってはグループを組織するのが難しい。わたしも少々、手伝うことにした。英語がネイティヴ並みにできれば、もっと積極的にあれこれとやるのだけれど。
「英文が下手」というのが、今のわたしにとって最大の弱点である。
英文が日本語並みに書けたら、どんなにいいだろう。今世では諦めた。と言いつつも、その姿勢が間違っているのかもしれないとも思う。どれほど努力すればいいのか、わからないからなおさら二の足を踏む。
英文を読んだり書いたりするよりも、日本語でそれをする方が、はるかに楽しく早いのだ。
などと言い訳をする暇があったら、やっぱり、もっと努力をするべきなのだろう。そうなのだろう。だがしかし……。