4泊5日の東京滞在は、怒濤のように流れて行った。今回は、東京にいながらも、インド風味満点の滞在であった。
本日、午前中に行ったクライアントでのプレゼンテーションも無事に終了。
「インドの衣食住&美」について、写真をふんだんに用いつつ、「100%坂田視点」による個性的なものとした。
途中で、インド菓子&チャイを楽しんでいただき、サリーや布などテキスタイルに触れていただき、ついでに、それらに染み付いている「インド臭」に包まれていただき……と、五感でインドを感じていただく1時間半。
自分が話していても、とても楽しいものであった。
さて、『日印グローバル・パートナーシップ・サミット』でのレポート。濃密な経験のごく一端ではあるが、記憶がシャープなうちに、ここに整理しておきたい。
正直なところ、この日印サミットが、実際どれほどのものなのか、事前に詳細のイメージをつかむのは難しかった。敢えて自費で訪れるほどの価値があるのか。
が、一度出席する以上、「いい経験」にする努力をせねばならない。
●日印ビジネスに関する見識を広める。深める。
●ネットワークを構築する。
●久しぶりの東京の様子を見る。
といった軽めのミッションを自分に課して、出発したのだった。そのための準備はと言えば、大量の名刺&サリー持参であった。
名刺は、大量持参しすぎて余ったが、それなりの交流は図れた。また、サリー着用作戦は、予想以上の大成功をおさめたのだった。
ところでサミットが開催されたこの「ザ・プリンス・パークタワー東京」。まさに東京タワーのすぐそばに位置するのだが、今回は隣接する東京タワーや増上寺どころか、ほとんど都内を巡る機会がなかった。
朝食は和洋2種のレストランで食べられるのだが、どちらも3000円と高い! が、軽く食べに行く場所が近所にないため、東京タワーを眺めるのを口実に、初日は最上階の展望レストランへ。
雰囲気も、メニューも、「超、昭和」なムード漂う、築7年の新しいホテル。ミステリアスなほどに庶民的なインテリアだ。小さい器は茶碗蒸し。スパゲッティあり、白飯あり、スクランブルエッグあり、ベーコンあり。
わたしの着ているサリーは、モダン系の店で購入したもの。菊の御紋風がジャパネスクな着物テイスト故、選んだ。
さて、プログラムには正午開場、受付開始で3時ごろよりサミット開始とあったので、早めに行って展示でも見ようと足を運んだところ、「受付は1時半からです」とのこと。
いきなり、1時間半の遅れ。たとえここが日本でも、インドが関わる限り、時間は軽く遅れるものなのね。と複雑な気持ちで納得しつつ、ホテル内のカフェへ。
コーヒー1杯1200円に釈然としないものを感じつつも、コーヒーを飲みつつ、資料などを読むひととき。
1時半には、早めに到着した人たちで入り口付近はあふれかえり、受付は混沌の極み。日本人が対応しているのに、「ここはインド?」状態だ。
「インド各州の展示」については、正直なところ、常日頃インドの各地で展示会などを訪れている身としては、非常に物足りない印象を受けた。
ブースを購入していながら、準備ができていない企業や州政府(ケララ)などもあり、なんともったいないことか。
ケララ州のアーユルヴェーダ。メディカルツーリズム関連など、わたしがプレゼンをしてあげたいくらいだった。
さて、2時をすぎると、各会場や通路に人々がたくさん集まり始めた。
お茶のデモンストレーションや着物の着付けなどが行われている。わたしは日本人ではあるが、おいしい和菓子やお抹茶をいただきつつ、一息。
サリー効果はもうしょっぱなから発揮され、ともかく、いろいろな人(インド人)が声をかけてくる。
「あなたはどこから来たの?」
「あなたは、北東インド出身?」
「なぜ、そんなに普通にサリーをうまく着ているの?」
「まるで毎日着ているかのような自然さだが、いったい誰に着せてもらったの?」
「いくつの安全ピンで留めてる?」
そこから自己紹介、名刺交換が始まる。本当に、いろいろな方から声をかけられた。
事実、3日間のフォーラム開催中は、びっしりとプログラムが詰まっており、ゆっくりと人と交流する時間がなかった。
2晩に亘って行われた晩餐会も、着座式だったので、出会いを求めるのは簡単ではなかった。しかしサリーのおかげで、主にはインド人とはいえ、いろいろな方が声をかけてくれたことは、本当によかった。
『仰天ライフ』のテレビ番組を見たという日本在住のインド人女性が、「あなた坂田マルハン美穂さんでしょ? コックスタウンに住んでるでしょ?」とピンポイントな声をかけてもくれた。バンガロールの出身らしい。
子分(!)を携えたヤクザな風貌の、おじさんが近寄って来て、「サリーがすばらしい」とほめてくれる。
「バンガロールに住んでいるんです」
と答えたら、彼は驚いた表情で名刺を出す。カルナータカ州(バンガロールのある州)商工会議所の副所長であった。
「なにかあったら、いつでも俺に電話してくれ!」
インドの人たちというのは、一度知り合うと、本当に親切にしてくれる。それは間違いのないことだ。名刺交換の意義は、だから非常に大きい。
本当は、インド進出を考えている日本の人たちとのネットワーク構築を狙っていたのだが、それは圧倒的に少なかったのは事実。
その他にも、「一緒に写真を撮ってくれませんか?」と言う人もいて、最早「出し物」状態だ。
女性の参加者は少なめだったものの、着物の着付けコーナーは何人かのインド人女性がトライしていた。派手な振りそでが妙にお似合いのマダム。とてもかわいい。
開会式には、日本の歴代首相4名も登壇しての、政治色の強いものでもあった。日印協会会長であり、今回のサミットの名誉議長をつとめる森喜朗元首相。
彼が在任中の2000年にインドを公式訪問。インドの核実験で冷えていた両国の関係を再構築した。それから10年経ち、このような日印政財界を以ての共同サミットは、初めての開催となっている。
義姉スジャータの夫、ラグヴァン博士の父君、ヴァラダラジャン博士は、日印の科学者会議などを通し、森氏とも親交がある。事実彼が、日印友好に尽力していたことは、日本のメディアからではなく、博士から聞いていた。
日本側の共同議長には、鳩山由紀夫元首相、安倍晋三元首相も名を連ねているため、この日は歴代首相を一度に目にする珍しい機会であった。
それがインドに関することとなると、政党派閥を超えた付き合いができるということらしく、みなさん、メディアで見るよりもはるかに笑顔が多い、にこやかな挨拶ぶりであった。
本当は「首相として参加」の予定だった菅直人元首相も飛び入りでの挨拶となり、妙になごんだ開会の様子だ。
左上はインド首相補佐官のサム・ピトローダ氏。彼はわたしの夫の勤める会社(米ニューヨーク拠点のプライヴェートエクイティ)とも関係があり、夫も面識のある人。
右上は、インド新興財閥のリライアンス・グループのムケーシュ・アンバニ会長。世界大富豪の一人で、ムンバイの中心部に過激豪邸を建てたことで「顰蹙をかっている」人でもある。
リライアンスグループについては、過去にさまざま記事を書いているので、「ブログ内検索」で見ていただければと思う。
ヨギ(指導者)で神秘主義者のサドゥグルの詳細については、こちらのサイトをご覧いただきたい。
さて、初日は、開会式に始まり、基調講演、総会と続き、晩餐会に突入。
わたしは一介のフリーランス。
もちろん、一般人なので、周辺の席に座るのだが、なるたけ「VIP寄り」のテーブルを狙う。
ここでも思いがけず、いろいろな方が声をかけてくださり、食事もそこそこに、立ったり座ったり。
「メディア」でもないのに、メディアのカメラマンたちと同じようなスタンスで写真撮影などもできて、楽しい。
パンダ的な風貌のインド首相補佐官サムは、「一緒に写りましょう!」と自ら声をかけてくださった。
安倍さんは、普通に無防備に立っていらしたので、隙を狙ってご挨拶&名刺交換。たいへん気さくで温厚な印象の方である。
日印双方のさまざまなパフォーマンスも行われ、非常に賑やかな会場だ。
中でもインパクトがあったのは、コシノ・ジュンコ氏がプロデュースした日印ダンスグループによるコラボレーション。
ダンサーたちのファッションは彼女のデザイン。日本とインドの「静と動」を融合させたとのこと。
意外にもコシノさん、今回のプロジェクトが初めてのインドだったとのことで、インドのファッションにかなりインパクトを受けたとのこと。
ダンサーの手足のメヘンディ(ヘナ・タトゥ)も興味深く、今回取り入れられたのだとか。
インド風味満点の初日を終えて、とても東京に来ている実感がわかないままの一日。
総会などでの人々の話についても、コメントしたいことは多々あるのだが、具体的な内容について言及していると尽きないので、後日、機会あれば、記したく。
さて、二日目。目覚めた瞬間に「今朝は日本食だ!」と心身の叫びが聞こえた。
前夜の食事が、いったい何の料理だったか、最早思い出せない。ヴェジ/ノンヴェジがあり、ノンヴェジ(チキン)を頼んだのだが、日本料理でなかったことだけは確かだ。
ごはんがおいしく、みそ汁も美味。正直、それと明太子だけでも十分だから1000円にして。と言いたいところだが、そうもいかず。朝からがっつり、すべて食べ尽くす。ご飯も2杯。満足だ。
ちなみに本日のサリーはオリッサ州のイカット(絣)のサリーを選ぶ。
先日、誕生日の際に着用した、このサリーだ。
これは、若い職人が1年半かけて織り上げたマスターピース。
我がサリーの中で最も価値ある一枚だ。
偶然にもこの日、オリッサ州の若き州議会議員とも名刺交換をする機会があった。
オリッサの有名な寺院がモチーフとなっているこのサリーを着ていたことを、喜んでいらした。
日本の絣のオリジンはインドにある。そういう意味でも、日印の結びつきを思わせるサリーなのだ。
さて、いよいよ今日は、各種フォーラムの開催だ。
●ビジネスフォーラム
●政策フォーラム
●学術研究フォーラム
●青少年、文化、NGOフォーラム
上記それぞれが、複数の会場にて、同時進行にて開催される。それぞれのカテゴリーにおける、どのテーマのフォーラムに参加するべきか、もまた、悩むところ。
とりあえず、午前はまず、「DMIC(デリー・ムンバイ間産業大動脈構想)」に関する総会に出席。あらゆる面で、現実のインドの状況と理想論の乖離を痛感しつつも、とりあえず、聞く。
さまざまな制約があるであろうにしても、インドの現状が伝えられていないプレゼンテーションの数々。
インドを訪れたことのない人に、どこまで現実的なイメージが伝わっているのか。それはサミット開催中、絶えず気になったことであった。
終始していたのは、「日本の技術力とインドの人材を融合させると最強だ」といったコンセプト。
しかし、インドの大多数のニーズは、日本ほどの「ハイテクな技術」を要していない、ということを、周知すべきだと、思うのだ。
「ハイテクなローテク」の方が、むしろニーズがあるしビジネスチャンスがある。
たとえば、思いつきで書くが、家電よりも、手動でできる便利な洗濯機械や脱水機。
高度な機械よりも、まず質が良くて丈夫なヘルメットや軍手や地下足袋のような、労働作業員の衣類。
ぼろぼろのつるはしではなく、もっと軽くてきれのよい作業道具。
埃の除去が速やかに行える掃除道具。
性能のよい足踏みミシン。
取り扱い易い各種部品、パーツ……。
などと、書き上げればきりがない。
具体的な話はまた改めるとする。
今回のフォーラムとして、最大の問題点は、時間の仕切りが非常に悪いこと。それから、複数名のパネリスト同士のプレゼンに、まったく連携がなかったことなどが挙げられる。
多くのパネリストを招いているせいか、一人当たりの時間が10分程度。広く浅すぎる。そして自分の持ち時間を大幅に超過する人がいて、これにも正直、あきれた。
それが、インド人ではなく、日本人に多かったのも、驚きであった。
誰とは書かないが、経済界の重鎮が、日印ビジネスとはまったく関係のない自分の功績を、延々と40分近くも話し続けたことには、憤りを覚えた。
しかも、その人の言わんとすることは、「利他の心」「私欲を捨てよ」「人を思いやれ」といったこと。仰っていることは共感を覚えるが、同じような話が何度も繰り返されるばかり。
それならば、人を思いやって自分の話を切り上げてほしいものだ。
冒頭の遅れが原因で、2日目のプログラムは、全体に大きく遅れることとなり、持ち時間が少なくなったインド人の識者が憤慨して、プレゼンを放棄しようとする事態もあった。
プレゼンというのは、与えられた時間内におさめるべきものだ。特に、他の人と時間とシェアしているときには。
それはそうと、上の写真。VIP席がガランとしているそばで、話を聞いていたら、だれかがひっそりと、腰掛けた。左端のお方、鳩山さんだった。さりげなく入場され、さりげなく去られた。
時間がおしていたので、ランチタイムの弁当も20分足らずで食べねばならず。同席した方とお話をしつつ、瞬く間だ。このような時間が実は大切なのだが、仕方がない。
午後は最初、NGO/文化フォーラムの「インド文化に関するプレゼン」に出たが、ピンと来なかったので、静かに退席。ビジネスセッションへ移る。
「エネルギーと環境問題。インド都市部における上下水道の実情」などについて。
やはりここでも、プレゼンの内容が表層的かつ数字を追うものがメインだったので、個人的には、概要をつかむことに捉えるにとどまった。
インド。
統計、データなどの数字は大切だが、数字よりもまえに、数字では表せない事象に、実は大いなる意義が込められているということを、ビジネスの上でも、念頭におくべきだと痛感した。
なにしろ、インドは平均値が出せない国。統計も、目安どころか、足かせになることもある。
自分の狙う業種の可能性を知るためには、データだけを追うのではなく、まずはインドへ赴きその業界の実態を見る。ライフスタイルを肌身に感じた上で、事態を分析、戦略を立てる必要があると思う。
その後、「インドにおける消費者製品(コンシューマーマーケット)」のセッション、そして「インドにおける新たな電力開発の在り方」のセッションに参加。
インドの日用消費材(FMCG)の伸びは、著しい。しかし、個人的な見地から言えば、Hindustan UnileverやらP&Gやらの、猛烈な勢いが、本当に恐ろしい。
まず一つは、ゴミの問題。小さなパック入りの洗剤やシャンプーなどが低所得者層に向けて販売されているが、それは即ち、ゴミを猛烈に増やしている現実を意味している。
それらに限らず、あらゆる商品のパッケージの激増に、その懸念が該当するのだが。
日常、プラスチック、ビニルのゴミが町の至る所であふれているのを見ると(インドはゴミ焼却のシステムが整っていない)、製造する前に、ゴミ処理が先だと思わざるを得ないのだ。
次いで、環境汚染。我が家では、シャンプー、洗濯洗剤、台所洗剤、すべて自然に悪影響を与えない、泡立ちは悪いが素朴なものを用いている。
なにしろ、合成洗剤の激増で、河川の汚染は、すさまじい勢いで進んでいる。焼け石に水だと言われようが、看過する訳にはいかない。
ここでも幾度となく記しているが、生ゴミはすべて庭のコンポストで肥料を作り、その他のゴミも極力出さない生活をしている。
売ること、利益をあげることを考える前に、まず企業がすべきは、自分たちが生み出した商品(=汚水)、パッケージ(=ゴミ)の行方についても、思いを至らせることだと思う。
いかにも「希望いっぱいのインド市場」を熱く語る人たちを見て、そう思わずにはいられない。
環境問題のセッションと、市場開拓のセッションとの、同時進行ながらすれ違った印象の内容を、自分なりに咀嚼しつつも、不完全燃焼。
この日のセッションで収穫が一番大きかったのは、実はインドとは関係のない、「2012年日本の見通し」という総括セッションだった。
これに関しては、思うところが山ほどあったので、別の機会に記したい。
まずは、新総理の野田さんが登場。さすが現職だけあり、特設のガードされた通路から壇上にあがり、挨拶をし、写真撮影を終え、再び去って行った。ガードマンに囲まれ、隙がない。
それにしても、現総理と元総理とでは、こんなにも、変わってしまうものか、というくらいに……。
鳩山さん、隙だらけ。
正味な話、会場には数百人のゲストがいる。だが、元首相に挨拶をしにいこうという人はほとんどいない。
だからこそ、わたしのような、肩書きもなにもないフリーランスの人間が、ご挨拶することができた。
今日も今日とて、VIP席界隈に座り、鳩山さんが、ぽつねん、としていらっしゃる隙を見計らってVIP席へ接近。
しばらくお話をしたのだが、かなり「個性的なお方」との印象を受けた。
自分は元首相好きなのか、と自分に突っ込みつつ、写真撮影もお願いする。
せっかくインドから来たのだもの。
ネットワーク構築&思い出作りである。
鳩山さん、辛いときにはインドの寺院でお祈りをなさるらしいので、バンガロールにもぜひ、とお伝えしておいた。
念のため記しておくが、わたしはなにも生まれついて、このように社交的なわけではない。30歳までは、普通にパーティでの会話も苦手な、一般的な日本人であった。
しかし、ニューヨークへ渡り、起業し、自分の力でネットワークを広げ、仕事を得なければならないという「切羽詰まった事態」に陥ったころから、それなりに努力をして、人と会話をするようになった。
その後、夫の仕事のパーティなどを通し、より広い世界の人々と出会って来た。
最初は英語での会話が辛かった。が、徐々に、それなりの交流を図れるようになってきた。
つまりは、最初から怖いもの知らずでドシドシと突き進んできたわけではない。ということを念のため。
わたしが、合掌をして、「ナマステ」とご挨拶したら、その手を両手で包み込みながら、
「あなたは、インド人よりも、インド人のようだ」
と、サリーをほめてくださる。
英語はインドなまりではなく、話し方も非常に洗練されており、ウィットに富んだ方だとお見受けした。
「日本に来たのは初めてですが、すばらしい国だとの印象を受けましたよ。でも、実はホテルから一歩も出てないんですけどね」
とのこと。チャーミングなお方である。
さて、時は瞬く間に流れ、最終日。この日は午前中のビジネスセッションのみで、昼過ぎには閉会式となる。最後とて、今日もサリーを着用だ。
こうも毎日、しかも長時間サリーを着続けるのは、さすがに初めてのことである。
さて、本日のサリーは、バラナシ(ヴェナレス)のサリー。
繊細な織りが美しいサリーだ。
金糸の色が渋いため、けばけばしさがないのがいい。
これはムンバイの老舗サリー&テキスタイルショップで見つけた。
動物柄がユニークな、しかしまとえば上品な印象のサリーである。
さて、複数あるセッション。最終日の今日を無駄にしたくない思いもあり、どれを選ぶべきか迷う。迷いつつも、まずは「低炭素社会の実現に向けて日印ができること」というテーマのセッションへ。
恒常的に電力不足のインドにおいて、自然環境へのダメージを最小限にとどめるエネルギー創出の技術を提供するということは、極めて意義深いことだと思われる。
電力と水の問題は、非常に大きい。
雨水があっても、その浄水システム、給水、配水のシステムが整っていないため、常に水不足の問題を抱えているインド。
特に中流層以下の人々にとっては、洗濯機購入よりも前に、電気や水の安定供給が先決なのだ。
そして最後は、「日印の観光ポテンシャルと日印相互の観光促進の在り方」というテーマのセッションへ。
日印双方の観光に関するプレゼンに加え、今回の日印グローバル・パートナーシップにおいて、第一の参加国であるネパールからも、仏教に関するプレゼンが行われた。
仏陀生誕の地ネパール(ルンビニ)、仏教発祥の地インド、そして仏教国の日本。
日印の観光に関しても、個人的に思うところ多く。
互いが互いの実情をより深く理解し合えれば、観光客の誘致がもっと的を射たものになると察せられることなど。
日本人をインドに招くためのポイント、インド人を日本に招くためのポイント、思いつくだけでも、それなりにある。
セッションのあと、ご挨拶をと壇上に近寄るわたしに向かって、「仏陀のようなファッションですね」と軽やかなコメント。
先だって、「レディ・ガガから3回、キスをされた」とおっしゃっていた。
ノリのよいお方とお見受けする。
さて、実際のところ、日本の観光庁が、どこまでインド観光客に対してアプローチしようと計画しているのかは不明だが、インド人の日本に対する関心は、決して低くない。ポテンシャルは高いと思う。
特に、都市部の富裕層の多くが、日本への旅行に関心を持っているのは、間違いない。
それはそうと、またしても、ふらりと会場に入ってこられた鳩山氏。ご多忙に違いないはずだが、きちんとサミットを把握しようとされているご様子が、伝わってきた。
と発言をする溝畑氏を制するの図である。
何はともあれ、最後の最後まで、サリーのおかげで、多くの方々とご挨拶&名刺交換をする機会が得られたことは、本当によかった。
観光に関しては、具体的に思うところがたくさんある。だめでもともと、何らかの形で、提言をさせていただきたいと考えている。
初の日印グローバル・パートナーシップ・サミットは、こうして盛況のうちに、幕を閉じた。
率直にいえば、セッション自体、とくにパネリスト同士の連携が取れてない点や、時間不足の点、テーマが茫漠としている点、また理想論と数字ばかりが先行している点が多かったことについては、首を傾げるところが多々あった。
一つでも、臨場感に満ちた、インドライフに根ざしたプレゼンがあってしかるべきだとの印象も受けた。いっそ、部屋を一つ借りて、自分が「ゲリラ・プレゼン」でもしたい衝動に駆られた。
当然、それは叶わなかったが、本日、クライアントで1時間半、インド生活を体感するようなプレゼンができたことは、本当に光栄だった。
今日も今日とてサリーを着用。ホテルをチェックアウトし、荷物をタクシーに積んで赤坂まで。タクシーを降りてからはもう、人々の視線に、自分がいかに変わり者に見えるかを実感しつつ、プレゼン会場へ。
「サリーからインドの匂いが……」
とのコメントに、やはりな、と実感しつつ。
前述の通り、インドから持参したスナックなどを広げて、さらにインドの匂いをまき散らしつつ、立体的な「インド衣食住美」のプレゼンを行った。
ところでサリーのブラウスは、ピチピチが基本。ゆるみがあると、見た目も悪いし、着崩れし易いからだ。
そんなわけで、ぴちぴちサリーのブラウスで登壇したのだが、話し始めたころ、「酸欠状態」になりそうで焦った。
ブラウスがぴちぴちゆえ、深く息を吸えないので、普段よりも細切れな息継ぎが必要なのだ。
ぐっと深呼吸をしようものなら、キューティーハニーの変身時状態になってしまう。誰も見たくなかろうという話だ。
というか、我ながら、いったい、どれだけの肺活量でしゃべっているのか、という話だ。
にも関わらず、頭はいつも通りのスピードを持続しているため、しゃべっているだけで小走り状態である。今後、プレゼンの際にサリーを着用するときは、「緩めのブラウス」が鉄則だと実感した。
話尽きないところではあったが、3日間、受け身が続いていただけに、こうして能動的にインドを語る好機を与えていただけたことは、今回、特に有り難かった。
インド来訪経験のある方にも、ない方にも、新たなインドの側面を楽しんでいただけたと思う。
そんな次第で、無事、プレゼンを終え、ランチのあと、羽田空港へ。夕映えの富士山を眺めつつ、福岡へと戻ったのだった。
さて、明日もまた、プレゼンだ。サリーブラウスの具合に気をつけて、挑みたいと思う。