わたしは、「常に前倒し」のスケジューリングで進める性分なのだが、インドの環境は、あっさりとそれを妨げる。自分に心地よい時間の感覚とは、大幅に異なるインドにおいて、よく生活できているなと、つくづく思う。
2年半ぶりの一時帰国を前にして、諸々がギリギリのタイミング。新居の内装は「7割程度」しか終わっていないが、必要最低限は出発前にすませられそうだ。
昨日は、僧侶(プージャーリー)を招き、落成のプージャーを行った。「シンプルに」とお願いしていたが、1時間近くに及ぶ、気合の入ったものだった。オイルランプを灯し、ココナッツや果物、花々を備え、読経を唱える。
僧侶の指示に従い、読経に「合いの手」をいれるように、わたしたちは香木や薬草などを交互に火に投げ入れる。そこに僧侶がギーをふりかける。まさに火に油を注ぐ。
インドの家は石造りなので、火事になることはなかろうが、日本の家ならば炎上ものである。
同じコミュニティに住んでいる友人のYashoとHariが駆けつけてくれた。とてもうれしい。わたしが着用したのは、YashoのサリーブランドMrinaliniで購入したサリー。偶然にも、Yashoもピンク系のサリーを着てくれていて、さらに、うれしかった。
プージャーひとつをとっても、インドの歴史や伝統を物語るさまざまな要素が包摂されている。事細かに記したいところだが、尽きぬので簡単に。
新居に煙が立ち込めたのでは、煤けるのではないだろうかと心配される向きもあるだろう。わたしもそう思った。しかし、この煙こそが、害虫などから家を守り、清める役割を果たしてくれるのだという。
香木や薬草を投入した後は、小麦、米、ゴマ、各種豆類など9種類の穀物を順番に投げ入れる。これは、以前何度か宝石の記録で言及した「ナヴラトナ(太陽や月をはじめとする惑星など計9種)」を象徴しているのだと、Yashoが教えてくれた。
宝石の場合は、ルビーが太陽、ダイヤモンドが金星、エメラルドが水星……といった意味を持つ。穀物の場合、小麦が太陽(スーリヤ)、米は月(チャンドラ)を意味するという。また、9つの構成のなかには、RAHUやKETUという日食や月食に関連する言葉も含まれている。
何につけても、深いのだ。
深いのだが、燃え盛る炎を見ているうちに、21年前の7月、蒸し暑さが極まっていたデリーにて執り行ったわたしたちの結婚式を思い出した。初めてのインド。初めての結婚式。なにもかもが異次元の世界に放り込まれて、厳粛な気分にはなれず、燃え盛る炎を前にして笑いが込み上げてきたものだ。
そして昨日も、結婚式のことを思い出して、途中で何度か、過剰に微笑んでしまった。
写真を見返すに、まさに2度目の結婚式。結婚式のときには、新郎新婦が炎の周囲を7周したが、今回はYashoとHariも一緒に、炎の前を3周した。
ついでに先日購入した、妻専用の車のプージャーもしてもらい、コミュニティ内を軽くドライヴ。ギリギリなりに、大切なことをすませられて、一安心だ。
夜は近所にできたばかりの、一大スポーツセンター、THE PADUKONE-DRAVID CENTRE FOR SPORTS EXCELLENCE (CSE)へ。この施設内にあるカフェレストランAmiel Gourmet が人気だというので夕食をとることにした。マンハッタンの街角にある一般的なカフェ……といったカジュアルな風情ながら、出された料理のおいしさにびっくり。
マッシュルームのスープ、シーザーサラダ風、鴨肉のグリル、魚のグリル……どれもおいしくて、二人でシェアしながら完食。帰りにスイーツやクロワッサンも購入した。
2013年に、物件を購入すべく訪れたときには、この界隈は茫洋と空き地や荒地が広がるばかりだったが、過去10年間の変貌は目覚ましく。ともあれ、街を離れて、適度に便利で、しかしのんびりと牧歌的な情景が広がる場所にも拠点を得られたことを、幸いに思う。