🇮🇳In the first photo, Ashdeen is holding a Kyoto Yuzen saree. I am holding Ashdeen's Saree named "KYOTO".
🇯🇵1枚目の写真。Ashdeenが持っているのは京友禅サリー。わたしが持っているのは「KYOTO」と名付けられたAshdeenのサリー。
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I was able to meet Ashdeen because Laila Tyabji wrote about me on her Facebook and Instagram. Thank you!
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(I nearly always write in Japanese, and the auto-translation is often incorrect and misleading.)
インドでは、日本に比べると家族や親戚、友人知人との繋がりや絆が強い。宗教やコミュニティなど、多様性にあふれているから、自分たちの伝統や文化を守るために、血縁を尊重する。
一方で、異なる背景を持つ人たちと共存していくためには、言葉少なに憶測や忖度で、通じ合うことはできない。交流や対話は、インド世界を紡ぎ続けるうえで、最も大切な事象だ。
さて、今回のデリー旅では、そんな「人と人との繋がり」と「ソーシャルメディアの力」を強く感じさせられた。
デリー旅の5日目、わたしはDASTKARの創始者のひとりであるLailaにお会いした。彼女がすぐに、わたしのことをご自身のソーシャルメディアに投稿してくださったことは、すでに記した通りだ。
その投稿を、わたしが3日目に訪問していたパールシー刺繍店Ashdeenの創業者であるAshdeenが見て、わたしのInstagramを確認。わたしが店舗を訪れた際の記録を見た彼から、即、メッセージが届いた。
わたしが手がけている仕事に関心を持ち、会いたいと連絡をくださったのだ。彼のその作品を見ても察せられる通り、Ashdeenは日本にも強い関心をお持ちだ。
次回のデリー訪問時に、わたしの方からお会いしようと打診をする予定だったが、先方から連絡を受けたとなると話は別。市場調査という名のショッピングは返上して、Ashdeenを再訪したのだった。
絵画などの芸術品と同様、パールシー刺繍のサリーもまた、その背景となる物語をお聞きするのとしないとでは、作品に対する見方が大きく変わる。
パールシーのコミュニティや、刺繍の背景については、わたしも多少の知識はあるが、Ashdeenの説明は、初めて知ることばかりで、本当に楽しく興味深い。今度は動画を撮影しながら、改めてじっくりとお聞きしたいと思わされる。
パールシーとは、今から1000年以上前に、ペルシャ(現在のイラン)からインドに移住したゾロアスター教徒のこと。西暦651年に、イスラム教徒から迫害された彼らの末裔は、やがて西インドのグジャラート州に辿り着いた。
ペルシャから運ばれた神聖な火を崇めることから、拝火教とも呼ばれる。寺院には、ゾロアスター教徒以外は立ち入ることができず、基本的には同族との婚姻が一般的。インドにおいて、極めて少数派の宗教ながら、タタ財閥を筆頭に、社会的に影響力が強いコミュニティでもある。
タタ財閥の創始者であるジャムシェトジー・タタが綿貿易会社を創設し、神戸を拠点に日本とインド間の貿易を始めたことなど、歴史的な背景についても坂田のセミナー動画で触れているので、関心のある方は、ぜひご覧いただきたい。
かつて世界史に出てきた「三角貿易」の話をご存じだろうか。主に17〜18世紀にかけて、英国により展開された貿易構造のことで、3つの国や地域が関係する大西洋での貿易を指す。
Ashdeenは、自分の出自を探るべく、イランや中国を旅し、パールシー刺繍についての研究をしてきた。彼によると、英国、インド、中国(清)が、綿織物、茶、阿片(アヘン)の取引をしていた時代、パールシーの商人たちは、広東に赴き、積極的な貿易をしていた。
中国の精緻な刺繍(汕頭/スワトウなど)を目にした当時の貿易商らは、妻たちのサリーに刺繍を施すことを思い立つ。インドから約5メートルの絹布を持ち込み、広東の職人に刺繍を施してもらい持ち帰る……。
艶やかな刺繍のサリーは、瞬く間にパールシー女性たちの心を惹きつけた。やがて男たちには任せられぬと、女性たち自ら広東へ赴き、自分たちの好みを伝え、パールシーと中国の「折衷」デザインが誕生していったという。主には、サリーの両端に施すボーダー部分の刺繍物が普及したようだ。
あまりにも興味深い話ばかりで、書きたいことが尽きぬ。背景はこの辺にしておこう。
Ashdeenの説明を受けながら、中国の伝統や自然、言い伝えなどが反映された見事なサリーを眺める。一つ一つのモチーフに、物語がある。2012年にAshdeenを創業した当初は20人程度だった職人が、今では200人ほどにも増えているという。
作品の大半が、ベンガル州出自の職人たちによるもの。フレンチノットと呼ばれるベンガル州の特徴的な刺繍が施されたサリーもあり、関心も話も尽きない。
最後に、ぜひAshdeenに見せたいとお持ちしていた「京友禅サリー」を広げる。その麗しさに、彼も感嘆していた。
「これは、丹後縮緬(たんごちりめん)と呼ばれる絹布です」と説明すると、Ashdeenが反応した。
「チリメン? 」
中国で彼らが購入するジャカード織やクレープ素材の絹布は、ChirminとかChrimenと呼ばれているらしい。中国から日本に流れた絹織物の技術や伝統が、日本の技を取り込みながら育まれ、再び中国へ流れて「チリメン」と呼ばれることになったのだろうか。
インド生まれの絞り染め(Bandhani Tie-Dye)が、日本流に育まれ、やがて「Shibori」として、インドに逆輸入されたのと、同じような経緯だ。日本とインドにおける絞り染めについても、ブログにまとめているので、ぜひご一読を。
京友禅サリーの黒いポルカドットを見ながら、「グジャラートの言葉で、ポルカドットのことを、カンダ・パペタ (Kanda Papeta) というんです」とAshdeen。どういう意味なのかと問えば、「オニオンとポテト」なのだとか。かわいい🧅🥔
短時間ながらも話は弾み、京友禅サリーとAshdeenとのコラボレーションも、実現できそうだ。まずは、12月2日と3日に計画しているバンガロールでの展示会を端緒に、少しずつ、イヴェントを企画しようと思う。
🇮🇳🇯🇵インドで生まれ、日本で育ち、再びインドへ。歴史豊かな絞り染めの世界。
Born in India, raised in Japan, and now back in India. The history-rich "Shibori".
https://museindia.typepad.jp/fashion/2021/09/shibori.html
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①多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念
②「広く浅く」インドの歴史(インド・パキスタン分離独立)/インドの二大政党と特筆すべき人物/テロが起こる理由とその背景
③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺
④明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈後編〉第二次世界大戦での日印協調/東京裁判とパール判事/インドから贈られた象/夏目漱石