浴衣は自分で着られるけれど、着物は着付けができなかった。しかし、昨日は、がんばった。友人宅のパーティに招かれたので、人生初、着物で伺うことにした。
着物は、先日の一時帰国時に福岡市天神の「新天町」という繁華街の呉服店で購入した中古。しかしながら、目立つ汚れやシミはない。正絹、総絞りの華やかな着物だ。帯や帯紐、帯揚げなどは、50年ほど「箪笥の肥やし」になっていた母のもの。
博多織であろう帯は、薔薇の花(多分)がモダンな美しさ。先日は前の部分も薔薇を見せたが、昨日は裏返して博多織独特の幾何学的な柄が見えるようにした。調べてみると、博多織は800年近い歴史がある。
たくさんの細い経糸(たていと)を使用し、経糸で柄を浮かせるように綿密に織られる。強く打ち込むため、張りや厚みがあり丈夫。締めたら緩まないということで、古くは重い刀を腰に差す武士の帯として使われたという。
長襦袢を押さえるため、これまた古い博多織の伊達締めを使っているのだが、これは身体にピシッとフィットして、いい感じだ。帯を締め込んだ時に「キュッ」と鳴る、「絹鳴り」とよばれる独特の絹擦れの音に風情が感じられる。
帯揚げは、やはり半世紀、未使用のまま化粧箱に入っていた正絹の絞り。帯締めもやはり未使用の麗しいもの。光沢艶やかな白に金が施されたそれらは、本来は礼装、正装向けらしい。しかし、ここはインド。クリスマス風のコーディネーションとして赤い帯に合わせた。正統ではない着方だろうけれど、合わせるのが楽しい。
先日開催した「着物とサリーの比較展示会」で、友人に着付けをしてもらい、コツを掴んだ……つもりだったが、そうそう簡単に習得できるものではない。
サリーの着付けの方が、何倍も、はるかに、簡単だ。
悪戦苦闘しつつ、なんとか完成! いざ出陣……の前に写真撮影。
写真を撮ってみると、襟抜き(着物の襟を後ろに引く)が浅過ぎて、うなじを美しく見せられていないとか、裾合わせが甘くて、広がって見えるなど、改善点が多々発見される。つい数カ月前までは、そのあたり、まったくわからなかったのに、関心を持った瞬間から審美眼が養われていくのは興味深いものだ。
着物だけでなく、襦袢や半衿、帯板、帯枕などの小物類もすべて50年ほど前のもので、使い勝手が悪い。半衿に入れる衿芯がふにゃふにゃとしており、襟元がピシッと決まらない。着物用の下着も含め、次回の一時帰国時には自分にぴったり合うものを探そうと思う。
それにしても、実感する。
着付けも、工事も、人生も、目には見えない「基礎」が大切だということを。
襦袢の襟元をしっかり着付けていないと、着物を羽織ったときにきれいにならない。また、着慣れていないからこそ、着心地も大切。襦袢の素材や品質は、いいものであるに越したことはないと身を以って学ぶ。
銀座の老舗で購入した、そこそこ良質の草履は、履き心地もよく思ったほど疲れない。来年は、色味の異なる草履を購入しようかな……と思い巡らすなど。今後はサリーだけでなく、着物を着る頻度も増やそうと思う。