結婚式は夕方から行われるので、マックスとアルヴィンド、妹夫婦とわたしは市内観光に出かけることにした。両親には、疲れが出ないよう、ホテルでくつろいでもらうことにする。
インドが最も暑いのは5月6月で、気温は40度を超えるという。この時期は35度前後だったのだが、何しろ湿気が多いのと、街がごみごみしているせいもあり、やたらと暑苦しい。寺院などの観光地を歩くのだが、わたしも妹夫婦も、かなりうなだれ気味。
マックスはシャワーを浴びたかのようにシャツが汗でびっしょりだ。しかし、北欧からイタリアまで自転車旅行をしたことのあるスポーツマンだけあり、細身ながらも体力はありそう。今度はイタリアからインドまで自転車旅行をしたいと張り切っている。たいそうなことだ。っていうか、無茶やろう、それは。
驚いたのは、アルヴィンドがちっとも汗をかいていないこと。ニューヨークではちょっと暑いだけで「ああ、暑い、冷房入れよう」などという癖に、わたしたちがうだっているのに涼しい顔をしている。やはり、母国の気候に身体が合っているのだろうか。
◉火に油を注いで暑さ倍増! 燃える結婚式
夕方近くになり、家へ戻る。数日前から家のバルコニーに結婚式用のやぐらが準備されていた。結婚式では火を焚くため、バルコニーで式を行わねばならないのだ。
家のゲートには、花が暖簾のように下げられ、通りや階段の両脇に、花びらが美しく施されている。家の外壁にはクリスマスのように色とりどりのネオンが光る。
結婚式は外で行われるから、気合いをいれて化粧をしても汗で流れ落ちるだろうと踏んで、いつもと変わらぬあっさりとしたメイクをし、親戚のお姉さんにサリーを着付けてもらう。
そのうち、日本の家族もホテルからやってきた。一応、父と義弟はスーツを着ているが、バルコニーは暑いので、早速、上着を脱ぐ。
スジャータがお母さんの形見だと言って、ゴールドの6連のバングル(腕輪)をくれた。わたしの手首にギリギリでちょうどいいサイズだった。わたしは身体に対して手が小さめなので入ったけれど、入らなかったら洒落にならんな、と思う。
妹に髪をまとめてもらい、結婚式用のバングルを更に何連も腕に付け(これも全部、入ってよかった)、祖母にもらった金のネックレスを付けて、わたしの準備は終わり。
式は6時半に開始、と聞いていたが、7時になっても、なんだか場のまとまりがない。結婚式はごく身近な親戚が50名ほど集うことになっているが、皆、三々五々やって来る。
男性の参加者は「ターバン巻き職人」から、ピンク色のターバンを巻いてもらう。もちろん、我が父も、義弟も巻いてもらう。
「で、式はいつ始まるの?」 とアルヴィンドに聞けば、「今、段取りを考え中」とのこと。なんとまあ、いい加減なこと。伝統的なインドの結婚式だと、長時間、あるいは数日間かけて、ヒンドゥーの儀式をせねばならないらしいが、今回は思い切り端折って肝心の部分だけを執り行うらしい。が、どれが肝心な部分かは、わたしにはさっぱりわからない。
ひとまず、「喜びの踊り」をすることになり、一同、わらわらと庭に下りる。ホラ貝の合図と共に、楽団の演奏が始まり、皆、人差し指を天に突き立てるようにして、阿波踊りっぽく踊る。我が母も、妹夫婦も、誘われて踊る。わたしは一応、花嫁なので、踊りには参加せず、2階のバルコニーから様子を眺める。
踊りを終え、ほどなくしてから、我が父と、ロメイシュが花輪(レイ)の交換をする。そしていよいよ、花で美しく飾り立てられたやぐらで式が始まった。
父は(本人いわく)、「抗ガン剤と放射線治療のせいで、体温の調整ができず、とにかく暑いのはだめだ」と言っていた。
「火の前で儀式をするのはわたしとアルヴィンドだけだから、涼しい部屋にいてもいいんだよ」とあらかじめ言っていたにも関わらず、いきなりわが両親もやぐらに駆り出される。
段取りとか、あらかじめの打ち合わせ、というのが、全くない。どういうこっちゃ! インド全体がこうなのか、ただマルハン家が杜撰(ずさん)なのか、知る術もない。※注/インド全体が、概ね、こうです。(20年後のコメント)
一家の精神的な大黒柱だったアルヴィンドの実母が生存していれば、もっと整然としていたのではないかと予測される。※注/そんなことは、ありません。(20年後のコメント)
さて、いよいよ、式の開始である。
わたしたちの正面に、ヒンドゥー教の祭司が座り、右側にわたしの両親、左側にアルヴィンドの両親が座る。祭司がサンスクリット語(梵語)で読経をはじめる。アルヴィンドも、そして通訳のお兄さんも、正確に、いやほとんど理解できない様子。
そこから、行き当たりばったりの儀式が開始された。わたしの父が、アルヴィンドの額に赤い粉で印を入れたり、わたしたち二人が水を酌み交わしたり……。そのうち、司祭の合図に従い、中央の釜に二人して薪を一本ずつ入れる。
何度か、ヒンディー語の読経を、祭司の真似をして口にしなければならない。必ず最後に「オーム」とつぶやく。ちなみに「オームom」とは「絶対的真理」という意味のサンスクリット語で、世界一切の調和などを表す神聖なる言葉だという。キリスト教で「アーメン」と唱えるのと同様に、「オーム」と唱えるのだ。
ギーと呼ばれる精製バターの油を、わたしとアルヴィンドがそれぞれが杓子ですくって、同時に薪にかける。ついに火が焚かれ、しばらくは、「読経→合図→火に油を注ぐ→読経→合図→火に油を注ぐ」の繰り返し。もう、暑い、油はもういい、勘弁してくれ! という感じだ。
ともかく熱気ムンムンのやぐら周辺。父親の具合が心配だが、この期に及んでは、どうしようもできない。我慢してもらうしかないだろう。何しろ「地の果て」だからね。
暑いし煙たいし、段取りはいい加減だし、厳粛な気分などかけらもなく、折に触れ、おかしさの波が襲って来て、笑いがこみあげてくる。
「だいたい花嫁は、こういうとき涙ぐむものなのに、美穂は何、笑ってるの?」
とアルヴィンドが耳打ちする。いったいこの状況で、どう感極まって、泣けというのだ!
両家の親からお菓子を口に入れてもらったり、二人の頭をコツンとくっつけてもらったりと、謎めいた儀式を次々にこなす。やっぱり、笑わずにはいられない。
終盤、二人は日本の子供の浴衣の帯のような紐で結ばれ、火の周りを7回まわる。そのあと、親戚の人たちに花びらを投げつけられるようにまき散らしてもらい、約1時間ほどの儀式は終了した。
「式次第」は「気分次第」だし、ともかく暑いしで、わけがわからない式だったが、楽しめたひとときだった。
そのあとは、お待ちかねのディナータイム。先日よりも増員した「タンドーリ屋」によるタンドーリ・チキンやラム、ナンに加え、ビュッフェのコーナーも設けられて、またしても、参加者は皆、食に走る。暑くったって、食欲旺盛!
この日の食事も、実においしかった。
式の2日前より、バルコニーにてテント作りが始まった。本来はモンスーンの時季につき、雨が降ることを想定してのテントだったが、実際には雨が降ることなく、従ってテントは不要だった。
玄関の一画に、花びらであしらわれた文様。「オーム」と書かれている。
家のゲートも、花の暖簾で彩られている。とても美しい。本来は、結婚式は嫁の実家が執り行うもので、場所なども嫁の実家が手配するという。式の日、花婿は「白馬に乗って」その式場に向かうのがならわしだとか。しかし嫁の実家が日本だから今回はしょうがない、ということで「白馬」は省略された模様。白馬、見てみたかった気もする……。残念。
日本の家族がホテルから到着。楽団がお出迎え! この写真は「ロマンティック」なぼかしの加工を入れているのではなく、冷房の入った車から蒸し暑い外に出たため、レンズが曇ったせいでぼけている。 タンドーリ・ケータリングのお兄さんたちもムードある演出。暑い中、熱い釜を前にしての作業は格別にたいへんなことであろう。暑苦しさが伝わってくる一枚。
姫は冷房の効いた部屋で着付け。親戚のお姉さんが、サリーを着付けてくれる。髪は妹がきれいにまとめてくれた。どこかから持ってきた花(ジャスミン?)を頭につけてくれる。いい感じ。
式が始まる前の、着崩れていない、爽やかな一枚。ピンクのターバンが妙な感じだが、ヒンドゥー教の結婚式でも、ピンクのターバンを、こうしてリボンのように巻くのが一般的らしい。他の人の結婚式の写真を見ていると、花婿だけは特別の大げさなターバンを巻いているものが多いが、アルヴィンドの場合、ゲストと同じ。つまり、一見したところ、誰が花婿かわからない。ロメイシュとは双子状態のファッションだし……。※注/最低限、地味な結婚式で。と頼んでおきながら、結構、いろいろ言ってるな(20年後のコメント)
3階からバルコニーを見下ろした様子。この四角いやぐらで「挙式」が執り行われる。
挙式で用いる道具。薪のほかに、スパイスなどが器に入っている。
とても末期癌から一時的に復活していたとは思えない、体格のいい父。当時63歳。
親戚のおじさんが、ホラ貝を吹く。これが「ダンスをはじめますよ!」の合図らしい。え? 躍るの? という感じで、日本の家族も玄関先に駆り出される。
大げさなヴィデオ・カメラも回っていたが、この時撮られた動画はたいへん質が悪く、観ていると具合が悪くなるのだった。
ラグヴァンもノリノリで踊る。マックスのシャツはこのあと、水浸し、ならぬ汗浸しになっていた。※注/結婚式の序盤でこの状態。気の毒なことをしたと思う。暑かったろうな。(20年後のコメント)
彼がタイから来てくれたスジャータ&ラグヴァンの友人。父の「前方」を歩く母をほめたたえた人物。一見「日本の家族?」と思わせる顔立ちに、親近感を覚える。
さて。踊りが終わったら、花輪の交換。間に祭司が立ち、日本父とインド父が花輪を互いの首に掛け合う。花輪の交換のあと、感激するインド父、日本父に抱きつく。祭司、「うわっ、抱き合う必要はないんだが……」という顔。
満面の笑みをたたえるインド父、ロメイシュ。非常にうれしそうである。
だいたい、両家の両親が、こうやってやぐらの下で式に参加せねばならないなど、一言も聞いていなかった。わたしとアルヴィンドだけが何かをやるのだろうと思っていたのだが、突然両親が駆り出されてしまい、なんてこった、と思う。知ってたんだったら、早めに教えてよ。
「父は病気だから、暑いところはだめなんです」って何度も言っていたのに、全然、聞いてないし。っていうか、誰も父を病気だとは思わないし。っていうか、あれだけ食べてりゃ、誰も病人とは思わないだろうけど。暑いのが苦手な父も、こうなったら乗りかかった船である。辛抱していただこう。
早くも謎めいた儀式が始まる。互いの手のひらに水を注ぎ、それを手から直接飲む。という儀式。言葉が古典的なサンスクリット語で、アルヴィンドもいまいちよく理解できないから、何をやってるのかさっぱりわからない。「いいなり」になって、何かをやっている、という感じ。意志なし。
式が執り行われている間、参加者は周辺でうだ~っと座っている。特に式に集中する必要はなく、雑談可。緊張感皆無。
サンスクリット語を日本語に訳そうとして、混乱の極みに陥る通訳のお兄さん。わっけわからんこと言ってまっせ~。と、込み上げる笑いを抑えられない姫。
燃えさからないでほしいと願う心とは裏腹に、ギー(バターの製油)を杓子ですくい、何度も火に注がねばならない。杓子にたっぷりギーをすくうアルヴィンドに、「ギーは少なめに」と耳打ちするわたし。両親はスパイスを撒いている。
「これでいいの?」という感じで、いちいち、確信のないまま進行する儀式。ところでアルヴィンド、参加者は「靴下を脱がねばならない」のではなかったか? なぜ、あなたは靴下を履いているのか?
祭司「わしだって、暑いんじゃよ。夏に結婚式をするとは、どういうことなんじゃ」
マックス「ターバンが…頭が蒸れる…」
ラグヴァン父「上着を脱ぐべきだったか」
通訳「実は僕、まだ日本語、あまりできないんだ」
突然、式への参加を命じられたK夫。姫の足許に石を置いたり、米菓子のようなものを分配したり、謎めいていながらも、それなりに重要そうな役割を担当する。
「こうやって手を握るんですか?」
「違う違う、手を挟むんだ」
「挟むって、どういう風に?」
「両手で、彼女の手を挟むんだ」
「こうですか?」
「そうそう」
もう、なにやってるんだか、わかりません。
今度は義姉のスジャータ登場。二人の首に、まるで日本の子供の浴衣の帯のようなものを巻き、それを結びつける。ちなみに、この絞りの布は「SHIBORI」とも、「ジャパニ(ジャパン)」とも呼ばれているらしい。
火の周りを7周回る。5周しか回っていない時点で、「もう7周回った」と言い張るアルヴィンド。だれも数えておらず。結局、もう2周、ちゃんと回ってもらったけど。いいのか? こういうことで。
式の前、ここでお菓子をたっぷり口に押し込まれるとの情報を得ていたため、口に合わないお菓子で過剰なカロリーを摂取するのはいやだなあと思っていたのだが、大した量を食べずにすみ、安心した。
「髪の生え際に、染料をぬりなさい」
「ここですね!」
「あ~っ! 違う、そこは額だ!」
なんか、全然違うところに、なんか塗られたみたいなんですけど。早く拭きとって!
ほのかにオレンジ色に染まった額。すでに化粧は剥がれ落ち、全身がベタベタ状態。写真で見る限りだと、あまり暑さが伝わらないのが残念。これはなんだか、頭をゴツンとさせられている。何が何だかもうわかりません。
最後に参加者の皆様からバラの花びらやマリーゴールドの花(宙に浮かんでいる!)を投げつけられて(本当に「投げつける」という感じ)、式が終了。あ~、やっと終わった! お疲れさまでした!
式が終わり、抱き合う新郎新婦。ではなく、抱き合うロメイシュ・パパとわたし。お父さんのハグ、強烈。
最後に記念撮影。これは式の前に撮影するべき一枚だった。みんな消耗しきっている。両父もラグヴァンも速攻でターバンは外しているし、わたしのサリーもなんだか着崩れているし。額はそこはかとなくオレンジだし。
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