🌏【異郷の食 001】Chino Hills, California, U.S.A. (Summer 1985)
海と山に抱かれた山陰地方の小さな女子大。地元の福岡で、高校の国語教師を目指して日本文学科の教職課程に進んだわたしは、入学以来、大学と寮とを往復する日々を送っていた。漱石、三島、芥川……。日本文学を読み漁る一方で、海外への憧憬は募った。
バブル経済に賑わう世間とは隔絶された世界で、午後7時の寮の門限に息を詰まらせた籠の鳥は、自ら扉を開け放ち、太平洋を飛び越え、カリフォルニアへと羽ばたいた。旅行会社が主催する1カ月の語学留学&ホームステイプログラムへの参加を決めたのだ。1985年の夏。九州近辺しか行き来したことのなかったわたしが、初めて異国の地を踏んだ夏。
「日本は狭い。小さな国だ」と言われても、日本しか知らないわたしにとって、玄界灘は広く、阿蘇山は大きかった。しかし、その尺度は、ロサンザルス国際空港に降り立った瞬間に、吹き飛んだ。それぞれに異なる肌の色、髪の色をした、周囲を歩く人々。わたしたちのスーツケースをバスまで運んでくれたポーターの黒人男性の、見たこともないほど大きな靴。日本では大柄と言われている自分が華奢に見えるほど、たくましい体格をした女性たち。
どこまでも青く広い空。延々と連なる山脈……。その1カ月間、見聞きしたあらゆるものが、それまでの、わたしの尺度や価値観を、ことごとく打ち砕いた。大きな存在を知って初めて、小ささを知る。テレビや活字では感じえない、実物大の衝撃。わたしはこのときはじめて、「尺度(スタンダード)」という言葉の曖昧さを知った。「大きい」「小さい」という単純な尺度でさえ、普遍のものではない。多くを見ればみるほど、その基準は行ったり来たりする。
数十名の日本人学生は、ロサンゼルス郊外のチノヒルズという町の家庭にホームステイをし、平日は語学学校に通うという生活だった。わたしがお世話になったのは、モンロー家。ホストマザーのバーバラとは、渡米以前から何度か手紙のやりとりをしていた。父親のグレッグはロス市警の刑事。長男マシュー、長女ヘザー、次男ジョン、次女クリスタの6人家族だ。まだ5歳だった末っ子のクリスタは、英語が覚束ないわたしに対し、まるで「妹」のように、世話をしてくれた。家の中のものを説明してくれたり、ご近所さんへの「挨拶回り」に連れ出してくれたりもした。
初めての異国での食生活は、何もかもが新鮮な驚きに満ちていた。モンロー家は敬虔なモルモン教徒だということもあり、教義に従って料理にほとんど調味料を使わなかった。食卓には塩と胡椒が出され、丸ごとのトウモロコシや、蒸しただけのマッシュドポテト、ひき肉だけのハンバーグなどに、自分で味をつけて食べるのだ。すなわち、決して美味とは言い切れなかったが、稀有な経験だった。一方の外食では、毎回ポーションの大きさに驚いた。ジュース1杯、水1杯のグラスの大きさ。一人前のお皿の大きさ。ヴォリュームたっぷりのアイスクリームにトッピングされる、缶から絞り出される生クリームの迫力。黒と赤の、まるでゴムのようなリコリッシュという名のお菓子。クリスタに「おいしいから食べて」と言われ、渋々、口に入れたが、あまりのまずさに吐き出しそうになった。
一方、ドリトスのトルティーヤチップスには、はまった。まさにやめられない、とまらないおいしさ。日本にはないスナック菓子の歯ごたえと味わいにすっかりはまったものだ。日本でも販売されればいいのに……と思いつつ帰国した。その翌々年の1987年、ジャパン・フリトレーからドリトスが販売された時は、本当にうれしかったものだ。
ある日、バーバラが「今日はチョコチップ・クッキーを焼きましょう」というので、わたしも手伝いますとキッチンに立った。わたしは中学のころからお菓子を作るのが好きで、時折、クッキーやタルトなどを焼いていた。当時、まだ几帳面だったわたしは、レシピに忠実に、クッキーの厚みやデコレーションなども丁寧に、芸術作品を制作するがごとく、菓子作りを楽しんでいた。
さて、バーバラはキッチンで、小麦粉、バター、砂糖、チョコチップ、卵、ベーキングパウダーなどの材料を取り出すと、計量もそこそこに、全てをブレンダーのボウルに投入。スイッチを入れて一気にかき混ぜること1分程度だったか。少し柔らかめのその生地をスプーンですくい、大きなベイキングシートに、ぽとん、ぽとんと並べ落として、準備完了。手伝う必要皆無! わたしはといえば、(これでいいわけ?)と心中で叫びつつ、その大雑把なプロセスに目を見張るばかりだ。「味見してもいい?」というクリスタに、バーバラが焼く前の生地を食べさせているのにも驚愕した。
日本の平均的なオーヴンの軽く4倍はありそうな、巨大なオーヴンに入れて焼くこと十数分。家中が甘い香りに包まれたころ、チョコチップ・クッキーもこんがりと焼きあがった。粗熱がとれたあと、1枚、食べてみる。サクサクと香ばしい生地、とろりと溶けたチョコレート。その甘すぎるほどに甘いクッキーのおいしいこと! 時間をかけて丁寧に作るもいいけれど、こういう大雑把なものもありなのだな、と、目から鱗が落ちた。
カリフォルニアの空の下で「このパスポートが切れる前に、わたしはまた必ず海外を旅する」と決めた願いは叶い、わたしは大学卒業後に上京。海外旅行誌の編集者として、社会人の第一歩を踏み出した。この一カ月のホームステイの延長線上に、わたしの人生は、連なり続けている。
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