20年前の7月。わたしにとって、初めてのインドが、自分たちの結婚式だった。
わたしはニューヨークに、夫はワシントンD.C.に暮らしていた。
末期の小細胞肺癌を患い、しかし抗がん剤治療で一時的に回復していた父。
真夏のインド、わたしさえ未踏の地。日本の家族を招くつもりはなかった。秋にニューヨークで式をするから、そのときに来て、と伝えた。
しかし父は主張した。
「僕は、美穂の結婚式のためなら、インドでも、地の果てでも、どこへでも、這ってでも行くからね!」
いや、這ってこられても困る。
初めてのインドでは、自分の結婚式よりもむしろ、父をはじめ、日本の家族が無事に乗り切れるか、そのことで気持ちがいっぱいだった。
夫にも、義理の家族にも、無理をさせたくないと伝えていた。
しかし、血色よく体格のいい我が父は、病の片鱗を見せず。
本場のインド料理がおいしいと、前菜のタンドーリチキンから暴走し、
「ナンがうまい! 小麦が違う!」を連発し、旺盛な食欲を見せた。
そう、父はインド料理も大好きで、福岡の『ナーナック』にも行っていたらしい。
あのときの父の強行を、今では感謝している。
なにしろその2か月後、我々夫婦の暮らす二都市は、世界同時多発テロの標的となり。
10月に予定していた披露宴パーティや前後の旅の予定は、すべてキャンセルとなったのだ。
ほんとうに、いろんなことが、あったなあ……。
そして義父ロメイシュ・パパ。
正直なところ、実の父とよりも、過ごした時間が長く、思い出も多いのだ。
去年の1月に他界したパパのことを思い出すと、まだまだ新鮮に泣けてしまう。
このごろは、歳月の蓄積に思いが去来して、心の整理がつかない。
💝インドで結婚式の記録/20年前のデリーの様子が見られる(2001年7月)
➡︎http://www.museny.com/mihosakata/album-india0.htm#intro
💝ROCKYメイシュ・パパの思い出動画
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