金曜の朝、チェンナイからバンガロールに戻って来た。
その夜から南アフリカへ出かける夫の荷造りを手伝い、この日は小人数だったサロン・ド・ミューズにて、バザールの片付けをするつもりが、お茶を飲みながら語り合い、そして昨日は雑事や、ゲストのお迎えで、一日を終えた。
ゆっくりと書き綴ろうと思いながら、今日もまた外出で、しかしあの日の服装のことを尋ねられるので、記しておこうと思う。
茶会のご招待を受け、現実的に戸惑ったのは、服装のことだった。デイドレスやワンピース、スカートのスーツ。指定された服をもっていない。サリーも着物も着られない。パンツスーツもだめ。黒、灰色、紫も避けねばならない。仕立てるしかないだろうと思っていた。ムンバイへ赴く前夜、お気に入りのテキスタイルショップに立ち寄ろうと思った矢先、ふとひらめいた。
ロフトの階段を駆け上がる。インドでは着用しないが一応保存している服をしまっているクローゼットを開く。あった! やっぱり、これだ! 急いで着てみる。取り敢えず、はいった!
今から20年ほど前、亡父が買ってくれていたドレス(ワンピース)。20代のわたしにはどうにもおばさん臭く、「いらないよ」と言うのを、父と母に勧められ、なぜか買ってもらっていた。そんなことは、あとにも先にもこのとき限りだった。
当時、父親の事業はうまくいっておらず、経済的にも不安定だった。なにかを買ってもらいたいという欲求などなかった。そもそも、20代のわたしにとって、その高価な服は身の丈に合っていなかったし、第一、着て行く場所もない。それでも、なぜか、買ってもらっていたのだった。
しかし、案の定、袖を通す機会はなく、歳月は流れた。
30代に入り、ニューヨークへ渡り、アルヴィンドと出会い、二人で赴くパーティに着てみようかと試してみたら、夫から「それ、老けて見えるからやめて」と言われた。そうだよね、と着替えた。以来、ニューヨーク、ワシントンD.C.カリフォルニア、インド……と、わたしとともに、ついてきた。他の服はどんどん処分したけれど、これだけは、一緒だった。
そして、ついには20年の眠りを破り、出番が登場したのだった。ずいぶん長いこと、お待たせした。亡父もきっと、喜んでいることだろう。
48歳のわたしには、最早、「老けて見える」もなにもなく、普通に、似合っている気がする。夫もまた、「オールドファッションだけど……悪くないね」と、好意的だ。
先日の日本帰国時に生まれ変わった約40年前の祖父の腕時計。義母が結婚の際に身につけていた約45年前のバングル。夫の父方の祖母が結婚の際に用意したという約80年前のエメラルドとパールのジュエリー。そして、父が存命中に、母にプレゼントしていたバッグ。
そういう家族の思い出に包まれて、守られて、あの晴れがましい日を迎えたのだった。
茶会のあと。チェンナイの湿気と、自らの興奮による「蒸気」のせいで、髪が跳ねてしまった。茶会前、必死にブローして、まっすぐだったのに。ネックレスもずれてしまった。