この家を初めて訪れたのは、結婚式のために渡印した2001年。
それ以前から、そしてそれ以降も、変わらぬ様子の家。
1階のフロアは、人に貸し続けている。
2階は、かつてダディマ(祖母)が暮らしており、集いの場だった。
3階は、私たちや、ゲストのためのフロア。
4階は、義父ロメイシュと、義継母ウマが住んでいる。
4階の様子は知らないけれど、
食事をするたびに集う2階や、滞在する3階は、
時間が止まっている。
めまぐるしく変化していた、たとえばモールで見た様子が、
まるで非日常、シアターで観劇してきたのではなかったかと、
錯覚に陥ってしまうほど。
今でも現役の、小さなオーヴン。
料理を保温するのに使われている。
庫内はもちろん、オーヴンの上も使える。
電子レンジを使うより、風味を損なわなくていい。
今、こういうのが売っていれば、欲しいくらいだ。
ちなみにこれ、義理の両親が新婚のころ、
今は亡き義母がロンドンで買って来た英国製らしい。
1969年のこと。
45年も、毎日毎日、働き続けている。
すばらしい。
毎朝、果物のほかに、ほんのり甘いミルク粥。
それからホール・ウィートの小さなトーストを2枚。
1枚は、目玉焼きと一緒に。
そうそう、黄身の白い卵もまた、とてもデリー的。
バンガロールの卵の黄身は、ちゃんと黄色いから。
これは鶏の餌の種類によるものだと思う。
ひょっとするとデリーの卵も、
黄色が主流になりつつあるのかもしれないけれど、
少なくともマルハン家のそれは、色白。
もう1枚は、コーヒーを飲みながら、
バターとジャムをつけて食べる。
今回は、ホームメイドのジャムが2種。
アルヴィンドの従姉妹の妻、タヌーが作ったマーマレード。
義姉スジャータが作ったグースベリー(食用ホオズキ)のジャム。
タヌーもスジャータも、とても料理が上手なのだ。
たとえ料理人がいる家庭に育っても、
インド料理だけでなく、さまざまな料理を、作ることができる。
冬のデリーの風物詩、グースベリー(食用ホオズキ)。
これもまた、わたしの好きなフルーツ。
こうして丸くボール状にして、売られている。
ランチタイム。料理人ケサールのキッチンを見学。
普通のチャパティとは風味が違うのでAtta(全粒小麦粉)の銘柄を聞こうと思ったら、
義継母ウマが「大豆の粉をブレンドしているのよ」とのこと。
と、義姉スジャータは、
「わたしはオーガニックショップのマルチグレインや、
石臼で挽いた粉も使うわよ」とのこと。
精製小麦粉を使ったパンや、白米よりも、
ずっと栄養価が高いチャパティ。
もっと頻繁に食卓に出さなければ。
ランチは軽めのヴェジタリアン。
スパイスはマイルド、辛みは一切ないマルハン家の料理。
なにしろ、ロメイシュもアルヴィンドも、辛い料理が苦手なので。
やさしい風味のダール。
柔らかく煮込まれた茄子。
そしてグリーンピーとマッシュルームの煮物。
このグリーンピーが本当においしい。
風味豊かな懐かしい味。
子供の頃、妹が生まれる前に預けられていた祖母の家で、
豆剥きの手伝いをしたことを思い出す。
子供の頃は、強い風味の「ピースごはん」が苦手だったが、
風味の浅い豆が主流の今となっては、懐かしくて、おいしい。
この味を、バンガロールでは見つけられない。
「デリーには、四季があるからね。寒い時期に、この豆は味が強く出るのよ」
デリーの冬の食卓に欠かせない赤い色した京ニンジン風も、また。
時が止まった……といえば、3階には、さまざまな昔の家財道具が眠っている。
ちょっと探検してみれば、こんなアンティークなミシン。
木箱のケースがとてもすてき。
そしてこの先、いったいどれほど、
眠り続けるのでありましょう。