朝の光景はまた、青空がまばゆく、海の青さが目にしみる。1泊だけというのは、実に名残惜しいとさえ思える。結局は天草観光をすることなく、ただこのホテルの滞在だけのために訪れたかたちとなったが、それはそれでよかった。夕方、夜、朝と3度に亘って露天風呂でくつろぎ、実にリフレッシュできた時間だった。
天皇皇后両陛下が皇太子皇太子妃だったころに、ここにあった展望台にいらしたとのことで、石碑が据えられていた。
しばらくあたりを散歩でもしたいところだが、朝食のあと、10時半にはチェックアウトをして船着き場へ行かねばならぬ。
地図で見ると長崎に近いけれど、船の乗り継ぎなどがややこしく、結局は昨日と同じルートで熊本に戻り、そこから「かもめ」で長崎に向かうこととなった。
再び船で15分ほどの旅。朝の海もまた、気持ちがいい。今回もイルカを2頭ほど見られた。あるポイントに行くと、ものすごい数のイルカと出合えるらしいが、今回の旅では、そこまでイルカに会いたい気分が高まらなかった。
三角駅から再び熊本を目指す。今回の九州旅で思ったが、九州新幹線ができたことによって、熊本駅は九州観光の主要なハブになっているのではないか、ということだ。いや、すでにそのような認識があるのかもしれないが、それがあまり、伝わってこない。
海外からの旅行者を誘致する際、もっとうまくプレゼンテーションをすればいいのにと思わずにはいられなかった。
日本の旅のパンフレットなどは、その地その地の「点」をピンポイントで紹介するものが多いが、旅とは「線」もまた重要である。見やすい地図やルートマップなどがないことには、旅のプランを構築しにくい。
わたしの日本在住時の本業は、海外旅行のガイドブックや雑誌を作る編集者であり、トラベルライターでもあった。従っては、一般の人よりは旅のプランを立てる際の要領を得ているつもりだが、それにしたって、今回の旅のプランは、非常に立てにくかった。
日本の旅は、移動費にかなりお金がかかる。しかし、お得なパスやクーポンなどの特典が存在していて、うまく使えばかなり節約できる。にもかかわらず、そのサーヴィスを知り得る手段が少ない。今回の旅の随所で、外国人旅行者に出会ったが、彼らにとって英語の資料の不足は、いろいろな場面で旅のハードルを高くしていると実感した。
JRや私鉄、バスなど、あらゆる交通機関が観光誘致に向けて協調しあい、九州旅のモデルプランなどを提案すれば、訪れる人が無駄なく、効率よく、そして実り豊かな旅ができるのにと、いろいろなアイデアが脳裏をよぎりつつの旅である。
ともあれ、九州旅における熊本はポテンシャルが高い。というのが、今回の旅を通しての実感であった。なお本州への旅を入れるのならば、福岡がハブになるであろう。
ともあれ、ジャパン・レイル・パスを購入する人向けに、電車の旅のモデルプランなど、外国人向けのガイドがあれば、日本のよさをもっとよく知ってもらえるのにと思う次第だ。
「点」の情報はしっかり抑えているが、「線」の情報に関しては、まったく得られていないというのが、今回の夫の状況である。然るべき情報を英語で得られる術が、あまりないのだ。
さて、熊本から特急かもめで、長崎へ。
今夜もまた、旅館での「卓袱料理」が待っているので、ランチは軽めに駅弁を二人で分けることに。あとは、みかん。朝ご飯をしっかり食べたので、これくらいで十分だ。ちなみにこれは、「九州駅弁グランプリ」で3年連続1位を記録したらしき熊本やつしろの「鮎屋三代」という弁当だ。
これがグランプリなのか。という程度の印象ではあったが、それなりに、おいしかった。
そして長崎。旅の最終地点に到着だ。長崎に2泊したあと、福岡に戻る。「坂本屋」と呼ばれるこの旅館。市街にありながらも、立地の具合で原爆の被害から逃れ、昭和初期に建てられた建築物がそのままに残っている。ちなみに旅館そのものは、明治の創業で、120年以上の歴史があるとか。
この宿を選んだのは、夫。卓袱料理が食べたいというので、卓袱料理で有名なこの宿に予約を取った次第。今回の旅では、日本風の旅館はここが唯一だったということもあり、昨日とは打って変わっての情趣もまた、いい。
懐かしき黒電話が健在。昭和45年頃だったか。福岡市内にあった実家に初めて黒電話が引かれたときのことを思い出す。
夕刻。近所に出島があるというので、散歩をしてみることに。途中で文明堂へ。黒壁の重厚感あふれる建築物。これは戦後に建て替えられたものらしい。
修学旅行生などでにぎわっていた出島。脳裏では、扇形のまさに「島」をイメージしていたのだが、周辺は埋め立てられていて、昔日の面影はなく。
そしてお待ちかねの夕食。食事用の部屋に通され、座りながら、「卓袱料理が楽しみだったんです」と言ったところ、仲居さんが「え? 卓袱料理をご希望ですか?」と驚かれる。
「え? 卓袱料理じゃないんですか?」と問えば「懐石と卓袱があって、お客様は懐石になっていました」とのこと。予約の際には「1泊2食付き」の情報しかなく、チェックインのときにも、料理の選択を聞かれなかった。卓袱料理の専門店だから、当然、卓袱料理が出ると思い込んでいたのだが。
結論からいうと、その仲居さんは、そのまま去ってしまい、最初の料理以降は、別の仲居さんが卓袱料理らしきものを出してくれた。由緒ある旅館かもしれないが、なんだかよくわからない対応だ。
上の写真は「卓袱料理、食べられないの?」「でも、この料理もおいしそうだから、悪くはないけど」という状況下において、複雑な表情の夫。
チェックアウトの際にフロントの人に尋ねたところ、一般の予約だと懐石料理で、追加料金を払うと卓袱料理になるという。
「そのようなことは、チェックインの時に尋ねてくださらないと、わかりませんよ」と言ったら、「そうですよね」「参考にさせていただきます」とのこと。
老舗旅館らしいが、この対応には首を傾げたのだった。ともあれ、結果的にいえば、追加料金を問われることなく、多分後半の料理は卓袱料理が混ざっていた。
エビのすり身をパンに挟んで揚げたもの。これは卓袱料理だ。風味豊かでおいしい料理だった。こういう料理、確かタイ料理にもあったような気がする。
そしてこれが、ザ・卓袱料理ともいうべく、この店自慢の料理。「東坡煮(とうばに)」と呼ばれる豚の角煮だ。これは実においしかった。豚の角煮好きな夫も大喜び。真空パックのお土産用「東坡煮」も購入してしまった。
ともあれ、夫と日本を旅行するときにはいつも思うのだが、このようにさまざまな山海の珍味が混ざっている料理でさえ、一品も残すことなくきれいに平らげる味覚というのは、すごいな、と感心する。インド人なのに。
そんなことを思っている矢先、「僕の前世は、日本人だったに違いない」と、いつものフレーズを口にする夫。味覚と胃袋だけは間違いなく、インド人ではなく日本人だったのだろうね。
部屋の小さな檜風呂でくつろぎ、マットレスが薄いといいながらも布団で寝ることを楽しむ夫。
新居(数年後、バンガロールの空港近くに建設完了の予定)に畳の間を作ろうか、庭のプールのスペースに露天風呂を作ろう、などと言い始める。確かに、太陽光発電を使えば、お湯だってじゃんじゃん湧かせる。
大まかな設計はデヴェロッパーのプランに従うが、詳細のレイアウトなどは自分たちの自由にできるから、露天風呂や畳の間も不可能なことではない。そもそもジャクージーにしてしまえば、露天風呂みたいなものでもある。
高校時代の同級生が福岡で畳屋さんをやっているので、畳はそこで注文して海外発送してもらえばいいではないか、などと大胆なことを夢想しつつ、眠りについたのだった。