前回は、デリーの超富裕層における、女性のファッションを紹介した。しかしそれらは、あくまでも「一例」であり、みんながみんな、あのように派手に着飾り、湯水のようにお金を使っているわけでは、当然、ない。
などということをいちいち書かねばならないのは、この国ほど、ステロタイプの印象を鵜呑みにすることによって「誤解」や「誤認」が発生しやすい国もないからだ。予備知識と先入観の使い分けが難しい。「色眼鏡」で見てしまうと、大切なことを見落としてしまうこともある。
ここで紹介している記録はあくまでも、わたし個人の視点による、わたし個人の記録である。他の人が訪れ、同じ光景を目にしたとしても、切り取るシーンは全く異なるであろうし、そこに添えられる言葉、所感もまた、千差万別であろう。
ということを、くどいようだが、書き添えておく。
以下、今回の滞在中に目にした光景の中から、何枚かを残しておこうと思う。
2001年7月。結婚式を挙げるために初めてデリーを訪れて以来、この街に来る時には必ず足を運んでしまうカーン・マーケット。ごちゃごちゃとした商店街だが、高級ブティックなども紛れている。外国人ツーリストの姿もよく見かける場所だ。
訪れるたびに店舗の構成は変わり、新しい発見がある。同時に、こうして犬が寝転ぶ、昔ながら変わらぬ様子を見ると、安心したりもする。
前回、やはり出張で訪れた時に、やはり同じクライアント女史と食事をしたAmici Cafe。ブルーチーズとマッシュルーム、カラメル状の玉ねぎがトッピングされたこのピザ、すでにお気に入りとなってしまった。
ほんの8年前、インドの自動車事情を調べる仕事があり、大量のレポートをまとめたことがあった。そのときには、車に興味のないわたしですら、インドに進出している自動車メーカー、及び各社が販売している自動車の大半を記憶できた。
今、道路に溢れかえるさまざまな車の洪水を見ていると、わずか10年足らず前のことが、遠い過去だ。その一方で、こうして昔ながらの庶民の足も、健在である。
年に一度、ニューヨークを訪れる時にも実感するのは、書店が次々に消えていること。バンガロールもそうだし、ここデリーにしても。
生き延びているのは、むしろ昔ながらの書店だろうか。そうあってほしい、生き延びて欲しいと願わずにはいられない、書店の光景。この老紳士のような、全身からアカデミックで上品な雰囲気を漂わせている人たちが多いのもまた、デリーの特徴だ。素朴な手織りの綿、絹の、上品なサリーを着こなした白髪の女性が多いのもまた。
教育、文化関連のアカデミック層、NGOの関係者、アーティスト、社会運動の活動家、昔ながらの実業家夫人などに見られる、服装は地味なのに強いのオーラを放つ人々。インドに暮らし始めて以来、そういう佇まいにも憧れてきた。
かような人々を描写する記事を読んだことがある。彼女たちは50歳を過ぎると、白髪をそのままにショートカットにして、質のよい、華美ではないサリーを着こなし、先祖から受け継いだ伝統的な装飾品を身につけ……といった内容だ。
わたしはまだ、その領域に達するには精神が成熟しておらず、白髪もまだなので(←あまり関係ない)、あと10年ほど時間をかけてみようかと思っている。内面的な熟成感がなければ、あの雰囲気は醸し出せないのだ。
そのときのために、歳を重ねて味わい深く着られる、上品なサリーを買い始めても、いる。このあたりだけは、気が早い。サリーのいいところは、流行り廃りなく、何年も、何十年も、大切に着続けることができるところだ。実は今日もこれから、シルクマーク・エキスポに出かける。未来を見据えたサリー選び、にシフトしようと思う。
ところで、今年の2月、3月に訪れたクラフトミュージアムの「カフェ・ロタ」には、そんな素敵な女性たちが高確率で見られた場所だった。今回は行き損ねたが、次回はまた足を運びたい。料理もおいしかったし、雰囲気もよかったし、デリーでお気に入りの場所である。
カフェ・ロタの情報は、2月の訪問時の記録 (←Click!) に残している。1度のデリー訪問で、1度目はクライアント女史と、2度目は夫と訪れている。関心のある方は、ご覧いただければと思う。
久々に訪れたVASANT LOKは、なにやら廃れたムード漂う。
仕事関係者複数名で訪れたDEFENCE COLONYのインド料理店。最後の〆に、5人で「インド的チョコレートブラウニー、アイスクリーム添え」をシェア。バターたっぷりの熱々のフライパンに、チョコレートブラウニーを載せ、その上にアイスクリーム。アイスクリームが鉄板に触れた途端、ジャ〜ッと湯気があがり、あたりにバターの香りが立ちこめる。
すさまじいスイーツだ。隣席の人がそれを食べているのを見て、食べてみようと注文するこちらも、チャレンジャーだ。ちなみに5名は全員、女性である。
こちらは別の夜、やはり女性4名で出かけたOh! Calcutta。料理はどれもおいしかったが、いかんせん、せっかく出してくれた日本語メニューが残念すぎた。今の時代、むしろここまで頓珍漢なのも珍しいのではないか。「蒸した」を「湯気した」と訳しているところに、人間味を感じる。わたしの英文も、こんな風だろうか、などと思いつつ、痛い。
SULAのスパークリングワインにはじまり、SULAの白、次いで赤 (Dindori)と、次々にボトルを注文。実に、よく飲み、よく食べ、よく語る面々であった。仕事関係者の一人はデリー在住、2人は東京から。日本人視点からのデリーの話を聞けるのも、興味深く。
仕事でありながら、仕事を超えて楽しいひととき。楽しい時間を持てる仕事とは、実にありがたいことである。
HAUZ KHAS VILLAGEにも、ちらりと立ち寄った。ここもまた、栄枯盛衰の激しい場所。次に訪れる時にはまた、店舗の構成が変化していることだろう。
訪れるたび、同じ店の写真を撮っているINAマーケット。スナックに埋もれたこの店の雰囲気に、とても心を引かれるのだ。ちなみにここのポテトチップス、とてもおいしい。
そしてインド各地の伝統工芸品が一堂に会するDILLI HAAT。カゴの中に入っているのは、タッサーシルクに生まれ変わる繭。天然自然の、この色合い。
モディ首相が強く提唱しているところの「クリーン・インディア」。ゴミの分別も大事だが、ゴミを生まない社会にすること、パッケージを極力減らすことが最優先だ。それと同時に、ゴミ処理機能を高めること。
今朝の新聞記事によると、バンガロールに4カ所あるゴミ投棄場のうちの一つが、もう満杯でたいへんなことになっているらしい。焼却処理機能がない、即ち大地に捨てるしかないこの異常事態、非常事態。これを考え始めると尽きない。
予想し難き5年後、10年後を思いつつ、今は目の前の、すべきことを、ひとつずつ、着実に、やっていこう。