朝、実家を出て天を仰げば、快晴の秋空にトンビ。ムンバイから飛んで来た? わけはないけれど。
京都から戻り、はや二日が過ぎた。土曜に帰国する予定だった夫は、予定を二日延ばして、明日月曜日に戻る。
きらびやかな店内。ありあまるほどの食品。着飾った人々。
「物質:モノ」という側面から見れば、豊かを通り過ぎて過剰。
日本で手に入る食品、物価などについて、思い巡らすこと多々あり。
これに関しては、また別の機会に改めて記そうと思う。
街はすでにクリスマス、年末の様子で、季節感のないインドが遥か遠くに感じる。
今日は、母と妹と4人で、親戚宅を巡った。妹の運転で宗像市までも、車を飛ばした。アルヴィンドがわたしの親戚に会うのは、父の葬儀以来4年ぶりのこと。
図らずも滞在を延ばしたために、彼もまた親戚巡りに参加することができたのは、よかったといえばよかった。夜はわたしの友人との会合に夫も参加し、おいしい日本料理をごちそうになり、とても楽しいひとときであった。
わたし自身はといえば、わずか2週間足らずだが、日本を歩き、日本を見、日本を語り合うことで、自分と日本との間の隔たりを認識し、さまざまな誤差の在処を突き詰められたような思いだ。
自分にとって、ここは母国で、言葉を限りなく100%に近く理解でき、とても近い国であるにも関わらず、どうしてかように居心地が悪いのだろうかということを、冷静に分析する、今回はよい機会でもあったように思う。
翻ってムンバイ。「テロは制圧」され、「通常通り」の暮らしに戻っているというが、実行犯とされている十人以外に、残党が潜伏している可能性は非常に高いはずである。
形は違えど、また別のテロが起こって不思議ではない。悲観的になっているわけではないが、「制圧」「終息」といった言葉で片付けられない事態であるということを、言いたい。
単に宗教間の問題ではない。政治が絡み、国際関係が絡む。今回のテロの実行犯を殺害・拘束したからといって、何かが終わった訳ではない。
テロ慣れしている、といえばそれまでだが、屈しない。
打撃を受けても、立ち直りが早い。
襲撃を受けたカフェ、Leopold(左写真)は、すでに営業を再開したようだ。
わたしもインドに帰ったら、足を運ぼうと思う。
そしていつものように、昼間からビールを飲むのだ。
混沌の国。
多様性の国。
さまざまに表現されるインドを、ただ言葉だけで伝えることがいかに難しいかを、今回日本に戻って来て、痛感する。
該当する概念のない国の人々に、他国の「ある概念」を、臨場感を以て伝えるのは、実に難しい。読み手ひとりひとりの想像力の有無によって、文章の価値は決まるとさえもいえる。
久方ぶりに日本へ戻り、じっくりとこの国の様子を見たことは、さまざまな面において、よかったと思う。
衣食住、文化、生活、習慣、価値観……。ありとあらゆる面において、日本と米国との、日本とインドとの、日本と世界との違いを目の当たりにして、思った。
わたしが「これが真っ当」と感じることが、日本の「平均的な真っ当」から大きくかけ離れていることに、改めて気づいた。気づいたことによって、日本へ向けて文章を発するとき、あるいは仕事をするときの「姿勢」を見極めなければと思うに至った。
自分の考えや印象を、どのように表現するべきか。どの部分を強調するべきか。異なる次元に生きている人たちに向けて、自分の考えを伝えることは、簡単なことではない。
たとえば、「テロ」という言葉一つをとっても。
「年金テロ」
この言葉の、堪え難い軽さ。
京都駅のホームのキオスクで、ムンバイのテロを伝える新聞の「テロ」の文字と、雑誌の見出しに踊る「年金テロ」の文字が同時に目に入ったとき、言葉にしがたい苛立ちに襲われた。
誰が何が悪いわけでもない。ただ、異なる世界なのだ。わかってはいるけれど、すべてはこういうことなのだ。
激しく、ずれている。
うまく要領を得た説明をすることは、今できないが、とりあえずは、覚書の意味をこめて、ここに記しておく。