●どうなるのだろうバンガロール(ベンガルール)新国際空港
バンガロール新国際空港。今夜の深夜、つまり明日の早朝からいよいよ開港! のはずだったが、またしても、しかし今回は微妙に「1日」の遅れで、明日の深夜、つまり明後日の早朝から「いよいよ開港!」らしい。
ところで、個人的にうれしい航空関連のニュース。全日空、印ジェットエアウェイズと提携。旅が多い割に、マイレージをうまく使いこなせていないわたしとしては、もっと特典を有効利用したいと思っているところだ。
ところで情報源であるところの「インド新聞」。インド関連ニュースを知るのに便利だ。他にもインド情報を扱うサイトはいろいろあるが、このサイトはすっきりとシンプルなので読みやすく、気に入っている。
●過去を振り返る作業をしている最中
母校であるところの香椎高校同窓会のスタッフの方から、6月に開催される高校の文化祭の際、同窓会からの展示物のひとつとして、わたしのことを紹介したいとの連絡をいただいた。
西日本新聞の記事や、テレビ出演などを機に、母校との距離が近くなっていた昨今。高校卒業後から今日に至るまでのわたし自身の足跡を、写真と文章で構成してもらえれば、とのことである。
おこがましいような気もするが、しかし在校生のなにか励みになるのであれば、とお受けした。お受けしたからには、然るべきものを仕上げたい。来週中には日本へ送付せねばならないので、数日前より作業を始めた。
我がことながら、いや、我がことだからこそ、情報の取捨選択、編集に悩む。壁に貼られるものだから、文字が多すぎては読みづらい。写真も大きめにさっぱりと、がいいだろう。
なるたけ簡潔にと思うのだが、なにしろ25年分となると、端折ってもあれこれとある。それでもなんとか、文章の部分は仕上がった。今度は写真選びだ。エネルギーを要するが、楽しい作業でもある。
●衣類とだって、別れ際が肝心なのだ
OWCのCoffee Morningへ行った。帰りにLeela のANOKHIで木綿製品(衣類)を数枚調達した。その後、インディラナガールの100フィートロードへ。そこそこなイタリアンでランチをすませたあと、SOMAで、更に、木綿製品を調達。
着心地がいいからと、家にいるときにはたいてい、着慣れた部屋着を着回していたが、「メイドよりも冴えない服装をしているマダムとしての自分」という事態を重くみ、古いものは寄付するなど処分しようと決意した次第。
旧ドライヴァー、ラヴィは、しばしば新しいカラフルなシャツを着ていた。いったい何枚持っているのだろう。不思議に思って聞いたことがあった。すると「15、6枚ですよ」と言う。
いやそんなはずはない。もっとたくさんの種類を持っているでしょ。そう言うと彼は言った。「1枚のシャツは、1年以上着ることはないんです。1年経ったら、人にあげたりします。つまりひと月に1枚程度は新調するんですよ」
目からうろこが落ちた。そうなんだ。わたしは2年前に買った部屋着を、後生大事に着続けていた。特に気に入ったももの着用頻度は高いため、色あせているものも、ある。しかし「最初からこんな色だったかも」と思い込んでみたりして、着続けていた。
プレシラに、「マダム、裏返しに着てますよ」と指摘されて、そうか、そんなに色あせていたかと気づかされることもあった。
アルヴィンドはといえば、お気に入りの下着など、本人曰く「天然のエアコン状態」になるまで履いている。ちなみに「天然のエアコン状態」とは、穴があいている状態を指す。その癖、新しい下着も随時調達するから、クローゼットの引き出しは下着類がたっぷりとあり、満たされている。
こんな私事を暴露するのは控えようと思っているのだが、ついつい、だ。彼に会う機会のある方、決してこの話題に触れないように。
触れて欲しくない話題と言えば、「エビが旬」。この件に関しては、すでに周囲から散々からかわれており、本人もかなり辟易しているので、どうか、これ以上、触れないでやってほしい。
話がそれた。敢えて言うまでもないが、我々は、別にけちなわけでも、貧乏臭いわけでもない。着慣れた木綿は、肌になじんで別れ難いものなのだ、という話である。
そんな話はさておき、ラヴィやプレシラをはじめとする人々に影響され、今日、いっそ古いものと決別しようと、新しいものをまとめて購入した次第。古いものは、スラムの人々のもとへ届けようと思う。
●買い物に出かけたついでに長話をする
久しぶりにASIAN ARTSへ赴いた。2カ月前にテレビの取材で訪れて以来だ。今日は友人へのプレゼントを買いに訪れたのだが、ついつい自分のためのジュエリーに見入ってしまう。
きらびやかでゴージャスなジュエリーが、先進諸国に比してあり得ないほど安い。毎度その安さが危険なのだ。手が出るお値段だから、ついつい財布のヒモをゆるめてしまう。
しかも、毎度のことながら、インドの手工芸品は「一期一会」。量産されているものは少ないから、サリーにしても、ジュエリーにしても、工芸品にしても、「これは!」と思ったときに手に入れておかねば、二度と巡り会えない可能性が高いのだ。
というのは、言い訳に過ぎないだろうか?
それはさておき、今日はのんびりと1時間近くもエイジャズと話し込んだ。
ジュエリーコーナーは、ひょっとして天然石のパワーに満ちあふれているからだろうか、いつもとても落ち着いて、居座ってしまう。ひとりのときも、友人と一緒のときも。お茶などをいただきつつ、あれこれと石を見比べ、触れ、身につけながら、おしゃべりをする。
こうして、店頭でくつろぐ、あるいは店の人と話し込む、というのは、インドならではだ。
ここでも何度か記して来たので、敢えて例を挙げないが、この国における、かような人と人との緩い関わり合いが、なんともいえず面白い。
エイジャズに関して言えば、彼の誠実な人柄や個性にも、もちろん魅力があるからこそだろう。今日は、彼が生まれ育ったカシミール地方のことを聞いた。彼の父親のこと。彼が働き始めたきっかけなど。
ムスリム教徒である自分自身のバックグラウンド。宗教間の軋轢。パキスタンとほど近いカシミール地方の苦しみ。しかしその故郷の美しさ。
「カシミールの人たちは、本当に温かい人ばかりですよ。たとえば、美穂さんが、僕の故郷で、サフラン畑を歩いていたとします。すると、働いている農家の人は、笑顔で歓迎してくれて、きっとお茶を差し出してくれますよ」
澄み渡る青空のもと、サフラン畑を歩き、農家の女性たちに微笑みかけられ、黄金色のサフランティーを振る舞われている様子が脳裏に浮かんで来る。
「僕の周りには、海外で一旗揚げようという人が少なくないです。たとえばドバイ。ここよりも、収入が多く得られますからね。でも、僕は今、海外に行こうとは思わない。インドで一人前の仕事ができなくて、海外で一人前に仕事ができるわけがない、と僕は考えているんです。まず、母国でひとかどの仕事をやり遂げてから、と思っているんですよ」
彼のその意見にも共感した。それはわたしがニューヨーク時代に痛感したことであったから。
日本の社会が肌に合わなかった、仕事がうまくいかなかった、だからニューヨークで夢を実現したい、という人が少なくなく、そういうときにはいつも、思っていたのだ。母国で仕事ができずして、どうして海外でうまくいくだろうか、と。
ま、うまく行く人もいるかもしれぬので、そう偉そうに断言もできぬが。
インドでこのようなことを言う人に出会ったのは初めてだったので、今日はちょっと、驚いたし、うれしくもあった。
「僕の父親は、まったくもって、教育のない人です。学校にも行けませんでした。でも、非常に頭がよく尊敬すべき人なのです」
自分の父親を、そう誇らしく言えるところにも、感心させられた。
そうしてついつい、今日も「これは!」と思うものに出合ってしまい、イアリングとペンダントヘッドのセットを購入してしまったのだった。
●新しい、小さな楽しみを、見つけてしまった感じ
これほどまでにも、書き連ねる日々を送っているわたしが言うのもなんだが、言葉を使わなくとも、いや、言葉を使わない方が、伝わることもあるのだということを、こんなちっぽけな映像を数本作ってみただけで、実感している我。
長々と言葉で説明しなくても、心の水底で揺れる小石のきらめきを、わずか数分の映像で、伝えられるものかもしれないと思ったりもする。そのことは、いただいた感想のコメントを読んでも、ささやかに感じた。
とはいえ相変わらず、見てくれている人は、なぜかしら少ないのだが、今までの「全作品」を、一挙掲載。今後も懲りずに、たまに作ろうと思う。
最新版は、先週のいつだったか、雨の日に撮ってみたもの。Rainfall in the Highland。このごろは、夕方、雨が降る。