激しい雨の夜もあれば、朝日がまばゆい朝もある。このごろのバンガロールもまた、モンスーンの季節が続いていて不安定な天候だが、それでも吹く風の心地よさは格別だ。もう少しなんとかスケジュールを調整して、バンガロール宅にいられる日にちを増やしたいものである。
しかし、明日からはまたムンバイ。
さて、本日はOWCのCoffee Morningへ。新しい日本人会員の方も2名いらっしゃった。今年の年末で移住3周年のわたしは、古株となりつつある。
ランチは久しぶりにThe Leela Palaceのダイニングでブッフェを。今日はいつもに増してチーズが充実していてうれしい。チーズやオリーヴ、生ハム、そしてサラダなどの前菜類を主には味わう。ワインでも飲みたいところだ。
わずか3年のうちにも、色々な食材が手に入るようになったインド。ホテルだけでなく、輸入物を扱う高級スーパーマーケットやデリカテッセンなどでも、チーズや生ハムが手に入る。
バンガロールにも数カ月前、UBシティの界隈にMaison des Gourmetという食材店がオープンした。また、インディラナガールにも、La Fromagerieというフランスのチーズ専門店がオープンした。両店とも、わたしはまだ足を運んでいないのだが、富裕層や外国人居住者の人気を集めているようだ。
以前も記したが、高級イタリアンなどでは、独自の経路により国内でチーズを作っていたりもするそうだ。インドは乳製品が豊かだし、素材がおいしいものが多いから、技術さえあれば、おいしいチーズがもっと生産されるようになると思われる。
欧州を旅すると、チーズのその豊かさ、奥深さを目の当たりにさせられる。初めてチーズに深く接したのは、オランダだったか。鏡餅を大きくしたような、ゴーダやエダムチーズが、店内の棚にどすんどすんといくつも並べられているさまを見たときの驚き。
イタリアのパルマを取材したときには、塩分が効いた硬質チーズ、パルミジャーノ(パルメザン)と、パルマハム(プロシュート、生ハム)のおいしさに感動した。パルメザンチーズを作るときに出る乳精を豚の飼料にすることにより豚の肉質が柔らかくなり、美味なる生ハムができあがると知ったときには、そのすばらしい有効利用に感動したものだ。
水牛のミルクで作られるバッファロー・モッツァレラもまた格別。尤も近年は水牛が減少していて、一般の牛乳で作られている場合が多いようだ。
香りが強すぎるチーズは苦手だが、しかしその国ならではの美味なる料理を味わいたいアルヴィンド。彼と出会ってからも、旅を重ねて、あれこれを食し、その中にもチーズの記憶は少なくない。
たとえば、イタリアのシエナの食料品店で。リコッタチーズやオリーヴや生ハム、パンなどを買って、ホテルに持ち帰り、キャンティ・クラシコ(赤ワイン)を開け、飲んで、食べたときのことを思い出す。レストランで食べるのもいいけれど、土地の人になった気分で、食材を買い求めるのも楽しいものなのだ。あれから十年。
新しいところでは、この1月に訪れたパリ。彼は、あれこれとグルメショップをリサーチし、サンルイ島のチーズショップ(←文字をクリック)へ連れて行ってくれた。特製のトリプルクリーム・ブリを真空パックにしてもらい、インドまで持ち帰ったものだ。それにしても、ワインを片手にしているわたしの、いつもなんと幸せそうなことであろうか。
時を遡って、東京時代。欧州を一人で3カ月、放浪した27歳の春。フランスで、イタリアで、鉄道駅で売られた、チーズと生ハムを挟んだだけのサンドイッチを幾度食べたことか。ぐっと何度も咀嚼しながら、車窓から無口に眺める青空と雲……。果てしなく、途方もなく、一人だった。あの時間の、なんと貴重であったことだろう。
そういえば、ピレネー山脈のふもと、フランスとスペインの国境を行き来しながら走ったドライヴ取材で。「地元の食材を購入してピクニック」という設定のもと、ある村の農道の傍らで撮影をしていた。真冬の、しかも曇天。ピクニック日和からはほど遠く、とはいえ、予定を延ばすわけにもいかない。無理矢理にシチュエーション作りである。
折しも湾岸戦争の最中で欧州各地が厳戒態勢。「怪しき人物発見」とばかりに通報されたのであろう、撮影を終えて車中に戻り、チーズやハムや果物を食べていたところに、大きな銃を抱えた警官が登場。ドンドンドンと窓を叩かれ、驚いたものだ。25歳のときだった。
ニューヨーク時代は、アッパーウエストサイドのZABER'S(←文字をクリック)の、山ほどの種類のチーズを前にして、あれこれと悩みながら、そして結局は風味の穏やかな、モッツアレラチーズやブリー、カマンベール、リコッタ、フェタチーズなどあっさり系を主に求めた。
時に、スイスのエメンタルやグリュイエール、それからチェダーなども選んだ。
ワシントンDC時代は、専らWHOLE FOODS MARKETにて。このころも、やはりバッファローのモッツアレラチーズが定番で、わたし用にパルミジャーノやアシアゴなどを買い求めていたか。一時、アシアゴチーズに凝ったこともあった。
それにしたって、わたしが買って来たものといえば、チーズの「序の口の序の口」である。
ときどき、チーズばかりのコーナーで、新しい味にチャレンジしようと思うが、その無数にあるものをあれこれと、味見ばかりさせてもらうわけにもいかず、慣れた様子で選ぶ欧州人の姿に、達人の技を見る思いだった。そのときの様子を2004年12月30日の「片隅の風景」(←文字をクリック)にも書いている。
チーズ購入は、チーズの経験値が低い人間に取ってはかなりチャレンジングな買い物だ。わたしはかなり「奥手」であったと思う。どんなに高級でも、たとえば「ブルーチーズ系」は苦手だし、「絶対に口に合わないもの」が高い確率で存在する。石けんみたいな味、としか形容できないものなどもあり、あれはどうにもだめだ。
その癖、他の食材に比して高価だから、試しにあれこれ買ってみる、というわけにもいかない。
そうそう。アルヴィンドの大学時代からの友人のイタリア人マックス。ボストンの、彼の家へ遊びにいったときのこと。「料理をしている間、先に食べてて」と言いながら、冷蔵庫からドサドサと取り出してくれたそのチーズの量に、欧州人の血を見る思いだった。2004年3月9日の「片隅の風景」(←文字をクリック)にも書いている。
話があちこちに飛ぶが、ジュリエット・ビノシュ主演の映画「ダメージ」を思い出す。あの映画の最後のシーンで、すべてを喪い傷心の男(ジェレミー・アイアンズ)が、乾いた陽光が照りつける裏寂れた田舎町で、買い物から戻り、静かなキッチンで、儀式のような几帳面さで、チーズを切り分けるシーンがあるからだ。
「チーズ」というだけで、たいして詳しくもないにも関わらず、とめどなくエピソードが溢れ出す。
訪れた場所の数を問うのは本意ではないが、しかし30を超える国を旅し、取材をし、何百もの街に身を置き、地を這うように歩き、その果てに、今、インドで暮らしている自分があり、この旅の記憶の宝庫に、ただ鍵をかけたままでいることが惜しい。
インドの日々を綴るだけでもう、精一杯の日常で、しかし今のわたしは、20代から重ねてきた旅によって醸造されており、それらをときに反芻しながら、確認しながら、暮らしている。
インドだけ、ではないからこその。アメリカだけ、ではないからこその。
知れば知るほど、見れば見るほど、拘泥することの無意味さを知る。それでもまだ見ぬ世界の広さに、途方に暮れることを繰り返す。やはり旅はいいものだ。
ところで、何のつもりかと思われよう。(←文字をクリック)。
実は、文中の白い文字、リンクを張っているのだが、単に「強調している」と思っている人の方が断然多いことに、最近気づいた。せっかく、過去の記事を参照できるようにリンクを張っているのに、あまり見られていないというのも寂しいので、しつこく(←文字をクリック)をいれてみることにした次第。
日々、文章量が多いことだし、遡ってみるほどではないと言われればそれまでだが、インド以外の世界もそこには広がっているので、できればしばし、旅をしていただければと思うのだ。