わたしがここに書くまでもないが、米国の、世界の経済が混沌の様相を呈しはじめている。ワシントンDC時代に使っていたワコビアバンクが、シティバンクに買収された。
金融安定化法案が、さきほど否決された。米国の金融危機は、さらに深刻化するのだろう。いや、米国ばかりではない。欧州の銀行数行も、政府が公的資金を投入するなどの事態となっているようだ。
日本もインドも、他のどの国も、この事態と無縁ではいられない波風を受けるのだろう。
と、メディアを見る限り、明るいニュースは少ないのだが、街に出れば、いつもと同じ喧噪だ。
年中不景気が当たり前の元気な庶民らは、世界経済の影響などどこ吹く風で、今日も明日も明後日も、同じ様子でいるのだろう。近々の、またしてもの祭りに備えて、櫓作りや、太鼓たたきの練習でにぎやかだ。
ちなみに本日の写真は、祭りではなく「サイババ」を讃える団体である。
サイババといっても、アフロなヘアスタイルの「サティヤ・サイババ」ではなく、「シルディ・サイババ」だ。
右の写真の人物がそのお方である。
インドでは、サイババと言えば、このシルディ・サイババのことを意味するほど有名で、サティヤ・サイババはシルディ・サイババの生まれ変わりとされている。
さて、写真を撮ろうとカメラを向けた途端、車に同行している少年やらおばさんやらが、「お布施ノート」のようなものを突き出して、お布施を「強要」する。
ありがちな展開である。
インドの群衆においてはひときわ目立つ平坦な顔をしているのに加え、カメラでも構えた日には、ターゲットにならないわけがない。
10ルピーを取り出して渡すと、
「100ルピー! 100ルピー」
と、騒ぐ。
うるさいのだ! 10ルピーでよいのだ!
と、振り切ってゆく。
本当に、神様も仏様もあったものではない。
あったものではないけれど、でも。
その日その日を生き延びるために、体当たりで10ルピーや30ルピーや100ルピーを得ようとしている人々に、なにか文句をいえる立場であろうかわたしは、とも思う。
わたしは、財布にたくさんの10ルピー札を入れている。それがいいことか悪いことかはわからない。けれど、何かをしてもらったら、いちいちチップを渡すのだ。
きりがない、と思われるかもしれないが、そんなことはない。多くても1日50ルピーを使う程度である。1日150円もしない。
以前も書いたが、ビスケットは車にいつも積んでいる。物乞いが迫って来たら、お金ではなく、それを渡す。ビスケットもまた、10ルピー程度で1パック、買えるのだ。
そうすることで、わたし自身が、心の均衡を保っているのかもしれない。理屈はどうであれ。できるからそうするし、したいからそうする。
何につけても、お金というものは。
夕餉のテーブルで、仕事の話、金融危機の話をしながらも、まずは、わたしたちはこうして、快適な家に住まい、健康でいられ、おいしい料理を味わえ、ぐっすりと眠りにつくことができ、それがなによりの、幸せなことであるということを、自覚する。
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コラムの執筆を依頼され、「インドチャネル」というサイトに3カ月3回に亘り、寄稿することになった。テーマは「衣食住」。一回目は「衣」について記した。
このブログを読み慣れている方々にしてみれば、すでによく出てくる話題でもあり、さらには、文章が短いと思われるかもしれないが、一応お知らせまでに。
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