●久しぶりに、美味! シーフードのミールス
昨日のティーパーティ、いやワインパーティ時に、何かの話から、南インドの米粉で作られたパン「イディリ」や「アッパム」の話が出た。そうしたら、久しぶりに、「アッパム」が食べたくなった。
おいしいアッパムが食べられる店と言えば、まっ先に思い出されたのが南西インド沿岸部のシーフードが味わえるレストランKaravalli。この店のシーフード・ミールス(定食)がうまいのだ。俄然食べたくなってきた。
他の人も、「食べてみたい」「食べたいわ」と盛り上がり、じゃあ、明日食べに行きましょうと話がまとまる。計6名と、本日OWCのCoffee Morningのあと、Taj GatewayにあるKaravaliへ赴いたのだった。
アッパムは上の写真に写っていないが、米粉で作られたパンケーキのようなもので、周囲はパリッと香ばしく、中央のあたりがフワフワとしている。別の店だが、この日の記録の下部右の写真(←文字をクリック)がそれである。
Karavaliのミールスにはシーフード、ノンヴェジタリアン、ヴェジタリアンの3種類があり、白ワインがついてくる。シーフードが最もよいお値段で、世間のミールスに比してかなり高いが、ともかくおいしい。ときどき急に食べたくなる味なのである。
初めて味わう人たちも、とても気に入った様子であった。なによりである。
●聖母マリアと、その少年たち
インドの街角に見られるさまざまなポスター。それぞれの土地柄によって、その傾向は異なる。バンガロールの場合、政治家のポスターにせよ、宗教団体のポスターにせよ、下の写真のようなテイストのものが多い。
政治家の場合、全身写真が一般的で、なぜか右足、まれに左足を一歩踏み出して「歩いている雰囲気」で撮影されているものが多い。直立不動というものはない。
その際、くたびれたチャッパル(サンダル)をはいている人も見受けられ、ポスターに掲載される写真を撮るときくらい、きれいな靴を履けばいいのに、とも思う。よくわからない。
敢えて言うまでもないが、インドの日々には、よくわからないことで満ちあふれている。
そしてまた、今日もまたよくわからないポスターを見つけた。聖母教会と墓地がある場所のそばを通過したとき、車窓から激写した一枚が下である。
中央に、聖母子像の写真。その周辺に、怪しげなおじさまたちの顔写真。いったい、彼らは何なのだろう。キリスト教会関係者か。写真をよくよく見てみると、下部にMary's Boys Associationとある。聖母マリアとボーイズの協会。
っていうと、彼らが聖母マリアのボーイズということなのか。
……。
ボーイその1:南インドはタミル映画の脇役に出てきそうなおじさん。
ボーイその2:額に見えるその護符は、ひょっとしてヒンドゥー教のものではないのか? そんなに堂々と、クリスチャンなポスターに露出していいものなのか? よくわからない。
ボーイその3の笑顔は屈託がなくてかわいいけれど、ボーイその4は、ひどく顔色が悪いが大丈夫か。
……。
聖母子の傍らで、サングラスはないんじゃないの〜? まるでタミル映画の主役気取りである。
インドの街角には不思議があふれている。へんてこに満ちている。毎日毎日、そういう光景を眺めながら、すでに「目が慣れて」しまっているけれど、慣れてしまっちゃまずい気もする。
時には初心に帰って、こうして目に留まるへんてこを記録しておこうと思う。
このサリーは、先日義父ロメイシュと義継母ウマがムンバイに遊びに来たおり、誕生日プレゼントにと贈ってくれていたバラナシ・シルクのサリーである。
薄紫色のシルクに銀糸での刺繍が施されている。光沢があり、とても美しい。
夏向きのオーガンジーのような「透け透け感」のある素材だが、かなりしっかりとしており、若干「網戸」的である。ひどい表現である。
絞りサリーや、シフォン系のサリーに比べるとやや着心地が悪いが、それでも素材が美しいのでとても気に入っている。
Karavalliで隣のテーブルに座っていたグループの女性たちがわたしの方をかなりジロジロと見ていたので、サリーを着ている東洋人が珍しいのだろうな、と思っていた。
インドの人たちでも、特にローカルの素朴系な人々は、人のことを容赦なく見つめる。見つめる彼らには、基本的に悪意はない。好奇心をそのままに、見つめているだけのことである。
わかっちゃいるが、ときどきムッとする。攻撃的な気分のときは、「なんガンつけようと〜」という気分になり、見つめ返す。どちらが先に目をそらすか戦ったりする。が、たいてい負けてしまう。
しかし今日の場合は、見つめるばかりでなく、ついには巨漢のおばさま(やはりサリー姿)が、よっこらしょという感じで、わざわざ席を立ちわたしの傍らまでやって来て、
「あなたのサリーは、本当に美しいです」
と、ほめてくれた。隣席のグループ一同、わたしを見て、笑顔で頷いてくれたのだった。
インド国内でサリー親善大使をやってどうする、という気がしないでもないが、ほめられてとてもうれしかった。
今後、誰かに見つめられても戦いを挑んだりせず、見つめられるがまま、見つめてもらおうと思った。