隣のアパートメントビルディングの地下にある、住人のための小さな八百屋。急に食材が不足したときなど、買いに行く便利な存在。数日前、カクテルを作るのに、ミントを買い忘れていたので調達した。
使い古された感あるビニル袋に入れてくれた。「地球の緑を守りましょう」と書いてある。そうだな、緑を大切にせんとな。……ん? なんで日本語? どういう経路で日本から旅をして来たのだろう、このビニル袋。
わたしは、日本における高度経済成長期に育った。幼児期、近所の山の木々が伐採され、団地が建設されるのを、また彼方にトビウオが飛ぶ海辺が埋め立てられ、やはり団地が建設されるのを、つぶさに見ながら育った。
年々、「自然の遊び場所」が減っていくのを、肌で感じながら大きくなった。
昨今のバンガロールにおけるすさまじいまでの土地開発は、当時の日本と重なる。子どものころから、理屈を抜きにして、そのような世の中の進み具合に強い危機感、いや不安を抱いていた。
幼少時には幼少時なりの「懐古の念」があって、喪われゆく風景に対するノスタルジアは募った。
思い返せば大反抗期だった中学2年のとき、しかし冬休みの作文に、喪われゆく緑を憂う文章を書いた。
物持ちのよいわたしだが、中学時代の写真はない。卒業アルバムも、なにもない。どこかに紛れていた数枚はあるかもしれないが、大半がない。なぜなら、高校時代に、捨ててしまったからだ。
中学2年以降のわたしは、非常に難しい時期にあった。家族にも、教師にも、ともかく反発しており、何もかもが気に入らなかった。詳細は割愛するが、だから、高校2年のときだったか、中学時代の自分を消し去りたく、すべて捨ててしまったのだ。
今思えば、何もかもの歯車がずれていたように思う。中学1年まではきちんとやっていた勉強も、2年になってからはいい加減になった。しかし、音楽、体育、美術、書道と、受験には関係ないところでは結構一生懸命だった。合唱コンクールではなぜかしら燃え、美術や書道の作品展には真剣に取り組み、作文コンクールにも熱心だった。
そんな反抗期真っ盛りのとき、冬休みの宿題で作文を書いた。問題視されていた生徒にしては、生真面目なテーマであった。
その作品は、校内で最優秀賞となり、県の審査に通され、最終的には福岡県で一番の賞をもらった。西日本新聞に全文が掲載されたりもした。思えばあれが、わたしの文章が西日本新聞に掲載された最初だった。
また、テレビ(TNCテレビ西日本)に出演し、自分の作品を朗読したりもした。
小学校1年生から中学3年生まで。テレビ局の待合室では、まじめそうな子どもたちが、両親共々、待機していた。そのころ、母親はまだしも、父親とはほとんど口をきいていなかったわたしは、ただ、黙り込み、自分の作文を読む練習すらしていなかった。
テレビに出ることなど、どうでもよかった。セーラー服の、ウエストをぴちっと詰め、むやみに丈の長いスカートで、どう見ても優等生からは遠く、笑顔もなく、仏頂面で作文を読んだ。
恥ずかしくも情けない。当時の自分にビンタを張りたいほどである。ビンタどころか取っ組み合いである。
だから、「坂田、あの作文は本当にお前が書いたんか?」と教師に疑われても、それは仕方がなかった。
「自分の作文読むのに、つっかえる奴があるか」と言われても、返す言葉はない。
当時の教師の、誰一人として、ほめてくれる人はなかった。上記のように皮肉こそ言う人はあれど。
中学校としては、本来なら名誉なことだったに違いないが、受賞したのがわたしだったのが、不本意だったのだのだろう。仕方ないと言えば仕方ないが、寛大な教師がひとりくらいいてもよかったものをと、今なら思う。相手は中学生ではないか。
ともあれ、当時のわたしは、教師の反応など、どうでもよかった。
……などとわたしは、かなり古い話を、なにを熱心に書いているのだろう。
そう。実は先日、中学時代に唯一、仲のよかった友人から、ずいぶん久しぶりにメールが届いたのだ。そのせいか、中学時代が少し、身近になっていた。
今日はトーマス・フリードマン著『グリーン革命』を読んで思うところを書くつもりだったのだが、中学時代の自分の話になってしまった。
今、急に思い立ち、古い資料の山をかき分けたところ、出て来た! 当時の作文が、である。
昭和54年度 小中学生作文集 第15回「農協の共済」小中学生作文コンクール
■主催 福岡県下農業協同組合/福岡県共催農業協同組合連合会
■後援 福岡県/福岡県教育委員会/西日本新聞社/テレビ西日本/日本農業新聞
■協力 福岡県小学校国語教育研究協議会/福岡県中学校国語教育研究協議会
今からちょうど30年前。中学2年の部での最優秀賞《県知事賞》を受けたのが、農協の主催のコンクールだけあり、緑の大切さを唱える我が作文であったのだ。
今、読み返した。たまらん。気恥ずかしい。生意気。博多弁でいうところの、「つやつけと〜」感じ。ま、それは今でも変わらぬが。
とはいえ、せっかくだから30年前のわが作文を、ここに転載してみよう。似たような表現が重複しているなど、まったくこなれてもいない文章だが、なにしろ昔のことである。看過していただきたい。それにしても、ランニングって……。時代を感じる表現である。
ランニングで得たもの 福岡市 香椎第二中学校 坂田美穂
年末からお正月にかけての六日間は、クラブ活動が停止になっていたので、その六日のあいだは毎日五キロのランニングをしておくようにと顧問の先生から言われていた。特に女子は太りやすいので注意するよう言われたので、わたしはその「太りやすい」という言葉に恐怖を感じて、また身体の調子をくずさないようにと、毎朝日の出の直前から走ることにした。コースは道に迷わない程度を自由に走ることにした。
わたしが今の家にきてから一年と少したつのだが、近所をまわるのは一年前、付近を下見に行って以来だった。
家からどのくらい離れたところだったかはよくわからないが、わたしはふと足を止め、目の前に広がる風景をしばらくの間、見つめた。一年前は確か山だったはずのところが、いつのまにかその面影はなく、切り開かれ、地表がさらけだされていたのである。
がけには冷たい四角のブロックがいくつもいくつも単調に積み重ねられていた。そのうえには、橋の方から積み木のような小さな家が、これもまたいくつもいくつも並べられている。山のみどりも自然もこうして少しずつ人間によってこわされていくんだな、と思うと心が晴れなかった。
あたりはまだ薄暗く、そう時間がたっているようでもなかったので、わたしはまた走り始めた。しばらくの間住宅街が続いていた。が、そのうちまわりの風景が、田圃や畑にかわっていった。家もあちらこちらにぽつんぽつんとしか見えなくなってしまった。いつのまにかわたしは走ることをわすれて、あたりをぼんやりとながめながら歩いていた。
そのうちに、東の山間のそらが少しずつ白みはじめてきた。山すそが、朝のおだやかでやわらかな光をいっぱいに浴びて、きらきらと輝いている。草や木の葉がいっせいに目を覚ます。葉の上の、小さな真珠のような朝露が、するりと葉をすべり、散る。
するとそのうち、民家のおんどりの朝を告げる甲高い鳴き声が、しんと静まり返っている周辺の静寂をおしやぶるかのように響き渡る。朝日に向かって、数えきれないほどのすずめが、群れをなして飛んで行く……。
一瞬の出来事が、わたしの心の隅に合った冷たいブロックといくつも並べられた家々のおもかげをきれいに洗い流してくれるようだった。ふとわれにかえり、わたしはまた、走りはじめた。
人類は、常に発展している。その発展の継続のためには、自然破壊はやむを得ない事実かもしれない。しかし、人々の心をなごませ、わたしたちの心を限りない空想の世界へつれていってくれる、そんな自然の風景はわたしたちにとって、かけがえのないものだと思う。
この貴重な自然の風景を破壊するのは人間だが、これをまたわたしたち人間が守っていかなければ、誰が守ってくれるだろう。朝、目を覚まして外へ出た時、緑の葉にきらきら輝く朝露を見た時、ふと窓の外に目をやった時、空一面に広がるあかね色に映えた夕焼けを見た時、そんな光景を目にしたときの感動は、自然があるからこそ感じられることなのだ。
そういうなんでもないようなことが、わたしたち人間の心にとってとてもたいせつなことではないだろうか。自然と人間とは目に見えない強い糸で硬く結ばれているのだ。しかしこの糸は今少しずつほどけかかっている。このほどけかかった糸と糸とをわたしたち人間の手でもう一度、強く結び直さなければならないと思う。
わたしはこのランニングによって、身体が鍛えられただけでなく自然を通しての思わぬ収穫を得た。走ることは苦しいが、走ることによって得た思わぬ感動はその苦しみには代えられない。これかあもこの経験をもとに、走り続けたいと思う。
1980年。欧州ではエコロジーが政治的な動きのなかにも見られていたころだが、当時の日本はまだ、「環境破壊」や「エコロジカルな生活」といったキーワードが、一般に浸透していなかったはずだ。なにしろ「バブル経済前夜」である。
この作文は、あくまでも叙情的で、社会性がない。しかし、理屈はともあれ、本能的に危機感を覚えていたことは事実である。
翻って現在のインドでの日々。叙情的な感情を凌駕し、その怒濤のような近代化に、危機感が募るばかりだ。もちろん、インド国内に限った問題ではない。10億人を超える人間が住むこの国。
……と、話がまた長くなってしまう。インドにおける環境問題。『グリーン革命』を巡って思うことなど、また改めて記したいと思う。
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