■老眼というもの。メガネというもの。
大小、連なっていた仕事がようやく一段落。プチ爽快感である。
が、諸々の資料をプリントアウトして文字校正をしていたここ数日、老眼(ばばくさい響き)の進みの著しさを痛感することしきり。
これは本当に老眼の進展なのか、単にメガネ(遠近両用)が合わなくなっているだけなのか、よくわからんが、モニターの文字を読むのは問題がないのに、プリントされた活字を読むのが辛い。というか、焦点を合わせる機能が低下しているような気がする。
先日、別人格ブログに書いた夕景色の話題。あのとき触れた芥川の『杜子春』を読み直そうと文庫本をひっぱりだせば、20年以上前の文庫本である。文字が著しく小さく、読みにくい。
寄る年波を感じてブルーになっている暇があったら、検眼に行ってメガネを新調したいものである。が! 次回、メガネは日本で買おうと思っているからまだしばらくは新調できない。
薄々気づいてはいたが、というか米国在住時から痛感していたのだが、顔の幅が広く、鼻が低い日本人、というかわたしの顔に合うメガネのフレームは、インドで見つけるのが超困難、なのだ。
先日出会ったメガネのフレーム会社に勤めるオーストラリア人からもきっぱりと言われたものだ。
「言いにくいけれど、日本人は、日本でメガネを買うべきです。インド人の顔とは違って、鼻が低いから、合わないんですよ」
やれやれ、っちゅう話である。
寝る前に、アルヴィンドとわたしのメガネが並んで置かれているさまを見ると、その大小の明らかさが、そこはかとなく痛いのである。それはまるで、メガネの親子、のようでもある。
■あふれる言葉。情報。しかし書くツイッター。
ところで、ツイッターというものを、やってみている。このブログの右側に、わたしの言葉が更新されている。ブログを書いてはいない間も、仕事の合間に、ちょっと思いついたことや、ちょっと覚えておきたいことを書くのに便利である。
そもそもの目的は、人々のコメントをフォローする(読む)ことも含まれるのだろうが、大量の人々の言葉を読む気力も欲求も時間もないので、取り敢えず、自分が書いている。いいたいことを140字以内にまとめるのは、結構おもしろい。
以下はここ数日の一例である。
●山口美央子、という偉大なるミュージシャンがいたことを、知る人は少ないだろう。高校時代のわたしの心を、激しく揺さぶった人。「さても天晴夢桜」「夏」「夕顔あはれ」……彼女の世界の夕景色もまた、強烈だ。今思い返しても、歌詞のすばらしさに感嘆する。
●特に新興都市のバンガロールは良質運転手の不足が深刻。なはず。十数年前は馬車メインの静かな道路も、今や自動車(四輪、三輪、二輪)の渦。標識は最近少しずつ増えて来たが、信号のない交差点未だ多数。夜は節電のためか電気もつかず危ない。いつになったらわが家にまともな運転手が来るのだろう。
●インドでヤクルト大健闘。随所で5本セットパックを見る。デリーで従兄弟宅に土産に持参したら「あ、ヤクルトね」。ムンバイのグランドハイアット高級デリでは、バラ売りで並んでいる。5℃以下で保存と明記されているヨーグルトは外、だがヤクルトは冷蔵庫に入れている小売店も。味も受けているはず。
●クリケットIPL開幕。2年前の初年はインド国内で賑やかに、2年目はテロの怖れがあったため、南アフリカで、そして3年目、再びインド。現在ムンバイでの開幕式の様子がテレビに。ディーピカ・パドゥコーネが踊っている。あれこれ出し物が次々と。3年前も書いたが、クリケット世界も刷新され過ぎ。
●1993年、東京でフリーランスのライター&編集者として独立した。情報収集は体力勝負だった。一本の記事を書くにも、書店を巡り、図書館へ赴き、膨大な資料を集めて書いた。今は、一瞬のうちに最新の情報を得られる。助かる。しかしとめどない。書いている先から、最新情報が次々に流れてくる。
●明後日締め切りの西日本新聞連載『激変するインド』。メディカルツーリズム関連の資料をまとめ、書き始めようとしていたら、「印フォルティス、シンガポール医療パークウェイに24%出資」のニュース。業界トップだったアポロを抜いて一位になるし、インド国外(アジア)に話題は広がるし、嗚呼!
●丸ごとチキンを解体してのチキンカツ。骨付近がジューシーで、激ウマ。ついついついつい、二人して食べ過ぎてしまう。なら、揚げすぎるな、という話だ。マッシュドポテトと大量野菜炒めで一応バランスのいい食卓。それにしても、インドがタイに次いで世界第二位のメディカルツーリズム大国だったとは。
●高級ホテルのダイニング、高級レストランでのサンデーブランチは一つの社交の形になった気がする。コンチネンタル料理のブッフェに、スパークリングワイン(あるいはシャンパン)他カクテル込み。2005年ムンバイINDIGOで初体験。衝撃だった。パンケーキ、ステーキ、ピザなども注文可能で。
……と、試しに転載してみたが、ちりも積もれば山である。
それにしても、どうしても理解できないのが、何百人、いや何千人もの人々をフォローしている人のことだ。流れ落ちる滝の如く、怒濤の波のごとく、情報が次々に出てくるのを、どうやって取捨選択して読むのだろう。
このごろはあふれすぎている情報について思うことが多いが、大した考察もなく、ただ「情報断ち」の時間を持つべきかもしれないと、それがいつどのようになのかはわからないが、思うのだ。と、つべこべ言ってみてはいるものの、取り敢えず、ツイッターを「書く」のは楽しいので、しばらくは続けてみようかとも思う。
■美味イタリアンランチと、フレンチなスウィーツ
外食に行く機会は、多そうに見えるかもしれないが、旅行中を除いては非常に少ない。特にバンガロール宅にいるときは、友人とのランチなどを除き、夕食はほとんど家である。
自分で言うが、自分で作る料理はおいしいし健康的だし、夫も喜ぶし、家はリラックスできるしで、外食に行きたい衝動が、あまりわかないのだ。
とはいえ、家庭では作らない、作れない料理を味わいたいときもあるし、気分転換に外へ出たいときもある。
そんなわけで、今日は夫とCAPERBERRYという店へ赴いた。普段はスパニッシュのタパスなどを出すレストランだが、ここ数日イタリアンフェアをやっているとの案内を受けていたので、試しに行ってみたのだ。
これがなかなかに、いや、かなりよかった。まず、サラダがよかった。ひよこ豆、大豆、大福豆(?)など数種類の豆と、アレギュラサラダ、インゲン、パルミジャーノなどが入ったサラダである。ほんの少し鏤められたミントの葉がアクセントでまたおいしい。
我が好物のアレギュラ(アリギュラ)の葉。米国では一般的な青菜だが、インドではなかなか見つからない。以前、NAMDHARI'Sで見かけたが、最近はしばらく見ていない。いっそ庭で栽培してみようかとも思う。
ともあれ、豆のサラダは、家でも応用して作ってみたいと思える味だった。
その他、サーモン入りエンジェルヘアのパスタ、それにリゾットが添えられたラムチョップも美味である。3皿を注文して、シェアして食べたのだが、十分なヴォリュームである。インドでは、料理をシェアして食べるのが「普通」なので、給仕がテーブルで取り分けてくれる。しかし、たいていの給仕が「均等分けが下手」である。
パスタなど、人によっては麺だらけ、人によっては具だらけ、といった事態が発生する。インドって、どうしてこうなんだろう。不思議でならない。
そんな話はさておき、料理は想像以上においしくて、うれしかった。それから、マハラシュトラ州ナシック産のSULAのデザートワイン、LATE HARVEST CHEMIN BLANCを初めて試したのだが、これもまた予想以上においしくて、うれしかった。
ちなみにこの店。オーナーは、IT企業大手のインフォシス(INFOSYS)の創業メンバーの一人、S.D.Shibulal氏の娘、Shrutiという女性だとのこと。彼女は最近、FAVAというレストランをUBシティにオープンしている。先日さくら会のランチが開かれたところだ。
だからどうだというわけではないが、日々、新しいインドでの生活である。
食後は、UBシティへ赴き、アップルコンピュータのimagine shopへ。注文していたワイヤレスのマジックマウスと、やはりワイヤレスのキーボードを購入しに立ち寄ったのだ。
わたしは1年前に購入したMacBook Proを使っているが、コンピュータのキーボードを叩く時、本体の熱や微振動が気になって、いやなのだ。ワイヤ付きのキーボードをくっつけて使用していたが、新しいキーボードはコンパクトなので旅行時にも気軽に持ち運べるし、使い勝手がいい気がする。
マウスは間違いなく、以前のマウスよりも使いやすい。うれしい。このような小さな変化が作業を向上させると思うと、進化し続けるテクノロジーに感謝である。
UBシティを去る前に、夫のリクエストで、例のCAFE NOIRにてコーヒーとお菓子を。巨大なミルフィーユ(だと思う)を二人でわけて食べた。カプチーノも美味であった。帰りにバゲットなどを買って帰った。
不都合なことは絶え間なく起こる気もするが、しかし何不自由ないなとも思える、インドでの生活である。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)
■名も知らぬ、小鳥たちが訪れる庭
■翡翠もしくはカワセミという名のビール
■『杜子春』のなかの、夕景色。
■着物の着付け。書道のたしなみ。