6月中旬より新しく始まるプロジェクトの前に、短い休暇を取りたいと言っていた夫。しかし日程がなかなか定まらず、行き先も決まらず、休暇はもうなしにしようと話していたが、しかし2日前になって、やはり行くことを確定。
行き先は、いくつかあった候補の中から、車で赴けるカルナータカ州のクールグ(コダグ)に決めた。4年前、この地のカビニへ赴き、ジャングルにてさまざまな動物に遭遇する旅をしたが、今回はコーヒー農園の中のリゾート滞在。
以前とはまた異なる高原の森の様子を楽しみたいと、評判の高いオレンジ・カウンティに滞在を決めたのだった。
さて、3泊4日の記録を分割せず、一気に下記にまとめた。4日目、帰路に立ち寄ったチベット人居住区のバイラクーペについてだけは、後日記そうと思っている。
手書きメモを含め、かなり散漫な内容だが、あくまでも自分の記録優先で今回も、ここにまとめている。同時に、この地の雰囲気を、感じ取ってもらえれば、とも思う。
なお、オレンジ・カウンティは、ホームページや、訪問者のコメントから受ける印象とは少し異なった。ホームページを見る限りでは、「ラグジュリアスなリゾート」であるが、決して豪奢ではない。
かなりシンプルで、「自然優先」の印象を受けた。ともあれ、参考までにリゾートのリンク先を記しておく。
●ORANGE COUNTY,COORG, INDIA(リゾートのホームページ)
●週末。象たちの住むジャングルへ。(2006年5月 カビニ旅行の記録)
※今回の記録に限ったことではありませんが、写真はクリックすると別ウインドウで「鮮明な写真」が現れます。
■早朝起床。張り切って7時半に出発
前夜の雨のあまりのひどさに、出発日の天候が懸念されたが、幸い好天だった。市街が込み合う前に家を出て、マイソールへ向かうハイウエイに乗る。
ムンバイにせよ、バンガロールにせよ、市街では「スロースピード」が日常のインド。それが郊外のハイウェイに乗った途端、100キロを超えたりするものだから、慣れないスピード感にやや緊張する。
我が家の車が110キロを超える速度を出すなど、初めてのことではなかろうか。
さて、バンガロールから目的地までは約235キロ。
これが米国なら3、4時間もあれば到着するところだが、ここはインド。
インドではたとえハイウェイに乗ったとしても、時速40~50キロで計算するのが妥当だ。
つまり6時間前後。目的地までの距離とは「直線距離」のことを言っているんじゃなかろうかと誤解するほど、何だか時間がかかるのだ。
バンガロールからマイソールへと伸びる道を、初めて通ったのは2003年の終わりのこと。当時はハイウェイが未完成で、状況の悪い道路だった。
今や大半の道路が「滑らか」で、途中にマクドナルドあり、Cafe Caffe Dayが数店舗、Baristaもあって、休憩も取りやすくなった。
とはいえ、わたしたちは、そのいずれの店にも立ち寄らない。やはり2003年に、義理の家族とマイソールを訪れた際に立ち寄った食堂で、朝食をとると決めていたのだ。
ところで右上の写真は、途中の村落にて。信号待ちの車めがけて「ジャックフルーツの実売り」や「マンゴーの実売り」がやってくる。
■ティファニーで朝食を。(一人当たり、約100円)
さて、その店はマドゥールという村にある。その名を、ティファニーズという。従っては「ティファニーで朝食を」なのであるが、店のムードはローカル満開だ。店舗が拡張され、看板も新調されていたが、雰囲気は以前のまま。
しかも、安い。一人100円程度で、ヴァダ(スナック)、ドサ、コーヒーが楽しめる。
わたしにとっては、6年前からの忘れ得ぬ味。もっともアルヴィンドはドサしか覚えていなかったが、ともあれ、どちらも注文。
この店の特製ヴァダは、タマネギなどが練り込まれた甘くないスナック風ビスケットのような塩梅だ。
左上の、見た目「チョコレートチップクッキー?」みたいなスナックが、ヴァダだ。チャトゥネをつけて食べる。やっぱり美味! 夫も気に入ったようで「もう一皿頼む?」と積極的だ。しかしドサがあるので、制する。
マサラ(複合スパイス)で味付けしたジャガイモを巻き込んだドサは、香ばしく焼き上げられて、三角に折り曲げられている。
パリパリと手で割りながら食べる。指先が油っこくなるが、それはそれである。
そして食後は、サウスインディアン・コーヒー!
先日、サウスインディアン・コーヒーについて、「キレイなブログ」で熱く語った。
興味のある方は、下記をご覧いただければと思う。
●コーヒー産地、南インドで愉しむ一杯 (←Click!)
普段はブラックを好むわたしだが、しかしこの甘くてミルキーなコーヒー牛乳的コーヒーもまた、好きなのだ。
ともあれドサは南インドの「朝食メニュー」であるからして、郷に入れば郷に従うのである。
さて、食後はまた、ひたすら目的地へ向けて走る。
何度もうとうととしていたので、車窓からの景色をすべて網羅していたわけではないが、しかし、数年前に走ったときとは異なる車窓からの光景は興味深い。
途中で、先日ここでも紹介したバンガロール産ウイスキーAMRUTの醸造所を見つけたり、あるいは集落にスーパーマーケットなどを見つけて「近代化」を実感したりするのだった。
途中マイソールを避けるようにハイウェイを外れたりしながら、椰子の木の揺れる、田園風景ののどかな、道を走る。
映画館が多い集落を抜け、マフィアのような政治家のポスターを眺めたりしつつ、走りゆく。
マイソールを過ぎた頃から、あたりの光景は、一段と長閑な村落に変わる。農民たちの姿は、以前とは変わらぬ様子で、時間の流れが急に緩やかに伸びるようだ。
インドは、都市部を離れるとたちまち、このような田園風景が広がっている。昔ながらの方法で、家畜を使い、人力で、農作業を行っている。
インドの、広大な国土の、都市部は本当に「点」なのだと思う。点と線、ならぬ、点と面。
わたしは、インドの「面」を、知らない。ごく一部の「点」を訪れたことがあるだけだ。
■オレンジ・カウンティ@クールグに到着
そして午後1時半、ようやく目的地であるオレンジ・カウンティに到着した。合計6時間。読み通りであった。
車を降りるや、楽隊の笛や太鼓に歓迎され、額にビンディをつけられての歓待を受ける。
冷たいおしぼりを差し出された後、小さなグラスを供される。
口にすれば、これがまた冷たくておいしいコーヒー牛乳!!
さすがコーヒープランテーションのただ中にあるリゾートだけあり、コーヒーがおいしい。
日常生活にコーヒーが不可欠な身としては、このうえなく幸せな気分だ。
しかし、気になるのは暑さ。高原はもっと涼しいと思っていたが、バンガロールよりも湿度が高く、蒸し暑い気がする。
さて、チェックインをすませたあとはランチである。3つあるというダイニングのうち、一つのカフェを訪れ、インド料理&コンチネンタル料理のブッフェを味わうことにした。
豚の皮の部分までも煮込んだ、豚の角煮カレーともいうべく料理(写真中央の緑色のもの)。
これがかなりおいしかった。
日本の女子的にいえば、「コラーゲンたっぷり」である。
全般に美味な料理だが、しかしリッチ(濃厚)な味付けが目立つ。
この3泊4日でまたしても夫婦揃って増量の予感……。
■リゾート内、コーヒー農園を巡る小ツアーに参加
今は夏休みとあってか、部屋は満室。ゲストはカップル、家族連れとさまざまだが、主にはインド人家族のようである。
さて、午後5時から開催されるコーヒー農園ツアーに参加したのは総勢20名ほど。わたしを除いては、みなインド人だ。
小雨の降る中、しかし雨に洗われた緑が一段と色味を増して鮮やかな中を、ガイドの案内に従って歩く。
激烈にインドなまりの英語だが、しかし演技じみた口調が妙にわかりやすいツアーガイドの仕切りで、各自が簡単に自己紹介をしたあとツアー開始。
右の写真、わたしの右横で、か細く見えるのがローズウッドの木だ。
この木は稀少な木であるということは知っている。
ギターの素材にもなるとのこと。
我が家にもローズウッドを用いたアンティークの家具がひとつあるが、一般的なティークウッド(チーク材)に比べると割高だった。
この木は種子がないため、増やすのが難しいのだという。
1本の木が30年ほどかけてようやく、伸ばした根から芽を出して、それが木になるのだという。
このローズウッドの脇にも、細い木が数本、伸びているのがお分かりいただけるだろうか。
右上の写真はジャックフルーツの木。大きな実がなっている。バンガロールの町中でもよく見かけるこの巨大な果実。やや癖のある匂いがするが、ガムのようなグミのような歯ごたえがユニークな食べ物だ。
バングラデシュの国の果物でもあるというこのジャックフルーツ。象の大好物らしく、クールグで最も広大なコーヒープランテーションを持つタタの農園には、毎年ジャックフルーツの木を求めて象の群れが侵入してくるとのこと。
象は視力が弱いものの鼻が利くため、遠くからやってきては、ジャックフルーツをもとめて農園に数カ月居座るらしい。ジャックフルーツの木に体当たりして、落ちてくる実、つまり熟した実を食べるのだとか。追い返そうものなら農園を荒らされるので、共存しているとのこと。
もっとも、このリゾートに隣接するジャングルにも象は棲息していて、時折コーヒー農園にあるジャックフルーツの木を目指して、農園内にやってくるらしい。しかし、彼らの来訪は夜10時過ぎから夜明けだとのことで、出会うことはない。
ヤギ飼いの男が、ある赤い実を食べたヤギたちが急に興奮して踊るように飛び跳ねはじめたことを不審に思い、理由を探るべく赤い実を採取したところから、この赤い実(コーヒー豆)の歴史が始まった。
という話は、わたしも子どものころ、何かの本で読んだ記憶がある。
この農園で取れるコーヒー豆は、アラビカ種とロバスタ種の2種類。アラビカはマイルドで香りが優しく、ロバスタはやや強めだとのことで、このプランテーションでは二種類をブレンドしているのだとか。
左上の写真はローストする前の豆。コーヒー特有の香りはなく、青臭い。右上はローストされた豆。抜群にいい香り。いつまでも鼻をくっつけていたくなるような芳香だ。
コーヒー豆を、ローストすることを思いついた人は、この、あまりにも思いがけない芳しい香りを嗅いで、何を思ったことだろう。
いつしか雨は上がり、1時間余りのツアーは終了。森や田圃を眺める「コーヒーラウンジ」に赴く。
このコーヒーラウンジがまた、格別に心地のよい場所。たちまち「お気に入りの場所」となった。雨のお陰の涼風が、森をくぐり抜けてくる。夕暮れの、雨上がりの、緑の濃淡が目に優しい。
ところでこのクールグ一帯は、1980年代までオレンジの産地だったという。
ところがある時、オレンジにカビのような菌が繁殖し、クールグ中のオレンジの木が影響を受けた。
どんな手だても実らず、最終的にすべてのオレンジの木は根こそぎ引き抜かれ、焼却処分をせねばならなくなったという。
このリゾートが「オレンジ・カウンティ」と名付けられたのは、過去、ここでオレンジがとれていたという記憶をとどめるために、とのことだ。
なにやら、心に迫る話である。
さて、煎れたてのラフェラテもまた美味で、ただ一杯のコーヒーを味わうだけなのに、ひとつの儀式のような厳かな心持ちにさえ、させられるのだ。
ランチをたっぷりとったので、夜は軽くヴェジタリアンにしようとインド料理の店に赴くが、ヴェジタリアンだからといって決して軽くはないのだインドのそれは。ということを、毎度のように思い知らされる。
お気に入りの食前スナックにはじまり。スープ、ドリンク、そしてミールス。わたしは南インドのそれを、夫は北インドのそれを注文。
詳細は割愛するが、ご覧の通りのヴォリュームで、もちろん食べ尽くしたりはしなかったものの、おいしく食したのだった。
食後の腹ごなしに、夜の小道を歩く。天を仰ぎ見れば、大粒の星々が迫り来るように煌めいている。
ところで今回、旅先では、ほとんどコンピュータを触らなかった。その分、部屋に備え付けてあったノートパッドにメモを書き留めた。
こういう機会でもなければ、ペンを手にして、文章を綴ることなどほとんどない。15年ほど前までは、毎日綴っていたのにも関わらず、最近では、スケジュールノートに走り書きをする程度。
紙に文字をしたためる。懐かしい感触と共に、懐かしい記憶が蘇る。
(帰宅して読み直せば、いくつかの誤字を発見。職業柄、看過できず、訂正を入れておいた。)
【DAY2:2日目】
■雨上がりのコーヒー農園を、森〈ジャングル〉を歩く。
夜、何時ごろだっただろう。激しい雨音で目が覚めた。
それから延々と、多分降り続いていた雨は、曙のころとなってもまだ降り続き、6時半からのバードウォッチングに参加するべきかどうか迷っていたが、迷わず寝続ける方を選ぶ。
まだ雨は降り続いていたが、彼方の雲に切れ目が見える。
そのうち晴れるのかもしれないと思ううちにも、雨脚は弱まって、朝食に出かける頃にはもう、傘も要らず。
主にはフルーツと、それから南インドの朝食を味わう。
サトウキビのジュースが、まろやかに甘くておいしい。(×囁り→○囀り)
朝食をすませ、今日は午前10時からの、2時間半のコーヒー農園&森歩きのツアーに参加する。昨日とは打って変わっての小人数。わたしたちを含めて5名のゲストと共に歩き出す。
ダイニングルームは、昨日わたしたちのあとにチェックインしたらしきドイツ人の団体(約40名)に席巻されていて、ここ数日は満室とのことだったから、大人数のツアーになることを懸念していたのだが、少なくてよかった。
静かに、歩ける。
簡単な自己紹介をすませて歩き始める頃には、太陽は鋭く照りつけ始め、暑い。
おにぎりを持たせたら「山下画伯状態」の夫。雨を恐れて傘やジャケットを詰め込んでいるが故。わたしもまたバックパックを背負い、水はもちろん、念のために長袖のジャケットなども詰め込んでの重装備である。
膝下の黒いカヴァーは、ガイドから支給された「ヒルよけ」だ。雨上がりのあとは、ヒルがたくさん発生するとのことで、着用を勧められた。靴の下に履くのでゴワゴワするが、ヒルにまとわりつかれるよりは、いい。
ところでわたしの背後の、麗しい並木は、シルヴァーオークの木。この道を歩いて行きたかったのだが、あいにくガイドは反対方向に進むのだった。
コーヒー豆の収穫のシーズンは終わったあとだとのことだが、緑色の小さな若い実ばかりの中に、赤い実を見つけた。中には、青白いコーヒー豆のもと。
途中から、コーヒー農園をはずれて、ジャングルの「ほんの片隅」に足を踏み込む。
ところで「ジャングル」の語源はインドの、ベンガル地方の言葉である。
右上の写真は、象の形跡。身体を掻くために、樹に身体をこすりつけたあとが、この赤土色なのだという。
左上は、我が家の庭にもしばしばやってくる天竺揚羽。しかし、我が家のそれよりも、一回り大きく、存在感が際立っている。きれい。右の木は、「水を出す木」。木の表面に傷を付けると、水が噴き出すのだという。
やがて視界が開けて、カーヴェリー川に到着。ここで靴を脱いだところ、両足に2匹ずつ、ヒルを発見! ヒルよけカヴァーを着用しておいてよかった!
2時間半の森歩きを終える頃には、すっかり汗をかき、ほどよい疲労感に包まれている。出発地点のリゾート入り口では、冷たいおしぼりと、サトウキビジュースを用意した女性のスタッフが待機していた。すばらしい心遣い!
彼女たちのサリー。お気づきの方もあるだろう。ユニークな着用の仕方である。この着方はこの地域、クールグならでは着付けだという。パルーの部分を背中にきれいに見せて、これもまた、エレガントな雰囲気だ。
のんびりと、しかし瞬く間に、時間は過ぎて行く。ランチを終えて、昼寝でもしたいところだが、それでは少し惜しい気がして、リゾートの中を散策する。それから部屋に戻って読書をする。
出発前に思い出した安部公房。『方舟さくら丸』を荷物に詰め込み、読み始めたが、もうあり得ないほどくどくて、陰鬱な小説に、愕然とする。ここには似合わなさすぎるのだが、しかし、読み進める。
部屋に用意されていたカシューナッツ。ケララ産。「胡椒風味」がかなり美味で、ビールとよく合う。とまらない。
■カーヴェリー川を、丸い舟で、漂うひととき。
夕方、夫の積極的な誘いにつられて、ボート遊びへ赴く。右上のノートにも記している通りだが。椀型の船でカーヴェリー川をほんの少し、巡るのだ。
夫のせいで、船酔いさせられたが、それを除いては「概ね楽しい船旅だった」ということにしておこう。詳しくはメモを参照されたい。
「あなたが変な漕ぎ方するから、気持ち悪いじゃないのよぅ! もう!!」
船から降りて、悪態をつく妻。実際、頭痛と目眩で、かなり気持ちが悪い。
「ゴメンナサイ」
といいながらも、わたしの三半規管の弱さを実に理解してくれないのが我が夫である。毎回、むかつく。
と、一緒に歩いていた夫が突然、背後に飛び退いた。
蛇!
蛇に近寄る妻。離れる夫。
なにしろ、妻はヘビ年、夫はネズミ年なのだ。だからというわけではないが、夫はヘビが大の苦手。わたしはノープロブレム。
船頭のおじさんは「毒蛇」だというのだが、どうだろう。毒蛇は首のあたりが三角形のものが多いはずだが、これは違う。
ともあれヘビを挑発するようなことはしては危険なので、やや離れてズームで写真を撮った。
実際、50センチほどの小さいヘビだが、口を開いて「シャ~ッ」と威嚇するところが、かなり興味深かった。船酔いのことなど、すっかり忘れてしまった。
リゾートに戻った後、顔なじみになった他のゲストに、ヘビの報告をする夫。
「さっき、川縁でヘビを見たんですよ。船頭曰く、毒があるって言ってました。青緑色の、鮮やかな色でした」
……って、どこが青緑色よ!
「毒蛇=鮮やかな色」という先入観が、現実を塗り替えてしまっているようだ。というか、相当、ヘビに動揺していたのかもしれない。ちょっと、面白い。
さて、夜は夕食の前に、この地での伝統的なダンスが行われるというので、広場へ赴いた。ここから数十キロ離れた集落に暮らすという男性たち。
彼らの風貌は、一般的な南インド人とは様子が異なり、非常にほっそりとしており、顔つきがシャープだ。
ガイド曰く、クールグには、紀元前325年ごろアレクサンダー大王がインドに攻め入った際、この辺りまで侵攻してきたという。
アレクサンダー大王……?!
一足先に帰還したアレクサンダーがマラリアによって32歳の若さで死んだ後、残された兵らは指揮を失い、この地に留まった者が多かったとか。
遠征軍の血を引く末裔が、クールグには多く残っているとかで、「今現在も」、インドで有名な軍人(ジェネラル)の多くは、クールグ出身なのだという。
アレクサンダー大王……。
2000年以上の歴史を超えて、あまりにも歴史が遡られすぎて、なにやら茫然とさせられる思いだ。インドとは、本当に興味の尽きない深い国だということを、またしても、思い知らされる。
さて、しかしながら、彼らのダンスはといえば、かなりスローで、あまり「勇壮」には見えないのだった。
その「???」な観客の様子を察してか、ガイドが説明する。
「このリゾートでは、毎日、クールグの伝統的な舞踊をご紹介しています。
決して華美ではなくても、そこには、この地の歴史を伝える物語があるからです」
このような企画は、とても意義深いし、同時に心に残るものであると痛感した。
ダンスを終えたお兄さんと、記念撮影をする夫。
夫が持っているのは、ダンスに使用した刀剣。
クールグの伝統的な刀剣だとのことで、ギリシャのそれとよく似ているという。
さて夕食は、タンドーリ料理を出すインド料理レストランへ。
ここは、湖畔にテラスがあり、非常に眺めがよい。
飛んでくるが、このリゾートの、「殺虫剤を散布しない」姿勢に、とても感銘を受けた。
虫を防ぐために何かの香木が燃やされており、それで人間もいぶされている状態。
今や「人間優先」の世界は極みで、インドでもまた、ペストコントロール(殺虫剤散布)は日常的。
それが及ぼす影響について、ここでは記さないが、ともあれ、人は少々の不都合を受け入れることに対して、もっと積極的になるべきなのだと、このような場所では改めて、思うのだ。
【DAY3:3日目】
●今朝もまた、森を歩くツアーに参加
本当は、リゾートから車で約1時間以上離れた場所にある川辺で「象の入浴をお手伝いする」というツアーに参加する予定だった。
しかし、他のゲストからあれこれと情報を集めてきた夫曰く、
「子どもには向いているが、大人はいまひとつ楽しめない」
との評価が多数だったとのこと。すぐ近くであれば、他人の評価はさておき、象を「触りに」行きたいところだったが、しかし往復2時間以上かけて赴くとなると話は別。
検討の結果、今日もまた、森歩きに出かけることにした。ルートは同じだとのことだが、ガイドも参加するゲストも、もちろん異なる。日によって、目に映る光景も変わるだろう。
ブドウジュースにフルーツ、そしてプレーンのドサで朝食をすませたあと、昨日と同じ場所で集合。ムンバイからの家族連れ(ティーンエージャー3名を含む)、デリーからの男性、バンガロールからの女性……。
みな、同行者とは別行動で、参加しているようである。
昨日よりも、個性豊かな面々で、とくにデリーから来たという老齢のドクターが興味深かった。鳥や蝶に詳しいらしく、双眼鏡を携え、ポケットにはこのあたりに生息する鳥類の一覧メモがある。
中盤からドクターと夫はずいぶんと意気投合し、あれこれと会話を弾ませていた。最後には連絡先の交換をするなど、盛り上がっていた。
■アーユルヴェーダのトリートメントを受ける午後
午後は、夫もわたしもアーユルヴェーダの予約を入れていた。リゾート内にはアーユルヴェーダの専用施設があるのだ。
建物は伝統的なケララ建築で、先だって訪れたアーユルヴェーダグラムを思い出させる。
夫もわたしも、全身マッサージの「アビヤンガ」と、額にオイルをたらたらと垂らす「シロダラ」を受けることにした。
折しも、雨が降り出して、ちょうどいいタイミングである。
トリートメントの間は起きている方がいいのだと、アーユルヴェーダグラムのドクターに言われたが、心地よさに睡魔が迫り、雨音が、次第に遠のいてゆく。
【DAY4:4日目】
■そして、リゾートを離れる朝。
瞬く間に3泊は過ぎて、しかし夫もわたしも、十分にリフレッシュできた。サイクリングで村を巡りたいなどと思っていたが、そのような余裕はなかった。
窓辺のテーブルで朝食をとる。見下ろせば、プールサイドでインド人のおじさんが、果てしなく屈託なく、水遊びに興じている。面白い。
大きな羽根。トンビのものだろうか。
よくよく見れば、本日のわたしのシャツと「おそろい」である。
先日は、庭師の息子とおそろいだったが、今日は鳥である。
そんな話はさておき、最後に、ショップへ立ち寄る。
コーヒー豆、シナモン、カシューナッツなどを購入する。
実は初日、このショップでオーガニックコットンのシャツを2枚、購入していたのだった。
2日目の森歩きで着用したアイヴォリーのシャツと、左下の写真がそれである。
カルナタカ州南部のどこかにあるオーガニックファームで作られているらしい。軽くて優しい肌触り。長袖で軽い素材は、このような旅行に好適だ。
リゾートをあとにする。
さて、帰路は立ち寄るべき場所があった。
このクールグの地にある、チベット人の居住区バイラクーペだ。
このところ、ダライラマの書物を熱心に読んでいる夫。
今回、クールグへ行くのなら、一度バイラクーペに立ち寄りたいと言っていたのだ。
わたしもまた、非常に興味深く思い、同意した。
バイラクーペでの数時間の出来事は、また後日、記そうと思う。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)