昨日から今日にかけては、新聞のあちこちで目にするこのマーク。インド通貨であるルピーのシンボルが15日、インド政府により決定されたのだ。$とか¥とか€とか£に並ぶ、シンボルである。
ひらがなの「き」を走り書きして、上の出っ張りをなくしたような、このマーク。わたしもすでに書く練習をして、いつでも使える態勢だ。
そんな話はさておき、数多くの候補から選ばれたのは、ウダヤ・クマール氏(32歳)が考案したデザイン。写真に写っている笑顔の青年(中年?)がその人だ。
ヒンディー語やマラティ語に用いられる「デヴァナガリ文字」をアレンジしたものだとのこと。デヴァナガリ文字とは、以下のような文字である。
मीहो साकाता मलहन (みほ さかた まるはん)
この通貨のマークは、「र」(R)に似ている。
あちこちの新聞に、あれこと記事がある。インドのメディアでいつも不思議に思うのが、年齢が微妙に違うことだ。32歳とある新聞もあるし、31歳というのもある。まさか誕生日が昨日今日だったわけではあるまい。
こういうことがよくあるインド。何ごとも、「適当な感じ」である。
それにしても、意味がよくわからないのはTHE TIMES OF INDIAの記事。冒頭分を引用する。
MUMBAI: The man who created the symbol for the Indian rupee is a single parent with 18 children, living on the IIT-Bombay campus.
インド・ルピーのシンボルを考案した男性は、ムンバイのIITキャンパスに住む、18人の子どもを持つシングルファーザーだ。
え、えええぇぇぇ〜っ?!! 18人の子ども〜? 32歳で〜?! 養子〜??
瞬間、あれこれと考える。意味が分からん。先に読み進むと、「18人の子ども」とは、どうも彼が育てている植物を形容しているらしい。
形容するのは勝手だが、新聞に、しかも冒頭に、そのわけのわからんたとえを入れるのはいかがなものか。インド最大の英字紙、THE TIMES OF INDIAの記者よ。それとも、先を読ませるこれは作戦か。
ちなみに彼は、他の通貨のシンボルの中では、¥が一番好きらしい。¥のマークをみると、すぐさま日本か中国がイメージされるらしい。へぇ〜〜〜。そんなものだろうか。
とまあ、そんな話はさておき、インド通貨もいよいよ「国際的」になってくるわけだ。しかし貧富の差、物価の差の著しいインド。1ルピーの重みが、個々人によっても、著しく違う。
ところで昨日、ご近所の「どローカル食堂」にて、男衆に紛れつつ、ドサを食べた。コーヒーを飲んだ。満足ランチで28ルピーだった。おつりの2ルピーを「チップ」にした。
2ルピーで、いいのか………?と一瞬迷ったが、だからって10ルピーや20ルピーを置いていった日には、気前がよ過ぎる感じである。
インドのレストランに置いていくチップは、5〜10%にしているが、高級レストランとローカル食堂では、その金額が違いすぎる。なんだかもう、よくわからん。
ちなみに「どローカル食堂」のレポートはキレイな話題ではないが、キレイなブログに載せている。
男衆に紛れ、超庶民派食堂でランチ (←Click!)
こんな標識が存在しなければならない国。それはインド。先進国なら「常識で考えたらわかるやろ!」の世界である。
ここ数年、バンガロールに道路標識が続々と誕生している。それは日々激増している二輪三輪四輪自動車への対応でもある。
ほんの十数年前までは、アンバサダーかフォードやマルチスズキの小型車か、馬車か牛車かロバ車か大八車しか走っていなかったらしいバンガロール。しかも、それらは、ちらほらと。
ここ十年のうちにも猛烈な勢いで車が増えており、道路も信号も標識も足りないという現状はこれまで幾度となく記して来た。
交通ルールを把握しているドライヴァーも少ないからこそ、道路はいつでもケイオス(混沌)なのである。
今年に入ってからは、道路交通を管理するポリスは「Blackberry (ブラックベリー)」を携帯している。米国などでは久しく、ビジネスマンらをはじめとする人々が必携のスマートフォンである。
これを持っている人は、常に常に、ちまちまとメールをチェックしていることから、Crackberry(クラックベリー)とも揶揄されている。クラックとは、麻薬のことである。
我が夫も米国在住時から使用しているが、外出時も、なにかにつけてチェックしようとするので、妻は「緊急時でもない限りやめて」と言う。
あんなもんに気を取られて歩いていたら、道端に穴ぼこの多いインド。足がはまってこける(転ぶ)こと必至である。
そんな話はさておき、ポリスらは、たとえば違反者などのデータ(免許証番号や罰金の内容)をブラックベリーでセンターに送信し、違反歴と照合するなど、詳しくはよくわからんが、ともかくシステムが「ハイテク化」しているようだ。
それでは、悪名たかき賄賂(ポリスがドライヴァーを無駄に捕まえ、安価な罰金で解放するかわり、それを懐に入れる)がなくなったかと思えばさにあらず。いまだ横行しているようである。
ところでアルヴィンド(夫)が以前、なにかの会合で、バンガロールのポリスオフィサー(幹部)と話をする機会があったらしい。アルヴィンドが、
「なぜ、テクノロジーを駆使して、渋滞を緩和させるためのシステムを構築をしないのですか?」
と尋ねたところ、このような返事が返って来たらしい。
インドの道路は、他国とは著しく異なる。
2車線でも、4台、5台の車が並行してひしめき合いながら走る。加えて、牛が道路を遮断することもある。自動車だけでなく、オートリクショー、バイクが入り組んで走るのに加え、馬車、牛車、ロバ車が走る。信号待ちでは物乞いや物売りが現れる。いずれも、統計がとれないから、予測も立たない。
ということらしい。「なるほど〜」と力一杯、納得する。信号が、ありゃあいいというものではないのだな。数日前の記事にも写真を載せていたが、あのように、牛が目の前を、のそ〜〜〜っと歩く国である。
テクノロジーを駆使できない、それがインドの道路。
もう一度、載せよう。
確かに。どう考えても、先読みできない世界である。しかしながら、自動車は容赦なく、増え続けている。あふれんばかりに、増えている。
いったいこの街は、どうなってゆくのだろう。
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