昨日金曜日、プレスとして招待を受けたことから、バンガロール郊外にある「トヨタ工業技術学校」(TTTI: Toyota Technical Traning Institute)の初の卒業式へ赴いた。
TTTIは、トヨタ自動車の現地法人であるトヨタ・キルロスカ・モーター(TKM)が2007年に創設した、技術者を養成するための専門学校。
現在は191人の生徒が在籍し、うち63名がこの日、卒業式を迎えた。卒業生の大半が、トヨタの現地工場に勤務することになるという。
この学校に関することは、西日本新聞の『激変するインド』、もしくはRKBラジオなどで一部をレポートしたいと思っているが、今日はここで、主観的な印象を含めた記録を残しておこうと思う。
日本企業関連のイヴェントなのだから、これは時間通りの開始だろうと思い、11時半到着を目指して家を出たのだが、かかっても1時間半と見込んでいたところ、随所で渋滞に巻き込まれ、2時間近くもかかる。
郊外の、田園風景をすり抜けながら、広大な工場を見下ろしつつ、会場に到着したのは12時近く。
広々とした特設会場は、先日のファッションショーのようにガラ〜ンとしていた……わけはもちろんなく、学生やその家族はもちろん、来賓もみな到着していて、すでに「余興」的なことも開始されている。さすが日本企業!
などと感心している場合ではない。「日本人のDNAにより、時間に遅れることができない」などと言っていた矢先に遅れてどうする。プレス用の席に通してもらい、会場を見回す。
前方には、赤白のジャンパーを着た卒業生、その後ろにベージュの制服を着た在校生が座っているのだが、両手を拳にして膝の上に置き、微動だにしない姿に驚かされる。
それはそうと、学生たちは15歳〜18歳。日本の高校生にあたる年齢なので、卒業生は18歳前後だ。
ひげを生やした濃い顔立ちの人が多いので、一見、どうにもおっさんに見えるが、じっくりと眺めてみれば、みな、瞳をきらきらと輝かせた少年だ。
卒業式の主賓として、カラム前大統領が出席。卒業式全員に、卒業証書を手渡す。その様子は日本の卒業式を彷彿とさせる手際の良さで、ずいぶんと練習をしたのだろうと思わせられる。
歩き方といい、返事の仕方といい、それはまるで「軍隊」のようでもあり、正直なところ驚かされた。しかし、学生たちの誇らしげな様子は、頼もしくもある。
上の写真は、左からTKMの中川宏社長、キルロスカ財閥のヴィクラム・キルロスカ氏、そしてカラム前大統領だ。
個性的なヘアスタイルが印象的なカラム前大統領の演説は、まるで「校長先生」が自分の学校の生徒を送り出すような、親密さと愛情に満ちたものだった。
I bring glory to the nation.
Contribute to the nation.
訴えようとするセンテンスを、生徒たちに幾度かリピートさせるなど、熱い。自分のためだけでなく、社会のために働こう、という姿勢。愛国精神がほとばしっている。
学生たちの大半は、カルナタカ州各地の「貧しい家庭」の出身だ。1000人を超える志望者から選考を経て絞り込まれた生徒たちは、ここで3年間、寮生活を送りながら、無料で教育を受けてきた。
将来、トヨタの工場で働くことは条件づけられていないとはいえ、卒業生たちの多くは、トヨタの就職試験を受けて、ここで働くことになるという。それは当然の流れであろう。
初の卒業生としての誇りを持って欲しい。今後はリーダーシップをもってほしい。家族への感謝を忘れずに……といった各関係者からの挨拶が続いた後、成績優秀者への授与式なども行われる。
その後のプレス向けの会見では、質疑応答。現在は男性を対象としているが、将来は女性への教育も考えていることなど、説明がなされた。
その後、卒業生らと共に、食堂でランチタイム。何人かの生徒に話を聞いた。
親戚がトヨタに勤めていて学校のことを知った、あるいは兄から勧められたなどして入学を決めたとのこと。親元を離れて、最初は戸惑いもあったが、徐々に慣れて、学校生活は楽しいものだったという。
素直で、優等生すぎるように思える発言も、しかし彼らの境遇を思えば納得せざるを得ない。この学校への入学という好機がなければ、進学するお金もなく、地元で貧しい生活を強いられていたことは否めないからだ。
少なくとも彼らは、手に職をつけ雇用機会を与えられている。希望に満ちあふれている。笑顔を見せている。
11億人を超える人口の半数が25歳以下で、しかし、大半が貧しい家庭で、経済成長のただ中とはいえ、貧富の差は目に見えて拡大していて、世の中の構造の歪みが、目に見えてわかる。
そんな環境の中、社会貢献とか、慈善活動とかいったことが、あまりにも身近だ。
企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility) という言葉もまた、日常的に耳にする言葉の一つ。
バンガロールに暮らすようになって、個人的に慈善活動などにも関心を持ち、動き始めることで、欧米の企業がいかに積極的にCSRに取り組んでいるかを目の当たりにしてきた。
慈善団体への積極的な寄付はもちろん、駐在員自ら、慈善団体の壁の補修(ペンキ塗り)などに赴き、土地の人たちと触れ合う機会を持っている大手企業も少なくない。
駐在員だけでなく、その家族に対しても、慈善活動をするよう促し、情報を提供している企業もある。
翻って日本企業の地域社会への働きかけについては、あまり見知る機会がなかった。
尤も、メディアを通しては、この技術学校のことなどは知っていたし、他の企業が独自で活動を行っているという噂を耳にしたこともある。しかし、今ひとつ、印象が弱かった。
バンガロールは1997年にトヨタ・キルロスカ・モーターが創業して以来、関連企業も含めた日本企業が多数進出しており、インドではデリー(及びグルガオン)に次いで、在住邦人が多い都市だ。
外資系企業が多数進出しているバンガロールにあって、地域社会における日本の存在感というものも、徐々に強まって行くことだろう。
今回、この卒業式に出席し、日本の企業のバックアップによって地元の若者たちが好機を得られていることを目の当たりにし、同じ日本人としてうれしく思った。
メディアを通してだけでは知り得ない、卒業式という晴れがましい場において、生徒やその家族たちと触れ合えたことは、いい経験であった。
お金や物を寄付するだけではなく、雇用機会を与えるという貢献もあり得るということに思いを馳せる、いいきっかけにもなった。
参考までに、過去、トヨタ・キルロスカ・モーターについて書いた記事を、ピックアップしておく。
■エネルギーと環境の展示会で、日本の技術を見る(2009/2)
■トヨタ新工場誕生とインド小型車市場とインフラ&環境問題と。(2008/8)
■MITの学長招いて月下の宴@キルロスカ邸(2007/11)
と書いたがしかし、それは誤解を与えやすい表現かもしれない。
それがたとえ「発展途上国」であったとしても、企業が進出する際には、当然、自社の利益、将来性を見込んでのことであり、貢献はしていても、奉仕活動ではない。
貢献しつつ、同時に自分たちの利益も見越している。もちろん、ビジネスだ。
にも関わらず、インドへ進出する日本企業の関係者の生の声に耳を傾けるに、「してやっている」「きてやっている」という「与えてやる側の立場」、つまり今で言うところの「上から目線」で捉えている人が非常に多いように見受けられる。
この類いのことは、インド移住当初に何度も記したので、詳細は避けるが、その傾向は相変わらずだ。
「異国で、仕事をさせてもらっている」
「この国で、利益をあげさせてもらっている」
という風に思い及ぶことも、大切なことではないだろうか。
インドに不満がある人が多いことは、わたしにも十分に理解できる。その大変さは百も承知だ。なにしろ、インドと日本とでは、あらゆることが違うのだから。
しかしインド進出が、たやすくできることだとしたら、誰もができるということであり、誰もができることに、実りが多いとは思えない。誰もができないことをやり遂げた果てに得られる果実。
すでにこの地で成功をおさめている企業の先輩方は、多くの辛酸をなめつつ地盤を築き、成果をあげてこられたのだろう。
それに続く若い世代の人たちが、多く在ればと思うのだが、今ではインドに限らず、遍く海外赴任をいやがる日本の若者が多いと聞く。そんな趨勢にあってはもう、このようなコメントはお門違いかもしれない。
CSR。企業の社会的貢献。そのような概念を掲げるのは、一つのアイデアかもしれないが、しかし、企業という概念よりもまず、働く人々の、まずは個々人の在り方も、地域社会に根付く上で、強い影響力があると感じる。
「インド人と話をしたくない」
そんな声をよく耳にする。日々の業務の、一筋縄ではいかない事態に、うんざりしているのだろう。理解できる。
しかしその上で、敢えて言えば、仕事を離れた場所においてまた、インドの人々との社交、コミュニケーションを図ることは、この国だからこそ、実は意義深いように思うのだ。
インドのビジネス界にしろ財界にしろ、一度知り合うと、フレンドリーに、垣根なく付き合ってくれる人が非常に多い。
たとえば身内や知人の結婚式で、さまざまなパーティで、ビジネスのカンファレンスで、空港のラウンジで、機内のビジネスクラスで、社交クラブで……と、インドでは、ビジネスに関連する人々と出会う機会が実に多い。
「インド人と話をしたくない」
などと言わず、そういうところで出会った人々と、少なからず会話を持つことでネットワークが構築できる。また、現地を理解する一つの手だてとなり、メディアを頼らず自己アピールをする機会にもなる。
インド人社員の結婚式に参加する。
自分の誕生日に部下を招いてごちそうをする(インドでは誕生日の本人が、周囲にごちそうなどを振る舞う)。
ビジネスから離れているようで、実はそのような関わりが「潤滑油」となって、互いを理解し合うきっかけになるかもしれない。
インドに来ることさえいやなのに、ましては社交など、なにをかいわんや。との思いの人もあるだろう。
そもそもこの地でビジネスに成功しているわけでもないわたしが、多くを語るのに信憑性がないとも言えるだろう。とはいえ、感じることは、記しておこうと思う次第だ。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)