目まぐるしく日々は過ぎゆき、9月も下旬。季節感の曖昧なこの街で、これから訪れるのが、どういう気候なのか今ひとつピンと来ず。
母がインドに来て1カ月が過ぎた。今回の旅の、最大の目的だった(らしい)「身体のメンテナンス」は着々と進んでいる。
「キレイなブログ」の方にレポートを残しているが、ともあれ、アーユルヴェーダは2クール目(合計18日間)を終え、同時にコロンビア・エイジア・ホスピタルでの健康診断+αも終了した。
歳を重ねれば、どこかしら、身体に不調が現れるものである。いや、歳を重ねずとも、生身の人間。完璧なコンディションで生きている人はあるかもしれんが、稀だろう。
そんな中、緊急を要する治療がないというだけでも、ありがたいことだと思う。
1カ月前にインドを訪れた時には、正直なところ「老けたな」という印象を受けた。
しかし、この1カ月でずいぶんと盛り返した。
身体が元気になると、気分まで元気になるようで、日々、饒舌になっている。怖いほどに。
更には、「アーユルヴェーダの薬がまずい」だの「メイドの仕事が遅い」だのと、あれこれと文句が増えたりもして、なにより(!)である。
日本との仕事、使用人問題、夫のビジネスのあれこれ、母の病院コーディネーション……と、何かしらやるべきことがあり、毎度慌ただしい日々が続いていたが、本日、日曜日はゆっくりと、平和な一日であった。
なかなかにモンスーンが明けないバンガロールであったが、今日は久しぶりに終日、太陽の光が降り注いで、なんとも長閑であった。何種類もの蝶が庭を飛び交い、その中の一匹が部屋の中に紛れ込んで来た。
左上の写真。天井の小さな黒い点がそれである。しばらく部屋の中を舞い飛んで、逃げて行った。
雨に打たれてうなだれていたマリーゴールドも、改めてつぼみをつけ、太陽のように輝かしく明るく、花をつけており。
(↑久々に訪れたバンガロールクラブ。本文と写真は関係ありません)
土曜日は、夫と二人で外出。第一の目的は、不動産フェアでの情報収集であった。2005年11月にインドへ移住した当初。インド生活を忌み嫌っていたインド人であるところの夫は、自分の心を鎮めるためにであろうか、
「半年間は、お試し期間」
が口癖だった。その半年が過ぎてもなお、「いつかは米国に戻るぞ」のスタンスが崩れなかった。
ところが1年半を過ぎた頃、家賃を払い続けるよりも物件を購入した方がいいとの考えがあり、今住んでいるアパートメント(日本でいうところのマンション)を購入した。
その後、リーマンショックを契機に米国の不景気が深刻化、インド移住後も米国拠点の企業に籍を置いて来たとはいえ、夫のビジネスにとっても、インドにいる方が「よかった」とわたしは思っている。
さて、そんな矢先。夫が投資のためにもう一つ、物件を購入しようと言い出した。管理をするならムンバイよりもバンガロールの方がいい。というわけで、このごろは、不動産物件を少々当たり始めているのだ。
相続税がないインドでは、不動産物件の購入が、資産運用の主流である。銀行に預けるよりも、株に投資するよりも、まず不動産の購入。夫の家族や親戚も例に漏れない。
一方で、不動産の管理は「異様に大変」でもある。なにしろ、信頼のおける人に貸さなければ、「家を乗っ取られる」という事態が、「普通に起こる」のだ。
「家を乗っ取られる」という事態が、「普通に起こる」のだ。繰り返した。
だから、デリーの郊外にある夫の祖父が残した家屋なども、誰に貸すこともなく、十年以上「使用人」が暮らしている。最初は「なんて勿体ない」と思っていたが、中途半端に人に貸す方が、心配だというのだ。
ちなみに夫のデリーの自宅は4階層で、1階をITCという企業に貸している。企業の駐在員らの社宅のような扱いになっているので、これは安心なのだという。
とまあ、かように神経をすり減らしながらも不動産に投資するのはどうかとも思うが、それが一番いいらしい。
アパートメントを購入するにあたって、夫がしつこくしつこくしつこくわたしに言うところには、
「僕はインド人には絶対に貸さないから! 美穂の外国人駐在員ネットワークを駆使してもらうことになる。特に日本人!」
と、うるさい。
インド人がインド人を信じずしてどうする?!
夫曰く、日本人は家をきれいにして住まうし、なにより家賃を踏み倒したりもしないし、ましてや駐在員ならば「ずっと住み着くおそれもない」とのことである。
そりゃあ、誰もずっと住み着きたくないだろうよ。
と思うものの、それはまた、面倒な話である。わたしの仕事が増えまくる。インドで大家。考えただけでも、胃が痛くなる。誰か人を雇うでもしないかぎり、わたしはやりたくない。
今住んでいる我が家を購入した時の、その際の内装工事の大変さは、筆舌に尽くし難く。しかしそれは同時に、わたしの「自慢話」でもある。
嘆きたいのか。それとも自慢したいのか。複雑な気持ちである。
なにしろ1カ月半で、言葉の通じない大工衆はじめ各業者を相手に、家をきれいに仕上げきったのである。
ふふふふふ。
そのいきさつに興味がある方は、どうぞ過去の記録をご覧いただきたい。あれはたいへんな仕事だった。もう、二度とやりたくない、というくらいに。しかし同時に、わたしはあのような作業が好きなのだ、ということも事実だ。
そんなわたしの本質を見抜いているのか夫。
「ミホは、コーディネーションが得意だし、低予算で良質の仕上げにする腕前が優れているでしょ? それに楽しんでもいたじゃない。またあのプロジェクトができるんだよ!」
と、わたしを説得するのである。
「低予算で良質」というのは、その分、わたしが「インテリアコーディネーター」兼「現場監督」かつ「使いっ走り」と化して東奔西走して動いたからであり、たいそうな労力を要するのである。
ムンバイ二都市生活が一段落したかと思えば、また異なるプロジェクト……。
二度目だから要領よくできるかも、などという前向きな気持ちが芽生え始めている自分がいや。
■プチ家作り:家の購入から怒濤内装工事の記録(←Click!)
インドの業者を相手に、よくぞここまで。「壮絶! 家作りの記録」がここに!
特にこの日の記録(↓)は、格別だ。
普段は「ノープロブレム」としか言わないはずの業者から、「マダム、プロブレム!」を連発されて、よくぞ生き延びたな自分、と思う。
しかもこの日、インド生活で最初にして最後の「超食あたり by 生ガキ@Olive Beachのブランチ」の直後であった。今読み直しても、笑える。いや、笑うなよ。
ところで、不動産フェアでの収穫は、いまひとつだったが、同じホテルの敷地内で行われていたテキスタイルフェアは楽しかった。
「わ〜、すてきな布! サリーにしたい!」
と近寄ったら、ブランケットのカヴァーだったのが、少々ショックだった。
今日は久しぶりに、聾学校へ折り紙を教えに行った。本当は慈善活動関係を含め、あれこれと書きたいことがあったのだが、怒濤プチ家作りの過去の記録を読み返しているうちに、無駄に時間が過ぎてしまった。
我がことながら、よくやったよな。と思うと同時に、これだけ疲労困憊しておきながら、しっかりと書き残しているその根性にも敬服した。自分の執念深さを見る思いだ。
また、同じようなことを、わたしは繰り返すことになるのだろうか。繰り返したくないのだろうか。それとも、ちょっとやってみたいのだろうか。
今は、なにも考えまい。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)
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