「キレイなブログ」には記せない、インド日常生活の「澱み」のような事柄をも、ここには綴りたいと思うのだが、思い浮かべて反芻して消化して自己完結の日々。
インドに暮らし始めてまもなく丸5年。都度、感情を吐露せずとも、自己解決が速やかになるのは、当然のことであろう。
5年。1825日。
ニューヨークに暮らした5年半とは、あまりにも異質過ぎる歳月。長いとか短いとかいう尺度では測れない、歳月の中の経験。
日本への帰国が近づき、そろそろ友人たちとの会合のための連絡を取り始めている。こういうことを、幾度となく繰り返してきた。これからも、幾度となく繰り返すのだろう。
わたしにとっての日本。祖国。これはまた、奇妙な距離感。
ところで先日、夫がDVDを借りてきたので、『アリス・イン・ワンダーランド』を3人で観た。英語がわからなくても、あの映画なら、雰囲気を楽しめると思い、母も観た。
ワンダーランドに紛れ込んだアリスが、
「これはわたしの夢だから、わたしの思うように変えられるはず」
といったようなことをつぶやいた。その、なにかしらメッセージが込められた台詞を耳にしたときに、思った。
なぜ、眠っているあいだに見る「夢」と、未来の希望としての「夢」が同じ「夢」という言葉なのだろうということを。
英語のDREAMにしても然り。他の言語に関しては、どうだろう。なぜ、どちらもが、夢なのだ?
なにげない夢。躍起になる夢。叶わない夢。叶う夢。苦しい夢。悩ましい夢。きらびやかな夢。不思議な夢……。
こうして綴る書斎の、窓の向こうには、樹木が生い茂り、緑が風にざわめき、蝶がひらひらと舞ってさえいるのだ。
胡蝶の夢の如くこの人生はまた。
今朝の新聞(DNA紙@BANGALORE)である。昨日、バンガロール在住日本人女性の会であるところの「さくら会」の会員が集まっての、イヴェントとランチ会に出席した。
イヴェントは、IJI (The India Japan Initiative)という組織が主催してくれたもので、まもなく訪れる祝祭、ディワリに関するレクチャーが行われた。
「雰囲気づくり」も兼ねてサリーを着用して赴いたところ、日本人会員でサリーを着ていたのはわたしだけだったこともあり、フォトグラファーの注目を集めてしまった。
「こっちに来て!」
「これを持って!」
「こっち向いて!」
と、指示されての撮影である。バンガロール在住歴も長くなってしまったわたしが、敢えてデカデカと載ることもないのだが、サリーの威力だ。ともあれ珍しく「写りがよい」ので、結構、うれしい。
新聞に紹介されるのは光栄なことだが、しかし、いつも「変な顔」の写真が多い。
約8年前の、この写真(←Click!)など、「おまえはタコか!」と、自らに突っ込みを入れたいくらいだ。(号泣)
こちらのブログの更新は滞りがちがだ、しかしまもなく開始1年を迎える「キレイなブログ」は、毎度こまめに更新している。
あちらにも共通する話題を載せてはいるが、こちらにも残しておきたい数枚を。上の写真は、かつてMGロード沿いにあったINDIA COFFEE HOUSE。
今は、チャーチストリート沿い、かつて日本料理店ダリア(天竺牡丹)があった場所に移転している。
移住当初は興味津々で訪れていたあちらこちらを、このごろは探訪する機会が減った。久しぶりに久しぶりの路地に入り込むと、見慣れぬ店などが誕生していて、それはそれで興味深い。
地元再発見もいいが、しかしインド国内をもっと旅したいとも思う。
ファストフード店やコーヒーショップ、レストランなどが次々にオープンしている昨今。それは同時に「雇用機会の増大」でもある。
給仕の平均月給は6000ルピー前後、1万円ちょっとといったところか。メイドと同じくらいの給料である。この国の著しい格差。その数字についてを、ある程度は、知っておいた方がいい。
住んでいる者にとってはなにかにつけて。
サーヴィスが悪いと不満をいう気持ちもわかるが、彼らのバックグラウンドを思えば、「無理な注文」も少なくない。
同じ国の同じ時代に生きていながら、価値観も世界観も経済観念も、なにもかもが違うのだ。
というようなことについて、改めてじっくりと向き合って書きたいと思いつつ……。
気がつけば2010年も終盤で、日本に帰国して、また戻ってきたらもう11月も終わり、年末ばたばたで、気がついたら2011年だろう。
それはそうと、初秋な日本帰国を前にして、うれしい買い物をした。
地元商店街のコマーシャルストリートで、見た目かなり怪しいレザーショップを発見。
しかしなかなかにすてきなレザージャケット2着を発掘したのだ。
しかも、激安。2着購入なので一層割引価格。
これで心置きなく、日本に帰れるというものだ。
ジャケットさえあれば、あとは薄手のシャツでも半袖でもいいというものである。あとは首の巻物関係を持参すれば万全だろう。あ〜、日本日本。久しぶりの日本だ!
下の写真は、先週末のもの。友人夫妻を招いてのOCTOBER FESTを開催したのだった。
ドイツ縁の人物は誰ひとりいないのだが、しかしドイツな気分を出したく。
先日、母が緊急入院した際、病院の近くにあったMAX CAFEについては、すでに記した。
そこで食べた本気なドイツソーセージについても記した。
それをカフェで購入して、焼いた。
おいしかった。
インドでこんな、パンチの効いたソーセージを食べられる。幸せというものである。選択肢は確かに少ないけれど、工夫して、さまざまなおいしさを創造できる。
ところで。
インドなど、生活環境が決してよいとはいえない場所において、いや、インドに限らず、自分が慣れ親しんだ土地とは異なるライフスタイル、生活文化の国に住まざるを得なくなった人にとって、「順応する能力」は非常に大切な要素だ。
その能力は、在住歴の長い短いの問題ではない。現状に対して常に不満要素の度合いが高い人は、久しく暮らしても楽しめないし、楽しまない。
逆に不慣れな人であっても、与えられた環境に対して、前向きであろうと努力をする人には、その努力に対する報いが必ず、ある。
現状を前向きに捉える努力をする人は、自ら幸せを創出する。それは実に、「努力」と呼んでいいと思う。
と、海外生活も15年になると、あれこれと思うところは尽きないのである。
そして自らの寄る辺といえば、最早自分の内なる場所。
夫と3人で、静かに小さく祝した。
今年は、わたしの誕生日、母の誕生日、どちらをも、一緒に祝す機会があった。
こんなことは、子どものころ以来のことではなかろうか。
18歳で親元を離れた。
しかしそれよりも以前。14歳あたりのころから、わたしは家族と心を通わせることがほとんどない暮らしだった。激しく久しい反抗期。
母と話をするようになったのも、大学に入学して、しばらくしてから。つまり、大人になってから、のことである。
にこやかに誕生日を祝い合う……というようなことは、思い返せば数限られていたような気がする。
家族とは、いったい、いかなる結びつきであろうか。
今日もまた、まとまりなく綴った。日々「ライフな記録」については、毎度キレイなブログをご覧いただければと思う。母の日記も時折、載せている。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)
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