目まぐるしく日々は行き過ぎ、日本が猛暑のころ訪れた母も、今月末には日本へ。
31日のシンガポール航空便で、母を送りにわたしも福岡へ。その後1週間ほど福岡に滞在した後、東京へと飛び、やはり1週間ほど滞在する予定だ。
1年半ぶりの日本。
やりたいこと、会いたいひと、買いたいもの、訪れたい場所、あれこれとあるようで、しかし日数は限られており。今回もまたどたばたと、時が過ぎ行くことだろう。
さて、バンガロールでの日々。まもなくインド生活5周年記念を迎える身ながらも、まだまだ「慣れない」「飽きない」「退屈させられない」ことの渦。
異なる体験をしてるがしかし、円環のループに巻き込まれているかのごとき日々。
意味の有る無しに関わらず、書き残しておきたいことを、自らの備忘録もかねて、まとまりなく記しておく。
以前も記したことだが、改めて。
8月19日。バンガロール空港で1年半ぶりに合った母は、確かに「老い」を感じさせた。
顔は普段のお手入れにより、年齢よりも若々しい。しかし、両脚が開き気味、腰を落とし、ややがに股に歩くその姿は、日本の老人によく見る姿勢で、「老けたな」と痛感させられた。
膝の痛みをして、日本の整形外科医から、「手術をするしかない」と言われていたとことも、うなづけた。数週間に一度、膝の水を抜き、ヒアルロン酸を注入しているとのこと。
しかし、それが効果的であるかどうか、本人もよくわかっていないようだった。
翌朝、膝を見せてもらったところ、ひどくむくんでいるのがわかった。フライトによるむくみではなく、恒常的にそうだとのことである。
見るからに「状態が悪そう」な膝の様子だ。
早速数日後、アーユルヴェーダの診療所に連れて行き、まずは1週間の治療を受けた。薬草が処方されたオイルによる全身マッサージと、膝に集中するトリートメント。
それから薬も服用する。
少しずつむくみが取れ、膝の様子が軽くなっていくのがわかる。1週間後には、明らかに、歩くときの軽やかさが違うのがわかった。痛みは多少残るものの、我慢できないような類いのものではないらしい。
さて、1週間のインターバルをおく。その間、コロンビア・エイジア・ホスピタルへ赴き、今度は西洋医学による健康診断を受けた。以前にもブログに記した通りだ。
義兄ラグヴァンの親戚でもある、著名な整骨専門医にも診てもらったところ、やはり根本的な治療には手術しかないという。関節の部分の疲弊した骨を、プラスチックなどにリプレイスメントする手術だ。
だが、痛みがさほどひどくないのであれば、急ぎ手術の必要はなく、適度なエクササイズを勧められた。
「アーユルヴェーダ? それは気休めに過ぎないよ」
インドには、アーユルヴェーダを認めて連携治療をさせようとする西洋医学のドクターもいれば、彼のように、ほとんど認めないドクターもいる。
しかし、西洋医学にはまた、限界がある。その先に、希望を持たせるための、気休めでもいいから、アーユルヴェーダのような治療が必要な人は、たくさん存在しているのである。
その類いの話はさておいて。
改めてアーユルヴェーダ診療所へ。更に状況をよくしてもらえればとの思いで、次は11日間のプログラムを組んでもらう。最初は膝の集中治療。
恐ろしく臭いオイルを膝に塗布されて帰宅するため、車も家も、ずいぶんと臭くなったものである。ドライヴァーのアンソニーAは、それがいやで、やめてしまったのだろうか。いや、そんなことはあるまい。
ともあれ、膝治療が終わった後、最後の3日間は額のオイルをタラタラと垂らす「シロダラ」を。これは膝ではなく精神、頭脳に働きかけるトリートメントだ。
心をリラックスさせる、記憶力を高めるなどの効果もあるらしい。
これらトリートメントを終えて数日後に、例の「食べ過ぎによる便秘による救急車でICU事件」が起こったため、一時は「アーユルヴェーダも水の泡?」くらいな気持ちになった。
しかし退院した翌日には「普通」でいられたのも、実はアーユルヴェーダの救いもあったのかもしれない。
あの事件から2週間が経った今。母はすこぶる元気だ。なにより、膝のむくみが取れ、すっきりしているのに驚く。
今まで足がむくんでいて「足を組む」などできなかったはずの人が、ふとした拍子に足を組んでいて、それがまた驚きだ。尤も、足を組むことはよくないので、やめるように言っておいたが。
何より、これまで定期的に行っていたところの、水を抜いたり、ヒアルロン酸を打たずにいられるということが、すごい。
身体の動きも1カ月前とはまるで違う。部屋を歩く足音が軽やかだし、仕草全体が機敏になった。
あまり無理をしないようにとは言っているのだが、昨日も、ホテルのロビーの広々としたコリドーを、ずいぶん早歩きで歩いているので驚いた。
「なんだか、早く歩けるからうれしくって早く歩いてみた」
と、ご機嫌である。早く歩けて何よりだが、頼むから滑って転んだりしないでほしいと、娘は老婆心炸裂である。救急車はこりごりだ。
わたし自身、中学時代にバスケットボールで痛めた腰痛を、インドに来る前まではずっと抱えていた。慢性の持病であり、一生付き合うことになるだろうとさえ思っていた。
30代後半になると、定期的に激しく痛み、座骨神経痛なども伴った。カイロプラクティック、鍼、さまざまに試したが、さほどの効果はみられなかった。
それがインドに来て、不定期ながらもアーユルヴェーダのマッサージを受けるようになり、いつしか腰痛が消えていた。時々疲れて痛むことはあっても、過去のように、起き上がれないほど、というひどさを久しく経験していない。
くしゃみさえ、普通にできないこともあった。腰に電流が走るような痛みを抱え、どれほど途方に暮れたことか。
アーユルヴェーダが誰にでもきく、とは言わない。たとえばアルヴィンドの亡母は慢性白血病だった。抗がん剤治療を否定し、一時はアーユルヴェーダを試したものの、薬が合わなかったらしい。
彼女は渡米し、ボストンである医師に出会い、自然療法で久しく健康的に生きながらえることができた。
ともあれ、アーユルヴェーダ。施設を厳選する必要もあり、全面的に支持するものではない。しかし効果があるという例もあることを、記しておきたい。
ところで数日前、不定期でインドをレポートしているRKBラジオでアーユルヴェーダについて語った。こちらから試聴できるので、ご興味のある方は、どうぞ。
【中西一清のスタミナラジオ:10月6日放送分】(←Click!)
※いい間違い:バンガロール州→バンガロール市
※言い訳:毎度早朝の収録ゆえ、どうも声の出、頭の回転が鈍い!
バンガロールに来て5年になるが、しかし去年までは、タクシーサーヴィスの車を使っていた。
最初のうちは、「インド、どれくらい住むかわからないし」などと言い、車を買うのは控えていた。1年半後に新居を購入したにも関わらず、車を買わなかったのは、順番が間違っているというものであろう。
タクシーサーヴィスに月々支払う方が、不経済ではあった。しかし、ドライヴァーに直接給与を払うこともなく、問題があれば随時、他のドライヴァーが補充されるという意味では、手間がかからず、精神的に楽だった。
3年目にムンバイとの二都市生活を始め、なぜかムンバイでようやく車を購入。ドライヴァーを探すのには少々手間取ったが、約1年間、仏教徒の無口なトシャールが我が家のドライヴァーとしてつつがなく働いてくれた。
さて昨年末、ムンバイ宅を引き払い、今年からは再びバンガロールベースの生活が始まった。それから始まったドライヴァー探しの旅。いったい何人の人と出会ったことだろう。
強烈だったのは、頬に10センチほどの傷がある長身でやくざな風貌のラヴィ。やくざな風貌だからといって、心根まではやくざではないだろうと思い、寛大な気持ちで雇ったが、結果、やっぱりやくざな男だった。
ある日、仕事に来られないという。実は他の仕事と掛け持ちしていたことが発覚、当然ながら解雇の通達をした。彼が訪れた日、それまでの給与を支払ったにも関わらず、「足りぬ」と言う。
夫に対し、急に威丈高な態度で追加の数千ルピーを要求する彼。無礼な男に対しては、一歩も譲らない夫。大声で怒鳴り合う二人に、近所のドライヴァーたちが集まってきて、我が家の玄関周辺は、野次馬ができる。
いい加減、みっともないしうるさいから、ここは彼の要求額のせめて半分でも払って追い返そうと、妻は夫を諭すのだが、夫の怒りはおさまらない。よその知らないドライヴァーが「まあまあ」と制する。
「なんなら、わたしが彼に少し払います」
とまで言う、よそのドライヴァーもいる。なんであなたが?
インド、実はこういう不思議現象が珍しくない。お心遣いはありがたいが、あなたからお金をいただくわけにはいきませぬ。
「警察を呼べ! 俺はだまされたんだ!」
と叫ぶラヴィ。しかし、どう考えても、あなたの分が悪い。
「ラヴィ。警察を呼んでもいいけれど、捕まるのはあなたよ。もう、これで帰りなさい」
と、わたしがお金を渡そうとすると、夫が、
「ミホ! 金を渡すな!」
と叫び制する。
「俺は、警察に捕まるのなんて怖くないぞ! ええい、お前んちの車に火をつけてやる!」
自らも燃え盛るラヴィ。おいおいおい。
これでは埒があかない。妻は、玄関先で吠える夫を家の中に引きずり込み、玄関のドアをしめる。ドアの向こうから叫ぶ夫。
「ミホ! 金を渡すんじゃない……!」
しつこい男だ。さて、やくざな風貌のラヴィの片腕をぐいっと掴み、建物の陰に連れて行く。いくらやくざでも、公衆の面前で婦女子には手を出すまい。
右の手の握力を全開にしてして、一重まぶたの「目ぢからゼロ」な目でもって、しかしラヴィの仁王のような、「目ぢから満点」な、ギラギラとでかい目を睨みつける。
「あんた、いい加減にしなさいよ。これだけは払うから、帰りなさい。これ以上騒ぐと、然るべき人間を呼ぶからね!」
自分の背後に、「極道の妻な岩下志麻」が憑依したのを感じた。
そもそも然るべき人間って誰なんだ。と自分で突っ込みつつ、最後にぐいっと握力を強めた。彼もいい加減、どうでもよくなっていたに違いない。ぶつぶつと文句を言いながらも、帰ったのだった。
とまあ、こんな悪質なドライヴァーはそうそういないものである。
その後、メイドのプレシラの夫アンソニーからの紹介で、忠犬ハチ公のような誠実なムードのベンジャミンがやってきた。人を動物にたとえる無礼を許せ。その後の奴の非礼を思えば、許されよう。
ベンジャミンは、運転もうまく、愛想もよく、普通によいドライヴァーだった。
しかし、学問が足りないせいもあるのか、どこかしら子どもっぽい「おばかさん」な行動をとることがあった。
とはいえ時間通りに来て、安全運転をしてくれれば、それでいいのだ。給与も彼の望む額を支払い、数カ月は平和に働いていた。
さて8月30日、給料日の前日に、「明後日から2、3日、休みをください。チェンナイに住む兄が入院したので、お金を届けにいかねばなりません」という。
理由が理由だけに、受け入れぬわけにはいかない。31日に給料を払い、3日間、他のドライヴァーを手配した。さて、3日目の夜、ベンジャミンから電話がないので、わたしから電話をした。と、
「僕は、もう戻りません。チェンナイに住むことにしました。仕事、やめます。すみませんマダム」
おいおいおいおいおいおい! 最初っから、辞めるつもりだったのかよ!! それならそうと、早く言えっちゅうもんやろ!
忠誠心なき忠犬ハチ公に、憤慨するも虚し。この「裏切られた感」。それなりに、脱力だ。だが、脱力している場合でもない。急ぎあちこちのネットワークをあたる。
なお、その後の情報によると、ベンジャミンはチェンナイに行ったわけではなく、単にバンガロールにて、カンパニードライヴァーに転職したらしい。
数人のドライヴァー候補と面接。まず試用したのは赤く濁った目をしたヴィンセント・ダス。初日、うつろな目をして登場した彼に「酒飲み?」との不安を抱いたが、本人が否定するので試すことにした。
彼は、「主要道路を愛好する男」でもあった。どこへ行くにも、裏道とか近道を一切使わず、ぐるっと遠回りをして大通りをゆく。バンガロールにおいて、それは大いなる時間&ガソリンの無駄である。
あるときなど、市街北西部へ向かう予定があるにも関わらず、市街南西部へ向けて走る彼。
「ちょっと、どこに向かってるの? 目的地は北でしょ?」
「マダム、あの道は一方通行なんで、南から北上する方がいいんです」
5キロも10キロも続く一方通行が、どこにある! 他の道を走れ、他の道を!!
結局、1週間ほど試し、主要道路以外も使用するよう教育したが、彼自身の自宅が我が家から遠いこともあり、長期での雇用は難しいと思われた。彼自身も通勤が辛いとのこと。
そのころ、ファンキーなアンソニーAが現れた。彼がまた、ベンジャミンよりも更に上回る「子ども的な大人」であり、言動、態度に人格の未成熟を感じさせた。
35歳というが、その言動は20代としか思えない。長身で、カジュアルなファッション。インド人にしては珍しく、筋肉質の鍛え上げられたボディをしている。インド人というより、アフリカンアメリカンを思わせる風貌だ。
乳飲み子と妊娠8カ月の妻を抱え、「僕にチャンスをください!」と、職を切望していたことから、雇用することにした。
しかし、どうにも受け入れられぬ態度が散見される。夫はアンソニーAでもういいじゃないかというが、妻は一抹の不安を感じる。
従っては、水面下で他のドライヴァーを探していた。
それが、例の「救急車事件」の日に活躍してもらったはずだった一見、いい人なアンソニーBである。しかし彼は、病院で待っている間に「飲酒」していたことが発覚。その日の給与を支払って即解雇した。
ああぁぁぁ。もう、面倒だ。
との思いでアンソニーAを使いつつ1週間ほどが過ぎたころ。9月30日に1カ月分の給料を受け取ったわずか1時間後に電話がかかった。
「新しい仕事が見つかったので、辞めます。カンパニードライヴァーになります」
こ、この男は……。
自分が仕事が欲しから、チャンスをくれって言ってたんじゃないのか! なんなんだいったい。
確かにカンパニードライヴァーの方が、保険などもつくから条件はいいだろう。しかし労働は我が家よりも遥かに過酷だ。
我が家は夫の朝晩の送り迎え(片道15分)以外は、わたしが利用する程度。一日中出かけることは週に数回だし、外出も昼過ぎからということも多い。
つまり、我が家から5分程度の場所に住む彼には、随時帰宅させていて、その間に彼は家の用事もすませることができていたのだ。
「あなた、必ず後悔するわよ」
の、捨て台詞は、吐かせていただいた。
ところでバンガロールのドライヴァー事情。昨今、かなりの混沌状態のようだ。
ムンバイやデリーなど昔からの都市機能ができ上がっているところは、給与の相場なども安定しているのではないかと思われるが、新興都市バンガロールの富裕層や駐在員家族向けドライヴァーの給与は、目まぐるしく上昇する一方だ。
物価の高騰を考えるとやむを得ぬとは思うが、5年前は5000ルピー、6000ルピーが一般的だった相場も、今は1万ルピーを超えている。
ちなみにベンジャミンへは9000ルピーを払っていた。アンソニーAには1万ルピーを払っていた。
こうなると、数千ルピーの上昇はいいから、きちんとした人を雇いたい。しかし、その人がきちんとしているかどうかは試してみなければわからず、給与の交渉も難しい。
さて、新たなドライヴァーを、またしても探さねばならない。日本人の駐在員の家族が使っていたドライヴァーが職探しをしているという話を聞いていたので、連絡を取った。彼の名はシン。
シンには、翌日の日曜日に面接に来るよう約束をした。と、別の筋からの面接希望者。マジッドというムスリムだ。一応、彼にも面接に来てもらうことにした。
なんだかんだで、間断なく面接希望者が訪れるのも、おもしろいものではある。
日曜日、時間通りに訪れたシン。12000ルピーを要求。しかしその額は、彼の受け答え、態度を見ているに、高過ぎる。とはいえ、我が夫は、日本人のところで働いていたのだったら問題はないだろうと言う。
シンは月曜日には用事があるというので、火曜日に「試乗」に来てもらうことにした。
その後、マジッドが来訪。職業で人を判断してはならぬということはわかっているが、しかしインドでそれは、不可能なことである。
職業がその人の大ざっぱなバックグラウンドをあらわすことが多々ある。職業別に経済的な著しい格差が生まれるのだ。
彼は一瞥したところ、「ドライヴァー」ではなかった。なにか、ビジネスをしている人、にさえ見えた。
年齢は42歳。ムスリムだが、妻はクリスチャン。小さな子どもが二人。
これまでは月収13000ルピーもらっていたという。運転していたのはメルセデス。インド人の富裕層に仕えていたらしいが、雇い主の「罵詈雑言」に耐えかね、給与が減ってもいいから新しい仕事を、と転職を決めたらしい。
金曜日は12時半から2時までの間、モスクへ礼拝に行く時間が必要とのことだが、それ以外は、たとえばラマザンのときでも問題なく働けるという。
「わたしはイスラム教徒なのでお酒は飲みません。時間も守ります。ただ、一つだけ悪い習慣を持っています。喫煙です。しかし車内では決して吸いません」
とのことである。普通に、きちんと、対等に会話ができる。それだけで、ずいぶんな安心感だ。
そんなドライヴァーは、タクシーサーヴィスを使っていた際の専属ドライヴァー2名以来である。彼らはとてもいい人たちだったが、お世話になったタクシーサーヴィス会社からヘッドハンティングをするわけにもいかず、残念に思っていた。
月曜日。まずはマジッドに運転してもらう。いい。非常にいい。何の問題もなく、目的地に行けた。運転もうまいし、ホーンも無駄にならさないし、安全運転だ。
彼に決めてもいいくらいだが、しかし即決で痛い目をみるのはいやだ。明日にはシンも来る。取り敢えず、返事は1日保留にしてもらうということで、その夜はマジッドを返した。
そしてシンに時間を確認すべく電話をするがつながらない。ようやく夜遅くになってつながったところ……。
「マダム、今日わたしは、足首をひねりました。病院へ行ったら、しばらくは運転できないと言われましたので、明日はうかがえません」
なんということか。ドライヴァーで足首の怪我とはお気の毒だ。
そんな次第で、マジッドに決定したのだった。マジッドを使い始めて1週間。非常に、よい感じだ。ストレスを感じさせない。運転は丁寧。道もよく知っている。愛想はないが、別に愛想など求めていないので、むしろ楽だ。
また、どちらの目的地へのルートを必要に応じて、適宜、尋ねてくれる。わたしの意見がない場合は「わたしの道を、走らせてください」と言う。
その彼の選ぶルートというのが、「モスクのある道沿い」であることも面白い。バンガロールにはこんなにもモスクがあったのかと再認識させられたりもする。
一応は、11000ルピーの契約であるが、この人ならば、もっと支払ってもいいとさえ思えるほどだ。だからって相場を上げることもないので、ボーナスなどで調整するつもりではあるが。
そんなわけで、ドライヴァーを巡る旅。油断はできないが、今のところ、いい感じである。彼がこれからもつつがなく、運転を続けてくれることを祈りつつ……。
ところで昨日、アンソニーAから電話があった。
「新しい職場、遠すぎて不便なんで、またそちらのドライヴァーになってもいいですよ」
な、なんという言い草……。悪びれ感ゼロ。っていうか、なんというおばかさん。
当然ながら断った。人々と関わりながらわたしもなんだかんだと、学ばせていただいておりますというものだ。
またしても、異様に長いレポートとなったが、書き残しておかずにはいられなかった。すっきりした。
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