ここ数日のバンガロールは、快晴続きで心地が良い。昨年の後半が、例年よりも雨が多く曇天続きだったので、久しぶりに訪れた夏、という印象だ。
もっともバンガロールの夏は4月から5月にかけて。今の時期はもう少し肌寒かった気がするのだが、もう、なにがなんだかわからない。
一方で実家のあるデリー。今年は非常に寒いらしい。先日、デラドゥンに暮らす叔父が遊びにきたのだが、
「北は寒すぎていやだ。この時期は南に逃げるに限る!」
といいつつ、クールグ(昨年訪れたコーヒー農園のあるところ)で行われた結婚式に参加したり、チェンナイの南、ポンディチェリにあるオーロヴィルに滞在したり、バンガロールに訪れるなど、避暑ならぬ避寒の旅を続けている最中だった。
各々の地での彼の経験した話が非常に面白く、あれこれと書き留めたいところだが、尽きぬ。
その叔父の娘、アースタが来月結婚する。ムンバイ在住の彼女。ニュースのアンカーをしている才媛だ。「きれいなブログ」に写真を載せているが、テレビの画面越しでも、その美しさが伝わってくる。
アースタの結婚相手はクリスチャンだとのことで、彼女の故郷デラドゥンでヒンドゥー式の結婚式をしたあと、彼の故郷ゴアでクリスチャン式結婚式をするという。
いずれのイヴェントも数日に亘って行われる。
わたしはどちらにも出席する意欲満々なのだが、夫が仕事を休めるかどうかが不明。いずれにしても、個性あふれる結婚式を見られそうで楽しみだ。
我が家の周辺は、わたしたちの結婚(国際結婚)を歓迎してくれただけあり、インドでは非常に珍しく、異教徒間、あるいは異なるコミュニティ同士の結婚が多い。
インドの結婚事情については、インドに暮らし始めて初めて知ったのだが、未だに見合いは多く、同じコミュニティや宗教、カースト間の結婚が望まれている場合が多数だ。
NRI(海外在住のインド人)ですら、いや、NRIだからこそ、親の決めた相手と結婚するというのも、一般的に見られる。
映画、"My Big Fat Greek Wedding"と同じような状況である。ちなみにこの映画、かなり楽しめる。お勧めだ。
一方、我が家の周辺。まず義父ロメイシュが義母アンジナ(アルヴィンドの実母)の他界後に再婚していること自体が、非常に珍しいこととされている。しかも再婚相手(ウマ)は離婚経験者。
自分の知る限り、インドにおいて、若い世代は別だろうが、彼らのようなケースを知らない。
ちなみに二人は、今夜から「極寒デリー」を脱出すべく、ウマの娘(前夫との間の一人娘)家族の住むシンガポールへと先ほど旅立ったようだ。
ちなみにロメイシュとアンジナは恋愛結婚。
ロメイシュの両親は見合いだったらしいが、非常に「ラブラブ」だったとのことで、パーティなどで二人が仲良く踊ったり、ときに大柄な祖父が小柄な祖母を膝に乗せたりするなど、インドでは珍しいカップルだったようだ。
ということは、アルヴィンドの叔父から聞いた。昔日の二人の写真を見ていると、ディエゴ・リベラとフリーダ・カーロを思い出す。
ロメイシュの亡兄は、シク(スィク)教徒の妻と恋愛結婚。妻側は名家の出身だったこともあり、家族の大反対に遭ったらしいが、「固い絆」で結ばれていたらしく、結婚した。
子供はいないが、彼女は現在、デリーに4つの大学を持っており、80歳を過ぎて未だ現役だ。
義姉スジャータとラグヴァンは、米国の大学で、ラグヴァンの両親は英国の大学で出会っての恋愛結婚。
ラグヴァンの両親はカーストの違いにより周囲の反対が大きかったらしい。だからこそ、子供たちの結婚は「自由を尊重した」ようだ。
ともかく、いずれの家庭も「インド的ではない」ことが幸いして、わたしたちが夫婦でいられるのだということを、この珍しい一家の恋愛事情を知るにつけ、思うのである。
本当は、「デリーの冬は寒い」→「デリーの実家の風呂場は特に凍える」→「ヒーターが欲しい」→「ムンバイのモンスーン時には除湿器が欲しい」→「地域別対応家電を開発してもらいたい」→「ところでパナソニックとサンヨーのニッチ商品を見つけた」という話に持っていきたかったのだが、話が大きくそれた。
とりあえず、写真だけでも、載せておく。
そもそも、きわめて個人的なことゆえ、書くつもりはなかったことなのだが、書かずにはいられないので書く。
検査結果は何の異常もなかったので書くのだが、実は本日、全身麻酔をしての、とある検査を行った。
以前の健康診断で、「基本、たいそう健康体」ではあったのだが、一部、レントゲンでははっきりと確認できないが、念のため見ておいた方がいいかも、という物体が体内にあり、それを内視鏡で検査したのだ。
全身麻酔と聞くと、たいてい日本人は構える。
麻酔に対する考え方は、日本と米国(米国医学の影響を受けたインドも含む場合あり)とでは、かなり違う。
たとえば米国では、親知らずを抜くときさえ、全身麻酔をかけるのが普通で、実は夫アルヴィンドも、全身麻酔で抜歯した経験がある。ちなみに本人は、そのことを忘れていた。
出産の際も、米国では9割以上が麻酔を使っての無痛分娩だ。一方の日本は無痛分娩を善しとしない傾向が強く、あまり普及していない。
どちらにも、それなりのメリット、デメリットがあるので、わたしにはどちらがよいのかを判断できない。
個人的に、当然ながら痛いのは嫌だ。ただ、日本人が「痛みに耐えて産むのが善し!」とする美徳のようなものを持っていることには、納得できる。
前置きが長くなったが、わたしが受ける検査も、事前にネットで調べたところ、日本では麻酔をせずに行う場合が多いという。そして「死ぬほど痛い思いをした」というレポートもある。
迷いなく、わたしは全身麻酔を選択した。
さて、全身麻酔を受けるには、前夜10時以降から一切の飲食物を絶つ必要がある。これはたいした問題ではない。早めに夕飯をすませて就寝。
翌朝6時半に家を出て、7時半に病院到着。
そばに付添人が必要なことから、夫には仕事を休んでもらった。
夫が米国で歯科の全身麻酔を受けたときには、麻酔が切れたあとを見計らって「迎えにいけばよい」だけだったが、この病院では「四六時中そばについていろ」との指示である。
部分麻酔については経験があるが、全身麻酔は初めてだ。
ベッドに横たわりつつ、
「万一、わたしに何かあったら……。日本の母と妹をよろしく……」
と、演技じみた口調で夫の手を握る。全身麻酔が原因で命を落とす人は十万分の一の確率らしい。十万分の一、の場合を備えての、一応の、挨拶である。と、
「なに馬鹿なことを言ってるの! ところで、ミホの日本の銀行口座の番号とパスワード、教えて」
と返される。ちっ。
検査自体は15分程度ですむが、麻酔がきれるまでにさらに1時間ほどかかり、それ以降、身体がなじむまでに数時間かかることから、病院には午後3時頃までいるようにといわれていた。
なお、全身麻酔の副作用としては、頭痛、吐き気などがあるという。
夫はといえば、その辺にいる看護師さんを見つけるや、いちいち
「全身麻酔って、安全ですよね」とか「全身麻酔による事故って、どうなんですか?」
とか、心配をあらわに尋ねるものだから、しまいには看護師さんたちに、
「わたしはここに7年つとめてますが、事故は一度もありません!」
「全身麻酔はきわめてシンプルな処置です。大丈夫ですから!」
と笑われていた。
さて、9時ごろになってようやく検査室に運ばれる。ドクターのほかに助手が数名。ぺちゃくちゃと騒がしく世間話をしている緊張感のなさが、インド的だ。
さて、左手の甲の血管を通して、注射が数本、施される。3本目の注射を打たれてのち、ドクターがわたしにあれこれと話しかけてきた。
どんな風に意識が途切れるのか、自分で見極めたい(?)と思っていたのだが、自分の仕事について聞かれて、ライターで、インドの情報を日本に送って……みたいなことを話しているあたりから、記憶がない。
見事に、別世界へ飛んだ。
なんの予告もなく、自分の目は開いた。と、視界にぼんやりと飛び込んできたのは、夫の顔だった。
まるでテレビの医療物ドラマと同じである。視界がボワボワ〜ンとして、夫の顔が現れ、焦点が絞られる感じ。そこに夫がいるということが、異様にうれしく感じて、手を握り合ったりする。ドラマである。
たかだか検査のためなのに、なにかたいそうな手術を受けた後のような気分の盛り上がりだ。
意識は戻ったものの、めまいがするので、しばらくベッドで休息。3時ごろに病院を出た。
帰りの車の中では、さすがに気分が悪かった。というのも、町は渋滞。スピードバンプで上下の振動が激しいため、めまいと吐き気が助長されるのだ。
それでも眠っているうちに楽になり、家に到着する頃にはかなりおさまっていた。
夫はといえば、昨夜遅くにムンバイ出張から戻ったにも関わらず、今朝は早朝起床でわたしの病院の付き添い。しかも昼食を食べていない。
わたしはさすがにまだ食欲はなかったが、夫は軽くトーストと果物を口にしていた。
その後のことである。
夫が不調を訴え始めたのだ。
「ああ、頭が痛い、それに吐き気もする!」
いや、それはわたしの台詞やろ! と突っ込む間もなく、トイレに駆け込み、嘔吐する夫。
夫の背中をさすりながら、(この状況、なんか違うやろ!)と心中で叫ぶ我。
「頭が痛い! 吐き気も止まらない! いったいどうしたんだ。パンしか食べてないのに!」
うなりつつ、ベッドに横たわる彼。
おいおいおい、ちょっと待ってよ! 頭痛、吐き気は、わたしの役目! 具合が悪くなるべきは、わたしなんですけど! ベッドに横たわって休息すべきは、先ほど全身麻酔を受けたわたしなんですけど!
この不条理に、もはや笑いがこみ上げてくる。
結論からいえば、その後、わたしは1時間ほど仮眠をとった後、気分もすっかりよくなったので仕事に戻ったのだが、夫はと言えば3時間ほども寝ていたのだった。
彼曰く、
「僕は、ミホの苦しみを引き受けたんだよ」
もしそれが真実なら、なんて美しい愛の物語だが、どうにも違うやろ。妻の全身麻酔が心配で、疑似体験状態に入っていたのだろうか。どれだけ繊細な男であろう。
わたしはといえば、夕飯を作り、普通に食事をし、薬を飲み、もはや普通に夜を迎えたのだった。夫にはお粥を作って、与えた。そして思った。「わたしは、病気を、できんな」と。
「自分の身は自分で守るべし」を再認識する一日だ。
それにしても、我々のライフとは、なにゆえこんなにも「コメディ色」が強いのだろうか。母の緊急入院時にしても然り。
深刻に、なればなるほど、笑える事態が発生する。インドだからか? それとも、わたしたち、ならでは?
よくわからんが、今年も朗らかな幕開けである。いい一年に、なりそうだ。
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