改め。
排ガス渋滞 繁華街を 広告ラクダが ゆきました……。
なかなかに人目をひく広告ではある。
しかし、ラクダのインパクトが強すぎる。
肝心の広告が「なんだったっけ?」な状況に、なりがちな気がしないでもない。
さてさて、新年が明けて早くも1週間あまり。
年末年始が静かすぎた反動か、年明け早々、仕事や社交や雑事で、時間が瞬く間にすぎていく。
そんななか、今日は久しぶりに静かでゆっくりとした日曜日。
メイドや庭師がいないだけでなく、夫が早朝からムンバイ出張へ赴いたので、まるきり一人の一日なのだ。こんなに完璧な一人は、半年ぶり、いやそれよりももっと。
こんなときこそと、自分のやりたいようにと、書斎の片付け、キッチンの片付けなどを黙々と始めたが、なにしろ今朝は5時半起床。午後には睡魔に襲われ、2時間ほども昼寝をした。
普段から睡眠はしっかりととっている方だが、一人で寝るのと夫と寝るのとでは、熟睡度が違う。すっかりリフレッシュした。
新しい年になり、新しい場所にブログを移動して、「区切り」をつけることを繰り返してきたが、未だ、日々、このように自分のインド生活の断片を記し続けていることが、よくわからない。
さらには「きれいなブログ」をはじめて1年あまり。こちらも、「試しに」始めたものの、当初の「思惑」からはかなりはずれ、自分の中ではかなり中途半端な存在感だ。
今年は自分が発する言葉、文章を、もっと整理せねばとの思いが高まっている。
ただもう、世の中の、あらゆるメディアを通しての「情報の多さ」には、目がくらむ思いだ。
その中で自分が、誰に何を伝えたいのか、それも何のために、などと考えてみるも、行き着く答えなく、ただ日々書き連ねている。
「有意義」。
が、もう少し、目に見えたなら。取捨選択とは、いかにも難しい。
模索しながら、増やすのか、削るのか、惜しみなくなのか、惜しむべく、なのか。
年末年始に滞在したアーユルヴェーダグラムで、数冊の本を読んだ。中でも『ガンディーの生涯(上下巻)』 には、心に響く言葉がちりばめられていた。
その言葉のいくつかを、書き出して、反芻した。
ガンディーの言葉を「真に受けて」、たとえそれがささやかなことですら、自分のライフに反映させるのは、しかしおこがましくも、軽率かもしれぬ。
ただ、十年前のわたしの心には響かなかったであろう理想論が、今のわたしには、「そう在るべきだ」と訴えかけてくるいくつかもあり、それは、年を重ねたせいでもあろうし、インドに暮らし始めたせいでもあろう。
「ジャーナリズムの唯一の目的は奉仕でなくてはならないことに、わたしは気づいていた。新聞は大きな力である。しかし堰を切った奔流が、農村地帯を水浸しにして、作物を荒らすように、制御されないペンは、破壊に役立つだけである。そしてその制御が、外部から強要される場合は、制御がないよりもっと有害である。」
ガンディーのこの言葉を、あらゆる「書き手」に反映させるとき、たとえばこのインターネット上の、途方に暮れるほどの情報量。
プロの、あるいは素人の、真摯な記事、美しい言葉、あるいは悪意に満ちた記事、誹謗中傷、醜悪な文章、もう、絶え間なくあふれる言葉の渦の中。
清流の、いや濁流の、混濁の、ただ中に在り、まるで泡沫のような自分の言葉の連なり。
インドがあまりにも、日々、濃密すぎて、新しく伝えたいこと、繰り返し伝えたいこと、初めての人に伝えたいこと、古くからの人に伝えたいこと、それらが渾然一体で。
書き手としての、あるかなきかの矜持が揺らぐ。
空を仰げば新月が光り、ちっぽけな逡巡が滑稽にさえ思えるも、自問する自分を自嘲することなく、きちんと向き合っていきたい今年も、と思う。
そして成し遂げられない自分を嫌悪し、叱咤する心も、大切にせねばとも思うのだ。
今年もまた、迷いながら歩く。走る。
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