と、言いきってたわたしは、今は昔。あれだけ夫が熱烈にしつこく観戦していれば、否応なく、情報は耳に入って来る。
今年はIPL(インドの国内リーグ)も観戦し、それなりにルールも理解しつつある。理解しきってはいない。
夫の存在に関わらず、インドで最も人気のある娯楽&スポーツがクリケットである。住んでいれば、メディアを通し、有名選手の存在を、自ずと知ることになるであろう。
さて、本日のランチ。友人夫婦に誘われて、日本料理店の江戸(EDO)へ赴いた。
夫は2週間前、わたしの不在中に友人たちと来ている。わたしも、先週日本から帰ってきたばかり。
今、日本料理が必要か。
とも思ったが、夫が「僕、江戸の料理、好きなんだよなあ」と乗り気だった故、訪れることにしたのだった。
江戸はITCガーデニアと呼ばれるホテルにある。クリケットのスタジアムにほど近い高級ホテルだ。ホテルに到着し、車寄せに入った瞬間、そこに置かれていた山ほどのスーツケースを見て、夫が声を上げる。
「クリケットの選手が来ているよ!」
友人らロビーで合流し、レストランへ向かう途中、現キャプテンのハルバジャン・スィンの姿が。
夫と友人夫婦は「写真を撮ってもらいたい!」と言うのだが、彼は長々と携帯電話で会話中。
特に興味のないわたしは、「お腹すいた。行こう!」と一行を促す。……と、ハルバジャン・スィンも、江戸へと入って行く。
なんだ、一緒のレストランなんじゃん。
などと言いながら、テーブルに通された瞬間に目に飛び込んできたのは……。
サチン・テンドルカール!!
ま、まぶしい! すてき!!!
ひとめ惚れ、という言葉があるならば、畏れ多くも、わたしはひとめ惚れさせていただいたよ、サチン・テンドルカールに。
テレビで見るよりも、ずっといい。というかね。なんというか、ズキューンと胸を射抜かれる感じ?
ええい、なに言ってるんだこの人は。と、サチンを知らないあなたはお思いでしょうよ。
軽く説明するに、このサチン・テンドルカールという人は、クリケットの、偉大なる、歴史的、スーパーヒーローなのだ。
バスケットボールで言うならば、全盛期のマイケル・ジョーダン。
日本の野球選手でいうならば、全盛期の王貞治と長嶋茂雄を足して煮詰めた存在感だといえよう。
そのサチンが、そこにいる。というだけで、我々、超興奮。まわりはしかし、気がついていないのか、それとも大人なのか、静かに食事をしている。
わたしは胸の鼓動を抑えつつ、「邪魔しちゃ悪いよ。さ、食事を」と思うのだが、もう、気が散って仕方がない。
と、友人のMさん。ベイビーをだしにつかって、サチンに写真撮影を依頼するではないか。
いい写真よね〜。
今、思い返すに、わたしも夫も、このとき撮ってもらえばよかったのだ。
にも関わらず、わたしときたら、無駄に気を遣って、
「これ以上、彼らのランチを邪魔しちゃだめだわ」
モードに入ってしまう始末。
あれだけ元首相ほか、誰彼構わず、「写真を撮ってくださ〜い」と、どしどしにじり寄っていたわたしが、である。
やっぱり、本当にぐっとくる人の前では、動揺するものなのね。と、今更ながら、控えめな自分に驚く限りだ。ああ、思い出すだけでも汗が出る。
ってか、自分、どれだけサチンのファンよ。と、自分に問いたい。
彼らの邪魔にならないように、でも一緒にいるところを……というわけで、隣席が入るように写真を撮ってもらうの図。
ピンはわたしじゃなく、むしろサチンに! と思うのだが、カメラ操作がややこしく、なにやらわたしが、どアップだ。
スパークリングワインで乾杯すれど、刺身を食べれど、心ここに在らず。加えて、店内にはあちこちに日本人のグループ。
友人知人に挨拶をしたりして、実に、落ち着かない。
奥の間で食事をしていた知人に「サチンがいるんだよ」と教えたら、こちらは本気で、相当にファンらしく、ご夫婦揃って興奮状態に。
見るからにアドレナリン急上昇なご様子だ。
彼らの食事が終わるころ、周辺が騒がしくなり、写真撮影やら、サインを求める人々が押し掛ける。
スーパーヒーローは大変だよなあ。
店も、もっと目立たない場所に座らせてやればいいのになあ。
いや、しかしあんなに目立つユニフォームを来たまま来店しているってことは、目立ってノープロブレムなのかなあ。などと、あれこれ考える。
と、かなり憤慨していたマイハニー。取り敢えず、彼がサインを書いてくれているところを撮れたのだから、許せ。
妻はともかく、興奮していたのだ。
アドレナリン急上昇なご夫妻が、サチンと一緒に撮影を、ということで、カメラを託されたわたし。ほんと、緊張した。これは、きちんと撮らないかんという使命感だ。
かなりいい感じで撮れた。
「バンガロールに来てよかった〜!」と、感泣ものの奥様。
が、ちょっと待て。バンガロールに来なかったら、クリケットを知ることもなかったろうに。
特に心がときめかなかった現キャプテンには、冷静にカメラを向けられるから不思議なものである。
アルヴィンドは、両選手のサインをもらって、ご機嫌だ。幸いにも、わたしがノートパットのがっちりとしたシートの紙を持っていたので、それを託した。
大切な、記念である。
写真は控えめだが、結構、言葉は交わしたのだった。
「あなたのご活躍は本当に、すばらしいです。わたしは、日本人で、インドに来るまではクリケットを知りませんでしたが、今ではすっかりファンなんですよ!」
「ここに来ている日本人のみなさんも、あなたがたを応援しています!」
とまあ、調子のよいことをペラペラとしゃべる自分に呆れつつ。と、彼は、
「バンガロールには日本人が多いんですね。今日はこの店でたくさんの日本人を見て、驚きましたよ」
と、笑顔で返してくれる。
「あなたは、インド生活長いの?」
「ええ、6年になります。彼がわたしの夫なのです」
などと、さりげなく言葉を交わしながらも、胸の鼓動はドキドキ状態だ。
それにしても、放たれるオーラとは裏腹に、普通に、気さくに、感じのよい人であった。まじで、惚れた(しつこい)。
周辺に異様な熱気をまき散らしながら、去って行った一行。彼らが去ってようやく、さ、食事にしようか。と、少しばかり、落ち着いた気分になれたのだった。
サチンが去ったあとのテーブルは、本当に、驚くほどに、しんみりとしてしまい。まさに「灯が消えたような」寂しさだ。
忘れられない一日となった。
■サチン・テンドルカール (←Click!)