今日から11月。火曜日だが、カルナタカ州のなんとかいう祝日*で、今日もまたホリデー。
(*追記:カルナタカ州の誕生日であった。1956年11月1日、国家再編法によってこの地域の州が統合。当時はマイソール州だったが、1973年にカルナタカ州に改称された)
上は、夕べの写真。ご近所の子供たちが、ハロウィーンの仮装をして、"Trick or Treat!"を叫びつつ、やって来た。
あと10日で、インド生活6周年。この6年のうちに、インド生活の、どれほど変化したことか。
クリスマス、ヴァレンタインズデー、ハロウィーン……。年々派手さを増す欧米の習慣。
それでなくても、インド。
神様満載のヒンドゥー教を筆頭に、イスラム教、キリスト教、シク教、ジャイナ教、仏教……と各宗教の祝祭儀礼があり。
更には、地方ごと、コミュニティごとのあれこれがあって、年中何やらドタバタしているにもかかわらず。
ディワリが終わったかと思えば、ハロウィーンで……。そして結婚式シーズンの到来で。
この国独自のあれこれに加えて、欧米のあれこれが加わって、この先、よりいっそう、諸々の事象が渦巻いてゆくのだろう。
先進国化し、情報がたやすく流れ込む世界で、「あれも、これも」と人々の欲求は天を突き破り、そのあれこれを手に入れるために、東奔西走し、徒(いたずら)に多忙になりて。
「従来」と「新規」が出会ったとき、人々は、新しきに飛びつき、旧きを忘却する。
そして、独自の文化は二の次になり、廃れるものもある。
世界はどんどん、似通ったものとなり。
米国の、どの都市にもある、どの都市にあっても、同じような、独自性皆無な、住宅街を、ショッピングモールを、思い出すのだ。
わたしがバンガロールに移り住んだばかりのとき、郊外の、まるでカリフォルニアのような住宅地、ゲーテッドコミュニティを初めてみたとき、思い出した映画があった。
外の世界から遮断された、インドにして、インドらしくない、麗しい世界。
「ステップフォード・ワイフ」という、米国の映画。関心のある方は、検索していただければと思う。
(※決して悪意があるわけではなく、あくまでも、個人的な印象として、であるので、念のため。)
その心境は、一般には、多分あまり理解されにくい。夫からでさえ、わからない、と言われたぐらいだから。
今年のディワリ休暇で盛り上がったイヴェントの一つに、F1、即ちフォーミュラワンが挙げられる。なんとインドで、初のF1が開催されたのだ。
首都ニューデリーの近郊都市、ノイダに誕生したサーキットが会場。フリー走行の際に野良犬が侵入したとか、砂塵がひどすぎるなどの問題があったらしいが、ともあれ、無事に終了した。
このF1に絡んで、レディ・ガガが来印コンサートを開いたり、なぜかインドで人気があるへヴィメタのバンド、メタリカが来印。
このメタリカのコンサート。デリーとバンガロールで開催される予定だった。「だった」というのは、実際コンサートが実施されたのは、バンガロールでだけ、だったからだ。
デリーでの開催予定日。すでに2万5000人もの人々が会場に集まっていたのだが、バンド側がセキュリティの不備を指摘。
何時間も待たされた観客に向かって、コンサートを翌日の延期だと告知した。
待ちに待っていた観客の一部がぶち切れて、ステージに上がり機材などを破壊。結果、延期ではなく中止。その後、あれこれと不正だか不行き届きだかが発覚したようで、主催会社の4名が逮捕される事件に発展した。
それにしても、インド各地からばかりか、中国やネパールやシンガポールなど近隣国から来ていたらしい熱狂的なファンにとっては、なんとも気の毒な話だ。
そんな次第で開催が懸念されていたバンガロールのライヴだが、こちらもまた、開演が遅れに遅れたようだが、しかし無事に終了したようである。
華やいだニュースが紙面を飾る一方で、看過できない記事も多く。たとえば、これがその一つ。
この16年の間に、農民が25万人も自殺している。1年あたり1万5千人以上。好景気だ、高度経済成長だと、インドの楽観的な将来ばかりが、世界に流れる一方で、拡大する貧富の差。
その著しい格差社会。
社会問題の、あまりの多さに、ただパラパラと新聞の記事をめくるだけで、いや、町中を車窓から眺めるだけで、ぐるぐると渦の中に巻き込まれて途方に暮れる思いだ。
屈託なく在ることが、難しい日々は、きっとこれからも、ずっと続く。