本日の記録は、徹頭徹尾、爽やかではない。その上、異様に長い。
バンガロール、いやインドの「ゴミ処理を巡る体験レポート」を写真満載で掲載する。
従っては、飲食中の方や、爽やかに一日を迎えようとしていらっしゃる方には、不向きな話題だろう。
とはいえ、適切な時間があれば、ぜひとも読んでいただきたく思う。特にインド在住の方には。
夜明け直後の静かな街を走り、目指すはインディラナガールの住宅街。ここを拠点とするDaily Dumpという組織が主催する"Trash Trail" すなわち、ゴミを巡るツアーに参加するためだ。
Daily Dumpを知ったのは、数年前のこと。町中にあふれる、あまりのゴミの多さに途方に暮れる日々。自分にできることからはじめようと、自宅の庭で、コンポスト(堆肥)を作ることを思い立った。
Daily Dumpがコンポスト用の素焼きポットを販売していることを知り、早速買い求めた。現在もそれらを利用して、ゴミの軽減につとめている。
インドの社会問題は数あれど、ゴミ処理を巡る問題もまた、壮絶だ。この件に関しては、過去にも何度か記してきた。
以下は、過去に記した関連記事だ。ここに環境に対して思うことは記しているので、今回は割愛する。今日の記録を理解していただくためには、下記の記事に、ぜひ目を通していただきたい。
「発展という名の後退。毒された世界。ゴミと子ら。」については特に……。
■芋づる式エコロジカル生活。ゴミで堆肥作り。 (←Click!)
■発展という名の後退。毒された世界。ゴミと子ら。 (←Click!)
午前7時。9名の参加者が集合する。といっても、わたしが一番乗りで、あとは三々五々の来訪だ。
各自、自己紹介のあと、主催者のプーナム、そしてアシスタントのアヌパマによる簡単なプレゼンテーション。
参加者は、建築関係の企業勤務の人や、NGO団体の人、あるいは自身が土地を所有していて、そこがゴミ溜めになっていることに途方に暮れて、ゴミの実態を知りたいという人などだ。
出発の前に、各自持参するように言われていた「乾いたゴミ」を新聞紙の上に広げて、分別してみる。分別する、ということのコンセプトを、軽く体験するためだ。
日本では当たり前の「ゴミの分別」の概念が、この国にはない。
生ゴミもビニル袋も缶もボトルも、一緒くたに捨てる。それらを、カバディワラー(Kabadiwala)と呼ばれるゴミ回収人たちが仕分けるのである。
Daily Dumpが編集した46ページに亘るこの冊子。
イラストや図表を駆使し、非常にわかりやすく、美しく編集されている。
バンガロールのゴミの現状。
それからリサイクルの実態、リサイクルの方法などが、非常にわかりやすく記されている。
まだ全てに目を通していないが、これはいい資料になりそうだ。
ただ、気をつけねばならぬのは、データは日々、推移しているという現実。先日も記したが、現在、バンガロールの人口は1000万人を超えている。
わずか10年の間に、人口は「倍増」したのだ。
人口が倍増したから、ゴミも倍増、という簡単な図式ではない。
ゴミは、5倍、10倍、いやそれ以上に増えているのではないか。なにしろこの10年の間に、工業製品、つまりパッケージに包まれた商品が劇的に増えた。
従来の家庭ゴミは、野菜くずなどのオーガニックゴミが主体だったのが、プラスチックやボトルなどが激増しているのだ。
しかし、ゴミ処理のシステムは前時代的。今のところゴミは「埋める」あるいは「リサイクルする」ことしか処理の方法がない。
60%:オーガニックゴミ(生ゴミ)
20%:リサイクル可能なゴミ
10%:リサイクル不可能なゴミ
10%:有毒ゴミ
つまり、80%のゴミは、ゴミとしてではなく、堆肥にすることやリサイクル製品を製造することに使える。
が、合理化したシステムがほとんどないのがインドの現状。
一部は再生されているとはいえ、大半が一緒くたに破棄され、ほとんどが「使えないゴミ」と化している実態を、この日のツアーで知ることになるのだった。
まず最初に訪れたのは、インディラナガールの住宅街の一隅。この光景。インドではあちこちで見かける日常だ。
あらゆるゴミが投棄された場所に、牛や野良犬やカラスが集まり、ゴミをあさる。ゴミ回収車が訪れる「定められた場所」ももちろんあるが、定められていない場所もある。
つまりは、片付ける人なく、放置されるままのゴミが、無数にある。
オレンジ色の服に白いストールを巻いているのがプーナム。彼女の説明を聞く参加者……。あたりは悪臭漂い、わたしは持参のマスクを着用。
三半規管が弱く、嗅覚が強く、なにかと「繊細な」我である。
みなはアヌパマが用意していたマスクを差し出されても、「いらない」と使用を辞する。そこで働く人への敬意か。それとも、平気なだけか。わからない。
右上は、諸々のゴミが入り交じったゴミの山をあさる牛。牛が誤ってビニル袋などを食べて死すこともあり、これもまた問題となっている。
ところで、ヒンドゥー教で神と崇められる牛。バンガロールの街では随所で見かけるが、野良牛ではなく、一応「飼い主」がいる。
しかし、牛が死ぬと、飼い主は事実上、飼い主であることを放棄して、死骸は放置される。これがまた大きな問題らしい。
牛一頭を運び出すには大人12人の力が必要らしく、誰かが業者に依頼して市街へ運び出し、処理してもらうしかないという。
左上は、ゴミを捨てにくる回収人。ぼろぼろのカートなどにゴミを詰めて、ここに捨てにくる。
右上は、別のゴミ捨て場。三輪車がゴミを回収している。
ゴミを集める人は、靴こそ履いているものの、ゴミをかき集めるその手は素手。プーナム曰く、このゴミは、近所の病院から出される医療ゴミも混ざっているらしい。
医療ゴミは、有料の回収サーヴィスを依頼すべき条例がある「らしい」のだが、従わぬ病院も多数あるようで、一般のゴミと同様、建物の前に破棄されている。
それらも、このゴミの山には混ざっているのだ。つまりは薬剤や注射器なども、混入している可能性があるわけで、想像するだに、途方に暮れる。
この木の枝は、車に乗せることはできず回収不可能。というわけで。ゴミ捨て場に隣接する空き地に不法投棄。管理者のいない土地が、たちまちゴミの山になることは、想像に難くない。
ここは、町中の「比較的大きめ」なリサイクルショップ。というか、再利用可能なゴミを買い取ってくれる場所。
ゴミ回収者や、一般の人たちが運んでくるリサイクルゴミを買い取り、仕分けして、再生工場などに売りにゆく。
街にはこのような「買い取り業者」はよく見られる。
我が家も、新聞紙やボトルは、まとめてメイドが業者に持って行く。
そこで換金したお金は、彼女のお小遣いにしている。
このツアーに参加するまでは、プラスチックやビニル袋などは、普通にゴミに出していた。
我が家のゴミ回収人は、きちんと仕分けをして業者に持ち運んでいると聞いていたこともあり。
しかし今後は、自分の家のゴミはすべて、自分たちで仕分けをして然るべき場所に持って行こうと決意する。
左上は、ペットボトルを詰め込んだ袋を、トラックに積み込んでいる様子。右上は、雑誌などの古紙類の山。その上でくつろぐ犬。
植物油の入っているビニル袋。コンピュータのモニター。ペットボトル……。それらの袋が、わさわさと放置されている。
再び場所を変えて、別のゴミ捨て場へ。ここには、ゴミ回収の圧縮機付きのトラックが到着していた。女性たちはSweeper。即ち、掃く人たち。
市内のゴミは、行政機関だけでは追いつかず、複数の「コントラクター(請け負い業者)」によって回収されている。
平均的なコントラクターの構成は下記の通り。
・コントラクター(1名)
・スーパーヴァイザー(1名)
・アシスタント・スーパーヴァイザー(5名)
・掃除人(60名)
・圧縮機付き回収トラック(1台)と運転手(1名)
・三輪回収車(11台)と運転手(11名)、作業補助者(11名)
上記のような請け負い業者たちによって、この街のゴミ回収は支えられている。
ここのゴミは、仕分けされることもなく、まとめて回収車に搭載され、圧縮される。
資料を読み込めば詳細なデータがわかるとも思うのだが、調べていては時間がかかる。
不完全燃焼ではあるが、ともあれ、写真を追いつつ、今日のところは、わかる限りをここに記そうと思う。
そしてついには、市街北東部にあるランドフィル (Landfill) 、即ちゴミ投棄場に到着。
人口1千万人に達したバンガロール。この都市に住む我々が排出するゴミは、毎日300台以上のトラックによって回収され、東西南北4カ所のゴミ投棄場に運ばれる。
うち2カ所は、薬品やe-waste、即ち「電子機器廃棄物」など有害物質を投棄する場所でもある。ちなみにここは、一般のゴミのみを集めている。
しかしながら、その現状は、すさまじいまでに、「ゴミ混在の山」であった。
なお、毎日回収できているゴミは、ゴミ全体の65%に過ぎない。
日々取り残される35%のゴミ。それらが街路を汚し、河川を汚染し、この都市を「ゴミの街」にしているのだ。
「こんな所にまで、ゴミが達しているわ!!」
2カ月前に彼女が訪れた時には、まだ空き地だった入り口付近が、すでにゴミの山と化していることに、彼女は驚いたのである。
さすがにここでは、参加者は1名を除き、みなマスクを着用。
マスクをしていても、匂いは突き抜けて来る。
持参の「和な手ぬぐい」を巻いても、まだ匂う。
ガスマスクでもしないことには、この匂いを遮断できない。
にも関わらず、マスクなしで歩ける参加者1名がいることがまた、驚きだ。
空は青く晴れ渡り、しかし地上の汚れちまった光景よ。
史上最悪のピクニックのはじまりだ。
のっけから、ゴミの山を通過しつつ、流れ出ている黒い液体の怪しさに打ちのめされる。
ゴミからしみ出す、なにがなんやらわからぬ黒い液体は、溝を伝って、広大な穴にたどり着く。雨水と混ざり合い、漆黒の汚水池。
ヘドロ化しつつ、黒い水面が、ただただ、不気味。このあたりの匂いはまた、一段と強烈で、ここに一日屹立していたら、肉体よりも先に精神がやられること請け合いだ。
この汚水池から1キロも離れていない彼方に、農地があるという。左上の写真がそれだ。汚染水はじわじわと大地にしみ込み、地下水を脅かしながら、広く広く、浸透してゆく。
ただ、一つだけ、救われた気持ちになったのは、ここに児童就労者がいなかったことだ。上記の関連記事にも記しているが、数年前、ゴミ投棄場における児童の就労が取沙汰されていた。
彼らはこういう場所で、ゴミを仕分けるべく、働かされていたのである。
想像するだに、想像し難い。
最近のバンガロール(カルナタカ州)は、児童就労に関する条例が厳しくなったようで、それに関しては、本当に歓迎すべきだと思う。
とはいえ、まだまだ働く子供たちが多いのは現実。と、この話題はまた、別の機会に記すとして。
左上は、先ほどの汚染水な湖に流れ込んでいる汚染水の図。赤土を染める黒い液体。おぞましさ満点だ。
右上は、現在準備中のゴミを埋め立てる深くて広い穴。業者曰く、このビニルシートは50年は持つらしい。が、すでに穴があいているし、ここにゴミを捨てて、とても50年間、汚染水の流出を防げるとは思えない。
そもそも、有毒ゴミも混ざっているわけで、それらの毒性がいったい何年で無毒になるのか、などということさえわからないのだ。
この光景を見ながら思う。
去年のわたしだったら、日本のゴミ処理の技術や、民間人のゴミの分別に対する意識の高さなどを、ぜひとも導入すべきだ。
と、思っていたに違いない。その思いは今でもあるがしかし。
しかし、この光景を見て、日本を思うとき、よりいっそう、心が重くなる。
ここではこうして、ゴミのすさまじさを、目で見ることができる。匂いで感じることができる。壮絶だと思う。
翻って日本。今、日本の随所に広がり、しみ出している放射能汚染。無色透明で匂いもなく、そこに在るのかないのかわからない、汚染。
50年どころか、何万年もを費やさなければ、無害にはなりえない放射性廃棄物の存在……。
地球上で、物を製造するのも人間だけだが、こうしてとてつもないゴミを生み出すのも人間だけ。
ゴミの増加に比例する物質的な豊かさ……。
このことについては、先日も記したが、横道に逸れるのを承知で、ここに過去の記録のリンクをはっておく。
■「なかった昔」に帰るとき。原子力発電以前の世界へ。 (←Click!)
ゴミ投棄場の入り口にあった体育館のような建物。
ここに、なんとも頼りない感じの装置が、未完成のままに放置されている。
とある業者が、投棄されたゴミの中から、コンポスト(堆肥)にリサイクルできる生ゴミなどを、ここで仕分けて堆肥を作るための設備を整えていたらしい。
ところが、予算不足だかなんだかで、計画は頓挫。
こうして、役に立たない装置が打ち捨てられているというわけである。
果てしなく、膨大なゴミの山を前にして、この設備はいかにも、あまりにも、お粗末である。
だれか、なんとか、できませんか?
と、訴えたくなる。
ゴミを出している企業。CSRの一環として、このゴミ処理問題に対し、真摯に取り組んではもらえないだろうか、と。
ゴミ投棄所のすぐそばにある集落。ここは、地方の貧村からで稼ぎにきた人々が、ここで運び込まれるゴミの「ごく一部」を仕分けしている。
ここでは、「家族総出で」ゴミ処理にいそしんでいる。住まいは、このゴミ溜めの一隅。
現在、この仕事で、大人一人頭、一カ月3000ルピーの収入を得られるという。世帯収入が6000〜9000ルピーといったところか。
1カ月1万円〜2万円。
ゴミの仕分けを慣れた手つきで手伝うお兄ちゃん。ショッピングモールから運ばれてきたゴミの一部だという。紙のゴミとプラスチックのゴミをわけている。
紙のゴミの上で遊ぶ弟。
あまりの屈託のなさに、言葉がない。
移動のバスの中でも、プーナムのレクチャーは続く。わたしはといえば、すでに今まで見た光景の強烈さを消化できず、頭の中がぐるぐるとしている。
「今の家族を見て、どう思いますか?」
と質問をされても、ことばがでない。一人の青年が言った。
「こんなところで働くよりも、農村にいたままの方がよかったはずですよね。ゴミの中で暮らすよりましでしょう?」
その言葉を聞くや否や、プーナムが返す。
「あなたは現状を何も知らないわね。ロマンチストだわ。貧村がどれほどに貧しいかを、あなたは知らないから言えるのよ」
農村を取材したことがないわたしに、その実態を語るのは難しいが、貧村の悲劇的な状況は、さまざまなメディアを通して情報を得てきた。
先日の新聞記事が思い浮かぶ。以下がそれだ。
■この16年間で、農民25万人以上が自殺
1年に1万5000人以上。豊かなはずのマハラシュトラ州を筆頭に。好景気とか、高度経済成長だとか、楽観的な言葉の背後で、益々広がる貧富の差。農民が自殺に至る理由を、検証し、食い止めることの必要性。緊急性。
さて、バンガロール郊外北東部から、今度は市街を横切って南西部のシティマーケットへ向かう。暑くて喉が渇くが、水を飲めない。
というのも、このツアー7時半に出発したのだが、ランチタイムまではトイレ休憩なしという、これまた厳しい条件が出たのである。
インドのランチタイムは12時とか1時とかではなく、軽く2時になったりする。
あらかじめ知っていたら、参加を躊躇する強引なプランだ。
従っては水を飲みたくても、飲めないのである。
市内を横切る車内では疲労で半睡状態。しかし車内のDVDには、ゴミ処理に関するさまざまなドキュメンタリーや映画などが流れている。濃厚である。
そんなこんなでたどりついたのは、リサイクル業者が集まるシティマーケットの一画。ここはバンガロールで最も古いリサイクル業者の集まるエリアらしい。
現在では市街東部に最大のリサイクルエリアがあるとのこと。
どこもかしこも、なにもかも、人間の手作業によって行われていることが、おわかりいただけるだろうか。
日本に住んでいる人、先進国に住んでいる人にとって、インドのこの、なにもかもが人間業な実態は、理解し難いだろう。
しかしインドにおいては、一事が万事、このような物事の流れだ。これが普通だ。
ゴミ集めの人。掃除人。一日数十ルピー、つまり100円に満たない賃金で働く人々が、まだまだたくさんいる。
プーナム曰く、一部のムスリム(イスラム教徒)、そしてScheduled Castes、即ち指定カースト(不可触民)たちの多くが、このような仕事に従事している。
貧困層、つまり階級ピラミッドの最下層に位置する人たちである。
段ボール。ペットボトル。プラスチック。ビニル袋。メタル……。さまざまなゴミが、再生されるべく、仕分けされ、運ばれていく。
そういえば、市内中心部のラッセルマーケット界隈は、タイヤなどゴム製品のリサイクル業者が集まるエリアがある。
あのあたりの光景もまた、強烈だった。
普段何気なく栓をあけ、何気なく飲む飲料。そのキャップの一つ一つ。メタル(アルミニウム)のキャプから、内蓋のプラスチックをひとつひとつ剥がして仕分けをする人たち。
働く人々と顔見知りのプーナムは、あちこちで労働者たちに話しかけ、実情を取材している。参加者は熱心に話を聞いている。
みな、タフだ。
わたしはといえば、じっとしているのが辛くて、うろうろと歩いていたら迷子になりかけて、慌てた。
プーナムのお勧めの店でドサを食べることに。6時間半ぶりにトイレへ行き、水を飲み、人心地つく。
マサラドサも、香ばしさといい、ヴォリュームといい、ドサに包まれたマサラなポテトの味付けといい、非常にいい!
激烈な光景を目にした後で食欲は沸かんだろうと思っていたが、全然平気なようである。ちなみに車内でサンドイッチなども配られるなど、ランチまでの間にも軽食を口にしていたのだった。
さて、ランチを終えてこれでツアーも終了だと思い込んでいたのだが、甘かった。
ツアーの締めくくりは、リサイクルされるべく再生ゴミが、いかに加工されているかを知るべく、加工業者が集まるエリアの訪問だ。
ここはペットボトルの加工場。彼らは、ペットボトルからラヴェルのビニルを剥がしている。それぞれ素材が異なるので、分けて再生する必要があるのだ。
みな、黙々と、作業をしている。
小片となったペットボトルの屑はまとめて、次の過程を請け負う業者に運ばれる。ちなみに右下の写真が、ペットボトルを砕く機械。
非常に簡単な作りだ。
大手の企業が、このような仕組みをもっと合理的にできないものなのか。
見ているだけでもう、やきもきするのんびり感だ。
しかし、それでも、リサイクルされているだけ、ましなのだろう。
ゴミを見るのも辛いが、こういうプラスチック系の加工品が変化して行く様子を眺めるのも、なぜか辛い。
これは、タバコを包むパッケージのビニルを再加工して作られたプラスチックのチップ。このチップから、タバコの匂いがするのは、パッケージにもタバコの匂いが染み付いていたからだ。
下の写真は、バケツを作る機械。なんというか、Back to the futureを思い出させる工場である。
左上のバケツ(手桶。インドのトイレなどでよく使われる)はリサイクル素材を用いて作られたもの。右上の方が新品。
リサイクルのバケツの方が耐性が弱いとのこと。また、リサイクルは3回ほどしか繰り返せないらしい。
しかし、そのバケツが何度のリサイクルを経て作られたものなのか、など、どうやって知り得るのだろう。
知り得ないだろう。
だから壊れやすいプラスチック製品が多いのか?
これはアルミニウムの鍋。アルミニウムの鍋はそもそも、身体によくないと聞いていたが、これがリサイクル製品だと思うと、尚更、敬遠してしまう。
調理に使うものは、なるたけ安全なものを使いたい。
この光景を見ているうちにも、本当に、疲労感が募り、具合が悪くなってきた。
最後に訪れたプラスチックの紐を作る工場でとどめを刺された。
激烈なケミカルかつプラスチック臭が充満した部屋で、わけわからん物体を作っているの図。
マスクをしていたのに、呼吸3回でアウト。
逃げるように建物を出て、一人で茫然自失。
他の見学者たちが、5分近くも、マスクなしでその部屋にいたことにもまた驚愕する。
もう、ついていけん。帰りたい。時計はすでに4時をさしており、気持ち限界である。
かわいらしい子犬も、しかし皮膚疾患を患っている。ここで働く人たちの健康状態は……と考えるだけでも、途方に暮れる思いだ。
そしてバスは再び、市街を西から東へ向かって走る。
途中、MGロードのトリニティサークルでバスからおろしてもらい、久々にオートリクショーで帰宅する。
市内の東部に位置する大きな湖、Ulsoor Lakeの湖畔を走る。湖、そしてその脇を流れる川の汚染度の高さたるや、これまた半端ではない。
普段、車に乗っていても、その匂いが車内に入り込んで来るほどである。素での攻撃は相当なものだ。
「この街は、最早ガーデンシティではありません。巨大なゴミ箱です」
プーナムの言葉。わかってはいたけれど、現実を突きつけられて途方に暮れる。
ヘドロの悪臭漂う一隅を走り抜けつつ、思う。
わたしは、夫は、自由だ。将来、この街を、この国を離れて別の土地に住むことも、もちろん可能だ。自分たちが行きたい場所に、「逃げること」は、難しいことではない。
でも、仮にも、この土地ですでに6年を暮らし、これから先も、どれほどの期間なのかわからないにせよ、住むことになる土地である。
いや、この際、どこに住んでいようが、どこに住むことになろうが、関係ない。この現実を知って、同じ人間が生み出している誤った現実の有り様を目にして、少なからず行動を起こさずにはいられない。
人口12億人を超えるこの巨大国家の、ゴミ処理の現状が、これである。
他都市も似たり寄ったりだ。
この国が、このまま好景気だ高度経済成長だとたいへんな勢いで、工業製品を増やし続けたら、いったいどうなるのだろう。
ゴミ。汚染水。大気汚染。交通渋滞。排気ガス。
取りつく島もないほどに、めちゃくちゃだ。
国内でおこるものだけでなく、さまざまなビジネスが海外から流入している昨今。
企業の人々。せめて自分たちが作る製品の行く末について、考えて欲しい。
そのビニル袋。そのプラスチック容器。その金属部品。その液体。
消費者の手もとにあるのは、ほんの束の間。みな、ゴミをも作っているのである。
ゴミを、作っているのである。
インドに暮らすようになり、ここ数年の間にスーパーマーケットやモールが次々とできて、しかし色とりどりのパッケージを見るにつけ、それらが即、ゴミになるのだな、としか思えないようになっていたのは、日々、街角でそれらのゴミを目にしているせいだ。
ローカルのマーケットで、梱包されていない生鮮食品などを眺める方が、よほど、ほっとするのだ。
わたしには、ともかく今、自分ができることからはじめることしかできない。
・家庭の生ゴミ、紙類はすべてコンポストに(実施中)
・ボトルや新聞はリサイクルに(実施中)
・合成洗剤類を使わない(実施中)
・買い物の際のビニル袋をもらわない(基本、実施中)
・あらゆるビニル袋、プラスチック類も仕分けてリサイクルに
・そして一切のビニル袋を購入しない。
ちなみにサランラップは、昔からほとんど使っていない。なくても問題ない。ガラスの容器やタッパーなどにいれたりすればいい。
そのほか、このブログだけでなく、さまざまな場所でゴミ問題の現状と対策に関する啓蒙を始めたいと思う。このツアーに参加したらもう、今まで通りではいられない。
というわけで、まだまだこの件に関しては書きたいことも多く、リンクをはっておきたい関連機関もたくさんある。が、ともかく、ここで一旦、レポートを終了したい。
読了、お疲れさまでした。