去年の今日、我々のコテージに現れた子猫。今年は見ないなと思っていたら、今朝の散歩で再会。大きくなっていた。
スタッフのお兄さんたちによると、名前はない。らしい。
「きなこ」と命名。
強烈につきたてのお餅できなこ餅が食べたい朝、につき。
(つづき)旅を増やしたことにより、日常から脱し、地理的移動だけでなく、「時間旅行」をさえ楽しむことができたのは、よかった。
これは、年齢を重ねたからこその醍醐味だ。過去の旅先を再訪することで確認する歳月の流れ、新たな視点による再発見、世の歴史に自身の足跡を重ねるときの感傷……。これは、20代、30代の旅では味わうことのできない経験だ。若いときとは異なる旅の楽しみ方があるということを実感できた年でもあった。
2. 信頼できる友人らに巡り会えた。
これは、「その1」でも触れた。YPOを通して出会った7名のフォーラム・フレンズ。彼女たちの存在が、わたしにとってここまで大切になるとは、当初は思いもよらなかった。わたしを自分のフォーラムに誘ってくれたチベット系インド人の友人。彼女夫婦と我々夫婦とで食事をしたとき、わたしは二人に好感を抱いたものの、フォーラムに誘われたときには、やや躊躇した。
しかし、「富裕層のご夫人たちの集い」という、ステロタイプの先入観に囚われるのはよくない。今から1年半前、メンバーの邸宅で、全員と顔を合わせた夜。フレンドリーで飾らない彼女たちの様子に、1時間ほどもたたないうちから「この人たち、いいなあ」と直感した。
月に一度、ホテルの会議室で会い、数時間に亘ってYPOの定めるメソッドに従ったミーティングをする。年に一度ずつ、国内及び海外の旅行を共にし親睦を深めることは、ルールによって定められている。このほか、パーティやイヴェントで、顔を合わせる。
尤も、日頃から、ベタベタとした付き合いをするわけでも、しょっちゅう会うでもない。それぞれに、それぞれの友人がいて、それぞれの日常のライフがある。しかし、月に一度、じっくりと身の上の経験を忌憚なくシェアすることで、親交は育まれる。
Good chemistry. 相性がいい。とは、こういうことを言うのだと思う。半世紀を生きる間にも、多くの人に出会い、よくも悪くも、いろいろな人間関係を経験をしてきたからこそ、痛感することでもある。互いの損得勘定なく、しがらみなく、一定の距離感が保てているのも、功を奏しているのかもしれない。この年齢になって、このような形で与えられたギフトを、大切にしたいと思う。
3. 公私に亘る人間関係のストレスが軽減した。
これは、自分のクオリティ・オブ・ライフに大きく影響する。昨年、嫌な経験が重なっただけに、今年に入ってからはその反動で、軽減したと感じたのかもしれない。
ごく限られた人間から継続的に受けるネガティヴな対応は、微量ながらも蓄積し続け、腹立たしいほどの威力を発揮しながら精神を蝕む。こちらが関わるまいとしても、そうはいかない事情もある。うじうじ考えてしまう自分に対しても、嫌気がさす。生きて行く限り、他者との関わりなしにはいられず、人間関係とは永遠のテーマでもある。
どんなに言葉を尽くしても、理解し合えない人は存在する。これは、どちらが悪いという訳ではなく、前記に対比するならば、Bad chemistry. 相性が悪い。ということだろう。お互いのために、相容れない人とは、関わりを極力避ける。逃げようと決めた。しかし、逃げれば逃げたで、あることないこと流布されたりもする。こうなると、手の打ちようがない。いやな話しを広げるも、人。それを信じるも、人。信じないも、人。
わたしとて、他人の悪い噂に心惑わされることもある。自分をいやなやつだと思うときもある。そんなときこそ、気をつけなければならない。わたしは、自分が直接、見聞きしたことを大切にしよう。徒に他人を中傷したり、誤解を招くような言動は避けようと、改めて肝に銘ずる年の瀬。
4. 5年日記をはじめ、記録の重要性を再認識した。
中学時代から日記を書いてきた。30歳を過ぎたころからは、毎日というよりは、折に触れての日記になっていた。心に大きな動きがあったときの記録。無論、過去30年に亘ってスケジュールノートに日常を記録しているから、その間の、何月何日に何をしていたか、ということを、すぐに遡れるのが便利だ。この件については、以前も記した通りだ。
古いところでは旅のノート、インターネット誕生以降はホームページやブログに無尽蔵の記録を残している。これもまた、過去を振り返るのに大いに役立つ。
更に、去年からは「5年日記」をつけ始めた。これは、非常によい。Facebookならぬ「1年前の今日」のことを眺めながら、今日のことを綴るのだ。「去年のわたしは、こんなことでくよくよしていたのか」とか、「またアルヴィンドと喧嘩?」とか、「どんだけ、猫らに振り回されてるの?」という具合に、自分自身を客観的に見て、改善せねばとの思いが芽生える。
ちなみに我々夫婦は、去年のクリスマス・イヴは、とてつもない大げんかをしていたようで(理由を思い出せないから、たぶんくだらない次元)、だから今年は「仲良くすごそう」と、少し気持ちを引き締めたりした。
5年日記、あるいは10年日記。日本では通販でも簡単に入手できる。装丁のヴァラエティも豊かで、本当におすすめだ。新年に向けて、今すぐご注文を!
世間が飽食に走っている年の瀬。敢えてこの時期、「酒なし、肉なし」のインパクトを更に上回るフィトネスな食にチャレンジする自分を、最早、誇らしくさえ思う。
アーユルヴェーダグラムのおいしいヴェジタリアン料理を堪能することなく、「そこそこ本気なダイエットコース」を選んだ今回。
ダイニングに漂うおいしそうな香りと戦いつつ、シンプルを、噛み締める。
1日目、果物。
2日目、野菜。
3日目、お粥。
4日目、果物と野菜が交互に。
そして本日の朝ごはん。皿の上にきちんと並んだ3本の小さなバナナに、目が釘付け。
🍌🍌🍌
さすが、南インドだ。
確かにバナナは栄養価が高い。特にインドのバナナは甘くておいしい。だからってバナナのみとは、なかなかに渋い晦日ではあるまいか。
ランチが気になって、給仕のお兄さんに「ランチのメニューはなに?」と尋ねたら、「バナナ・サンドイッチです」とのこと。
ほほう。ランチタイムには、ついに炭水化物が登場か。しかし、バナナの他に、何を挟むのだろう。
日本のフルーツサンドよろしく生クリームってことはないな。フルーツサンド、懐かしいな。
ヨーグルトで和えたバナナか。いや、アーユルヴェーダではヨーグルトと果物の組み合わせを推奨していないから、それはないな……などと思い巡らせつつランチの食卓へ挑む。
まずはドラムスティックのスープを飲み、さて、メインが運ばれて来た。
薄く薄くスライスされたパパイヤが、薄く薄くスライスされたバナナによって、サンドイッチにされているではないか!!!
予想を裏切る斬新なセンスに、最早、笑いが込み上げてくる。
おっと、これは一昨日と同じ野菜と豆のカツレツか? と思いきや、
「バナナのカツレツです」と、給仕のお兄さん。
どうやら今日は、バナナが主役のようである。果物、野菜、バナナと続くこの順番には、何か深い意味があるのだろうか。
あるに違いない。
ドクターに尋ねてみたい気もするが「特に意味はない」と言われたら、少なからず衝撃を受けそうなので、今は聞かない。
味はといえば、野菜と豆のカツレツの方が断然おいしい。
エッジの効いたキュウリのスライスに励まされつつ、噛み締める不思議な味。
誰からも羨ましがられる可能性のない、年の瀬の、我が食事。
ちなみに、我がボディ。今のところ、ほとんど絞られた気配がない。どこまでも、ミディアム・デブを維持したいようだ。
せめてこの食生活が、体内浄化には役立っていることを心の寄る辺に、明日も頑張ろう。