✈︎オンラインニュースにて。「インド南部に直行便」の文字が、目に飛び込んできた朝。
✈︎「南インド」の文字を見た瞬間、ついにバンガロールにも! と思ったが、「全日空、今秋チェンナイ線 ビジネス需要拡大に対応」と続いていた。
✈︎いくらバンガロールとチェンナイが近いとはいえ、一旦、国内線に乗ってチェンナイへ飛び、国際線に乗り換えて成田へ行く……というルートを選ぶことは、個人的にはない。それをやるなら、すでにムンバイ経由で利用していた。
✈︎2007年に「ムンバイ=成田」の全日空便が「再就航」した。就航当初は、全席ビジネスのビジネスジェットだった。我々夫婦は、2008年から2年間、ムンバイとバンガロールの二都市生活をしていたので、その間、一時帰国時はムンバイから出発していた。直航便の便利さに、日本とインドの精神的距離感さえ縮んだ気がしたものだ。
✈︎忘れもしない2008年11月26日。ムンバイで同時多発テロが発生、日本人ビジネスマンを含む、多くの外国人も命を落とした。そのとき一時帰国中だったわたしは、テロの約1週間後にムンバイへ戻った。そのフライトには、わたしを含め、3人しか乗客がいなかった。インド人男性と、日本人男性。フライトアテンダントの人数の方が多く、申し訳ないほどの贅沢なフライトだった。
✈︎日本人男性は、ムンバイの関連会社にて、どうしても外せないボードミーティングがあるので赴いているが、「日帰りで日本へ戻る」と言っていた。日帰り!……諸々、印象に残るフライトだった。
✈︎先日、デリーへ出張し、特にグルガオンあたりで過ごしたときには、ことさらに、日本が近く感じられた。日印が直行便で結ばれているというだけで、同じインドながら、「通気性がいい」気がする。実際のところ、空気はとても悪いのだが。
✈︎翻ってバンガロール。爽やかな高原の風が吹くこの土地は、実際のところの通気性はいいものの、日本へのフライトは極めて不便。特にわたしのような、福岡入り、成田発という旅が多い者にとっては、シンガポールや香港、タイを経由した方が、乗り換え1回、荷物の預け入れも1回ですむから便利だ。とはいえ、乗り継ぎの時間などに不便なものが多く、この十数年、ちっとも近くなった気がしない。
✈︎航空会社も当然意識していると思うが、「経由地としての成田」を考え、日本人だけでなく、インド人の潜在的利用者が多数であるということを念頭に入れて、バンガロールへもぜひ直行便を飛ばしてほしい。バンガロールと米国西海岸、カリフォルニア州(サンフランシスコ、ベイエリアなど)を往来するインド人が、どれほど多いか!
✈︎バンガロールから西海岸へ飛ぶには、シンガポール航空など一部を除いてほとんどが西周り、欧州の空を経由している。乗り継ぎを含め、20時間以上は軽くかかる。
✈︎バンガロールから成田まで、多分8時間ほど。乗り継ぎを含めても、西周りと同程度かそれ以下のフライト時間で、西海岸まで飛べるはずだ。そうなれば、経由地日本で観光しつつ、西海岸へ飛ぶ人がぐっと増えるに違いない。日本観光誘致にも、もってこいではないか。
✈︎……などということは、ムンバイ=成田便が就航した10年以上前から思っていて、「バンガロールから直行便が就航するかも」との噂を聞くたび、同様のことを書いたり話したりしてきたのだが、いっこうに実現しない哀しみ。このチェンナイの就航により、さらに先送りされる可能性が高くなった気がする。
✈︎港町チェンナイ(旧マドラス)の日本との交流はバンガロールとのそれよりも遥かに古い。日本領事館の歴史も古い。約10年前ごろからは「インドのデトロイト」と形容され、自動車産業の急伸が見込まれた。そのチェンナイに直行便が飛ぶのは、驚くべきことではない。ただ、デリー、ムンバイ、チェンナイに次いで、バンガロールへもぜひ飛ばしてほしいと願う。
✈︎そういえば、2012年1月にチェンナイを訪れた枝野経済産業相が、「日本人街5万人計画」を打ち立てるべく、地元政府と合意していたはずだったが、あの乱暴な計画はどうなったのだろう……。
🇯🇵南天竺デカン高原の只中より。故国日本は、遠きにありて思うもの……。