✏️昨年秋の一時帰国の際、下関にある母校、梅光学院大学の、「国際関係論」の授業において、約100名の学生の前で話をする機会を得た。これまでバンガロールや日本で、学生向けに何度も実施して来たセミナーと、大まかには同じような内容だ。しかし「母校の学生」ということで、大学時代の話しに厚みを持たせ、親近感を持ってもらいつつ、外への広がりを語った。
✏️わたしをゲストスピーカーとして招いてくださった高橋先生が、講演の直後、学生たちの感想を送ってくださった。それを読んだだけで、下関に行ってよかったと実感した。若者向けのセミナーは「地道な種蒔き」だと自覚している。たとえ小人数でも、誰かの心の中で発芽し、花が開けば、甲斐がある。とはいえ、普段、自分が語った言葉の、何が誰の心に残ったのか、ということを知る機会はあまりない。しかし、今回は違った。
✏️今朝、高橋先生からメッセージが届いた。昨日実施された国際関係論の期末試験にて、今期、特に印象的だった授業について設問したところ、わたしの講演を印象的だったと回答した学生が多かったとのこと。17名もの学生の感想を送っていただき、切にうれしい朝だった。学生たちが、どういうことに迷い悩み、反応したかということが、文章から滲み出てくるようで、わたし自身、今後の指針にもなった。
✏️学生の言葉を通して、「ハイ・コンテクスト」と「ロー・コンテクスト」というコミュニケーションの概念があることを知った。
✏️異文化コミュニケーションの学習領域においては、知っておくべき基本的な概念のひとつのようである。わたしをして「ローコンテクストの人」と学生が記していた。ネットで調べてみるに、その通りである。まさにわたしが日常から意識しているコミュニケーションの有り様だ。
✏️付け焼き刃の知識で説明するならば、「ハイコンテクスト」とは、「阿吽の呼吸」とか、「忖度」とか、「推して知るべし」とか、「KY」といった、文化や価値観、理論、嗜好性などにおいて、「共有性が高い文化」のことを指す。伝統的な日本人同士のコミュニケーションの有り様だともいえる。
✏️一方、ローコンテクストとは、異文化、異宗教、異人種、異国籍……と、異なる環境に生まれ育ち、価値観の異なる者同士、すなわち「共有性が低い文化」を持つ者同士がコミュニケーションを図る際に重視される能力、とでも言えそうだ。久しく海外に暮らし、国際結婚をしているわたしにとり、そのコミュニケーション能力は、無意識のうちに身についた生命線でもある。
✏️この概念によって、今まで曖昧に説明してきた領域が明確になることも学べて、とても面白く感じた。わたし自身が「国際関係論」の授業を受けたいくらいだ。これはまた、海外に暮らし働く人は、学ぶべき分野であるとも実感する。理論的にコミュニケーション方法を学ぶことで、仕事の効率も上がるに違いない。
✏️何はともあれ、具体的な反応を得られるということは、本当にありがたい。やる気が出る。高橋先生、ありがとうございました。
*写真の記事は、講演のあと取材を受け、昨年末発行された学院報「HIKARI」に掲載された記事だ。