夕べは何度か目が覚めたものの、朝は気分よく目覚めた。今日もまた曇天だが、雨が降らなければ問題ない。思ったよりも寒くないのが本当にありがたい。
昨日のランチがとてもおいしかったので、朝食もホテルのダイニングで。野菜も、チーズも、噛めば噛むほど、滋味あるおいしさが滲みだす。マッシュルームのおいしさにおかわりをしつつ、29年前の取材旅行でオランダを訪れた際、マッシュルームのフライを食べてそのおいしさに感動し、以来、折に触れて料理していることを思い出した。インドに帰ったら、久しぶりにまた作ろう。
古のドライヴ取材時、オランダ人画家であるモンドリアンの故郷を訪れた。彼の抽象画を思わせる服を、今日は選んで着た。昨年の日本一人旅の際、倉敷のブティックで購入したもの。目に留まった瞬間、モンドリアンのモチーフが思い出され、気に入ったのだ。一般には、赤、青、黄のコンポジションが有名だが、こういう色合いの作品もある。イヴ・サンローランが影響を受け、1965年(わたしの生年)に発表したコレクション。最近では回顧展も開かれた模様だ。今日の午後に訪れたアムステルダム国立美術館では、そのコレクションのワンピースも展示されている。
30年以上も、旅をする人生を続けていると、経験が重なり重なって、何を見ても何かを思い出す。気持ちが満たされたり、乱されたり、懐かしかったり、遣る瀬なかったりで、感情の動きが激しい。一人旅はなおのこと、自分に向き合うばかりの時間だから、足早に歩きながらも、物思いは深まる。
★午前中は軽く市場へ出かけることにした。ホテルを出て、運河沿いの石畳の道を歩いていたら、ふと、足下に目がとまった。刹那、昨年訪れたプラハを思い出す。市内の建築物を巡るツアーに参加した際、学者肌のガイド氏とユダヤ人街を訪れたときに、彼が説明してくれたものと似ていたからだ。
★おもむろにしゃがみ込んで、眺める。アウシュヴィッツ(AUSCHWITZ)、の文字。やはり……。かつてここに住んでいたユダヤ人家族の証が、彼らの名前と生年没年、そして送られた強制収容所とともに、刻まれている。子供たちの名前もある。欧州には、無数の、アンネ・フランクが、いた。
★今回は、アンネ・フランクの家を訪れる予定もなく、特にアウシュヴィッツを意識していたわけではなかった。しかし第二次世界大戦時、ナチスドイツの影響下にあった国々を訪れたなら、その片鱗を感じずにはいられない。今回の旅の前、発作的に手に取って鞄に詰め込んだ1冊の書籍は、未読のこの本、『アウシュヴィッツの図書係』。まだ最初の数十ページしか読んでいないのだが。
★大学時代に読んだフランクルの『夜と霧』。それまでは、歴史の教科書で学ぶばかりだったナチスドイツ、ホロコーストの実態を、読んで初めて、理解した。強制収容所における人間の有り様、そして人間の本性のようなものを突きつけるリアルな実話は、あまりに衝撃的だった。それからも、ホロコーストに関する書籍や映画に触れ合い、強い影響を受けている。
★『ライフ・イズ・ビューティフル』は、ミューズ・リンクスでの若者向けセミナーで語るところのテーマの一つ「裸一貫の自分を思え」の、源泉だ。強制収容所に送られるユダヤ人は、まさに文字通り、一旦「裸一貫」にされ、囚人服を着せられる。富も名誉も、なにもない。ただ、裸一貫の自分になったとき、自分はどう、生きられるのか。自分を装飾し、修飾するものが一切ない「素」になったときに、わたしは何をできるのか。あの映画の主人公は、息子に「嘘」をつくことで希望を与え、自分が死してなお、息子を守り抜くことができた。とても難しいことだが、そんなことができる人間でありたいと、希望する。
★一方、残忍な側面を秘めているのも人間。ワシントンD.C.に住んでいた2003年、ニューヨーク在住時に出会った、今は亡き敬愛する友、ジャーナリストの小畑澄子さんと二人で、ホロコースト・ミュージアムを訪れた。彼女は、末期がんを宣告されてなお、抗がん剤治療を受け、調子がよかったときにニューヨークから遊びに来てくれたのだ。彼女の夫がユダヤ系米国人だったこともあり、ずっと来たかったのだという。わたしは彼女に誘われなければ、行くことはなかった。
★書籍や映画では感じ得ない、あまりにも現実的な残虐と悲劇が、そこには満ちあふれていた。そこに、どんな希望を見いだせるだろうというほどの。人類の歴史とは、戦争の繰り返し。殺戮の連続。破壊と創造の繰り返しだ。救いとなるはずの宗教ですら、人間はその教義や真理を歪曲して解釈し、悲劇を起こす。理想郷などありはしない。そんな世の中で、そんな人間のひとりとして、自分はどう生きたいのか、を、考えなければならない。
★その翌年、わたしと同じ38歳だった小畑さんは、この世を去った。きっと遠くない死を予感していたであろう彼女は、いったいどういう気持ちで、あのホロコースト・ミュージアムで過ごしたのだろう。わたしの前ではいつも明るく、楽観的な口調でいてくれた彼女の本心を、知る術もない。
アルバート・カイプマーケットを歩く。本当は、もっと生活感のある市場を訪れてみたかった。たとえば、バルセロナ市内には数多くあるメルカートのような。ホテルのスタッフに尋ねたり、ネットで調べたりしても、これというところが見つからず、あまり時間に余裕もないので、徒歩圏内にあるこのマーケットへ。
観光地を巡るよりもむしろ、生活感の漂う場所を訪れる方が、興味深いこともある。ここは少し、ツーリスト向け過ぎる場所だったようだ。しかしそんな中にも、アンティークショップや雑貨店、キッチン用品店などが目に留まり、気がつけば長い時間、過ごしていたのだった。
そのままアムステルダム国立美術館まで足を延ばす途中だったが、コンタクトレンズが目に疲労感を与える。メガネに変えるため一旦ホテルに戻ったのは時間のロスだったが仕方ない。
本来であれば、ゆっくり3、4時間過ごしたいミュージアム。しかし旅の本番はこれからだから、疲れてはいけないと3時間を見込んでいたのが結局2時間。足早ながらも、しかしすばらしい作品を鑑賞できた。
昨今では、世界の至るところで、有名なミュージアムは旅行者の渦だ。もちろん自分もその一人なのだが。この件に関しては、過去、欧州の各地で、閑散としたミュージアムですばらしい作品を目撃できたことを、幸運に思う。
ミュージアムの記録は尽きない。さて、どれほどの言葉と写真を残しておくべきか……。
🍏前回の訪問時は前を通過しただけだったアムステルダム国立美術館。しかし、アムステルダムを起点にした当時のドライヴ旅は、約1週間かけてオランダを一周した。
🍏わたしにとって初めての欧州は、23歳のときにガイドブック取材で訪れたスペイン。オランダは2カ国目だった。そして、わたしが初めて欧州のミュージアムに足を踏み入れた国でもあった。
🍏デン・ハーグ、マーストリヒトなどで、大小のミュージアムを訪れた。イタリアのルネッサンスにも影響を与えたとされる北方ルネッサンス、フランドル絵画の魅力に引き込まれた。一方で、前述のモンドリアンに見る抽象画萌芽期の作品にも好奇心を刺激された。
🍏国境を越えて隣国ベルギーに入ってからはよりいっそう、アートに浸った。ブリューゲルの『バベルの塔』、『快楽の園』などで知られるヒエロニムス・ボス(ボッシュ)の作品は、見れば見るほど面白い。
🍏ベルギーでは、シュルレアリスト(写実主義)のポール・デルヴォーの作品に心を奪われた。夜の鉄道駅、女性がまとう白いレースの服……。ルネ・マグリットもまた、ベルギー出身の画家である。その後、イタリアのキリコの作品にも関心を抱くようになるのだが、すべては幼少期、自宅にあった西洋絵画全集で関心を持ったサルヴァドール・ダリの作品や、写実的な静物画に、関心の端緒が在ったように思う。
🍏米国へ渡ったあと、出会ったばかりの夫と、やはりベルギーをドライヴで1周旅したことがある。ゲントやアントワープのミュージアムで見たすばらしい名作の数々は、今でも忘れ難い。特にアントワープでは、ルーベンスの何枚もの大作(連作)を、しかし体育館ほどもありそうな広大なギャラリーには、わたしたち夫婦とほかに旅行者は1人しかいない時間帯があって、ほぼ貸し切り状態で見られたことを、夢のように思い出す。もう、あんな経験はできないだろう。
🍏わたしと西洋絵画の経緯については、2016年にバルセロナからダリの故郷であるフィゲラスを旅した際の記録に詳細を残しているので、ここでは割愛する。
🍏ともあれ、公私に亘って旅を欧米を旅するたび、アートに出合ってきた。専門家ではなくとも、何枚も何枚も眺めていると、自ずと、見えて来るものがある。これもまた、歳を重ねて旅する醍醐味であると思う。本も映画も、そして絵画も、それを眺めている自分の年齢や経験値、心境によって、見え方が変わるものだ。そこに自分の変容や成長も見られて楽しい。
🍎さて、17世紀のオランダ絵画を中心に収蔵されているアムステルダム国立美術館。ナポレオン1世との関わりや逸話も興味深い。有名な所蔵品にはレンブラントの自画像をはじめ、『夜警』 『イサクとリベカ、別名ユダヤの花嫁』『アムステルダムの布地ギルドの見本監察官たち』などがある。今回は特別展も開催されており、閉館間際に名作を目にすることができた。『夜警』 のスケールの大きさに感嘆する。そして館内のレイアウト、展示が極めて効果的な塩梅で、見る者の関心をうまく引きつけていることを感じる。『夜警』 に群がる来訪者が、まるで絵画の一部にさえなってるかのように見える。
🍎また、日本でもよく知られるところのフェルメールによる『牛乳を注ぐ女』『手紙を読む青衣の女』などは、一方、小さな作品ながら、その作品のまとうオーラが凄まじい。時間が少なく、足早に館内を巡っていたのだが、絵が、見て行きなさいと呼んでいるかのように、力を放っているのだ。このミュージアムでは、そのような作品を何枚も目にした。
🍎絵画を鑑賞するに際しては、
「①興味・関心→ ②観察・鑑賞→ ③印象・感想 → ④検索・検証 →⑤理解・所感」
といった、大ざっぱな流れを踏んでいるように思う。昔は③でとどまっていたが、インターネットの台頭以降、④が容易く実現できるようになり、⑤へと深化することで、絵画の背景を知り、親近感を深めることができるようになった。便利な世の中である。
……というわけで、綴り始めると尽きないのが困りもの。取りあえず、備忘録として残しておきたい写真を、アップロードしようと思う。
破壊と創造を思いながら歩いていた矢先、破壊と創造のシヴァ神が登場。
ポツンとゴッホの自画像。ゴッホ・ミュージアムは目と鼻の先なのだが、1日に2カ所のミュージアム巡りは集中力が続かない。
ロブスターのある静物画などを見ていたら、3年前、フィゲラスのダリ・ミュージアムで見た作品を思い出した。当時のブログを遡ってみて、発見。やはり。
上の3枚が、ダリの作品。このミュージアムにあるわけではないので、念のため。ダリはオランダの写実的な静物画にも強い影響を受けている。無論、彼は静物を動かしているのだが。
ダリは特に、フェルメールを敬愛していた。先の『牛乳を注ぐ女』や、『真珠の首飾りの少女』で知られるオランダの巨匠、ヨハネス・フェルメール。ダリは、「アトリエで仕事をするフェルメールを10分でも観察できるなら、この右腕を切り落としてもいい」とさえ言ったという。
わたしがオランダの絵画にひかれるのは、ダリの世界観の源泉をも、そこにも見るからかもしれない。ちなみにダリの、ロブスターがある、独特なウイットに富んだ作品のタイトルは、「落ちるときには、落ちる」。おもしろい。
つい1週間足らず前、ミューズ・クリエイションの宗教勉強会で、キリスト教にまつわる話しをしていた際、欧州の芸術や文化、建築物などは、キリスト教の影響が多大であり、キリスト教の物語を知っているのと知らないのとでは、美術品の理解が異なるというようなことを、僭越ながら伝えた。実際、何が描かれているのかがわかると、絵を見る楽しみはぐっと増す。
勉強会で出て来た主題に沿った絵も見かけたので、何枚か撮影しておいた。勉強会参加者は、以下、ぜひご覧いただきたい。
楽園を追放される直前のアダムとイヴの間でおびえながら抱き合う猿と猫のストーリーは知らないが、あまりにもかわいかったので拡大。
とてもシンプルに描かれた『受胎告知』の情景。白百合を持つ天使ガブリエルが、読書する処女マリアに、キリストを懐妊したことを告げている。
「幼児虐殺」を描いたもの。幼児虐殺とは、新しい王(イエス・キリスト)がベツレヘムに生まれたと聞いたユダヤの支配者ヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を悉く殺害させたとされる出来事。子どもを守ろうとする母親たちの姿が痛々しい。
魂釣り……(?) 奇妙な情景が目に留まったのでしみじみ眺めたところ、これは北部オランダのプロテスタントと、南部オランダのカソリックとの争いが象徴的に描かれているようだ。プロテスタントの「漁船」の方が多くの魂を救っており、陽光が降り注ぎ、果実が実っている。面白いコンセプトだ。
わたしが訪れた土地で最も心に刻まれている場所のひとつが北イタリアのアッシジ。アッシジといえば、聖フランシスコ。アッシジを語ると尽きないので割愛するが、これは聖フランシスコが、まるで天からのビームを受け止めるがごとく、聖痕を受けているところ。ちなみに聖フランシスコは、鳥たちとも話しができたという噂。アッシジも、必ず再訪したい場所だ。
キリスト教の守護聖人であり殉教者でもある聖セバスチャン。なにしろ、全身を矢で打ち抜かれている痛々しさ。この彫刻はまだマイルドな方。聖セバスチャンといえば、三島由紀夫だが、話しが長くなるのでこのへんにしておく。
ナポレオンにも大いにゆかりのあるこのミュージアム。ワーテルローの戦いを描いた作品。
ワーテルローの戦いとは、1815年、ベルギーのワーテルロー近郊において、イギリス、オランダをはじめとする連合軍およびプロイセン軍と、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍との間で行われた一連の戦闘を指す名称のこと。
閉館間際の、閑散としたミュージアムは最高だ。足早にフロアを歩きつつも、呼び止めてくれる作品に近づき、残る時間をぎりぎりまで過ごす。
すっかり満たされた気分で外に出れば、紅潮した頰に寒風が心地よい。昨年、あまりの寒さに耐えかね、ドレスデンで購入したGeoxのダウンジャケットが大活躍だ。
ランチは軽めだったので、夜はきちんと食べようと、ホテルのオリジナルマップが勧めるヘルシーなレストランへ。人気店らしく予約がないと入れないところ、1時間だけならとテーブルを取ってくれた。
野菜のグリルが添えられた牛肉。ほどよくミディアムレアで、おいしい! ロゼのワインも上品な味わい。幸せだ。料理のヴォリュームがほどよく、デザートが入る余裕もある。リンゴとベリーのクランブルを頼んだ。焼きたてが殊更においしい。
夜の街を鼻歌混じりに歩く。昼間は見えなかった光景が浮かび上がり麗しい。無口なひとり旅はまた、自分に向き合える大切な時間。たとえわずか数日だったとしても。