昨日は、インド国憲法の草案者であるアンベードカルに因む書物を読もうと、日本のアマゾンから取り寄せたまま、未読だった2冊を書棚から取り出す。一冊は『夜明けへの道』という児童書。1993年に初版発行されたもので、アンベードカルの生涯、そして彼の遺志を引き継ぐように、ナーグプルで活動する佐々井秀嶺上人の姿が描かれている。児童書ゆえ、表現はわかりやすいが、内容はかなり難解。インドの事情を知らない子ども、いや大人にとっても、結構な読解力が要される一冊ではある。
ところで、先日、エコロジカルな手漉き紙を手がけるブランドBluecat Paperの工場を訪れたときに購入したノート。何を書こうか思案していたのだが、読書記録ノートとして使うことにした。読書量が激減している昨今だが、心に刻まれる書籍には、忘れたくない記述が溢れている。それらをメモしたり、自分のコメントを記したりするのに、このノートはとてもいい。
2冊目は、5月に発行されたばかりの『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』。同著にて、佐々井上人ご本人が言及されている通り、この本は、山際素男著の『破天』に続く、佐々井さんの過去から「現在」に至るまでの姿をリアルに、臨場感を以って伝える一冊だと思う。わたしが佐々井上人にお会いすべくナーグプルを訪れたのは昨年4月下旬。著者はその1カ月前の3月に、佐々井さんと共に半月をお過ごしになり、この一冊にまとめられたようだ。
インドの近代史を語るとき、アンベードカルの存在は、ガンディと並んで語られるべき重要度の高さだ。にもかかわらず、アンベードカルは、あまりにも、世界に知られていない。アンベードカル亡き後のインドで、奇縁によってナーグプルを訪れた佐々井上人。アンベードカルが蒔いた種を発芽させ、育て、また改めて種を蒔く……。
山際素男著の『破天』と併せてこの本を読むと、より理解が深まるかと思う。さらに言えば、『アンベードカルの生涯』を読むと、それに続く佐々井上人の偉大さがより理解できる。
もっと言えば、アンベードカルの視点から見るガンディは、あまり好人物ではない。この『佐々井秀嶺、インドに笑う』も、敢えて残念な点を挙げるならば、ガンディの描かれ方が雑な点だ。カースト制度やダリット(不可触民)への処遇に関し、ガンディとアンベードカルは、敵対した。その経緯を知れば、多くの人がアンベードカルの言い分を支持するだろう。
しかし諍いの事実はあれど、ガンディが偉大なる人物であったのも事実だ。あの「半裸」なスタイルにも、インドが独立するに際しての重大な理由がある。印パ分離独立後、アンベードカルを法務大臣にし、憲法の草案を作成させるよう、ネルー首相に提言したのは、ほかでもない、ガンディだ。
事実は、さまざまな側面から眺めなければと、関連書籍を読めば読むほど、その思いを強くする。
昨年、KRSMAのワイナリー訪問をすべくハンピを訪れた際、旅の友だった繁田女史に『破天』を勧められて読んだのを契機に、佐々井上人とのご縁が始まった。そんなことを思いながら、グラス片手に読む至福。文中、佐々井上人曰く、1960年代のヒッピーの愛読書が、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』であり、「来るヒッピー、来るヒッピーが皆、同じ青い表紙の文庫本を手にしている」という記述を読んで、苦笑した。
1996年7月。ニューヨークで夫と出会った直後、彼と初めて夕食をともにしたあと、別れ際に彼がわたしに勧めた本が、『シッダールタ』だったのだ。当時のノートを開くと、彼が書いてくれたメモが残っている。英語版を読む根性がなく、翌日、ロックフェラーセンターの紀伊國屋書店で購入し、帰路、シェラトンホテルのカフェで一気に読んだことを、つい先日のことのように思い出す。
いろいろと繋がっている。
わたしをインドに導いてくれた夫との出会いをありがたく思いつつ、夕食後、夫が「アップルクランブルが食べたい」というので、作る。リンゴをバターと砂糖で炒め、レモン汁とシナモンなどをまぶし、その上に、小麦粉、バター、砂糖をざざっと混ぜ合わせたものを振りかけて、オーヴントースターで焼くだけ。NATURALのミルクアイスクリームを添えて食べれば幸せ。連休を締めくくる、平和な夜。
1947年8月15日のインド・パキスタン分離独立以来、70年以上に亘って続いているカシミール問題。独立後、インド憲法370条によって、ジャンムー・カシミール州は、その自治権が守られていたのだが、先日8月8日、モディ首相は同州の自治権を剥奪すると発表。同州では、8月4日の夜から通信手段の遮断や外出禁止が続いている。
かつてわたしをカシミール手工芸の旅に誘ってくれた友人デヴィカによると、未だに彼の地の友人たちと連絡が取れず、皆の安全を祈るしかないという。彼女が支援する遊牧民(シェパード)の女性グループの一人が臨月で、先週が出産予定日だったが、今なお、安否もわからないという。普段から、医療施設が不完全な渓谷の山あいに暮らす彼女たち。外出禁止令が出ている中、みな元気でいるのか。事情が分からず、やきもきするばかりだ。
諍いは、延々と、形を変えながら続いている。