インドにて、久しく争われてきた「アヨーディヤー問題」を巡り、明日10時30分、最高裁からの判決が下されるとのニュースが、先ほど流れてきた。
北インド、ウッタル・プラデーシュ州のアヨーディヤー。ヒンドゥー教徒とイスラム教徒、それぞれが聖地を主張してきた場所。そもそもは仏教の聖地だったとの説もある。簡単には綴れない、歴史の渦。
1992年、ヒンドゥー教徒がアヨーディヤのモスクを破壊したことで両者の関係は劇的に悪化。全国各地で暴動が起こり、多くの血が流れた。10年前にヒットしたムンバイが舞台の映画『スラムドッグ・ミリオネア』の冒頭の暴動シーンは、そのときの模様を描いている。
モディ首相は、国民に、平静を呼びかけているが、判決の内容次第では、暴動などの発生が懸念される。
ここ南インドのカルナータカ州でも、明日は公共機関や学校はクローズされるようだ。できるだけ、外出を控えた方がいいかもしれない。大きなトラブルが発生しないことを祈る!
現在、アヨーディヤーの件に関し、最高裁からの諸々の判決文が公表されているらしく、各メディアはそれぞれに、解説を含む番組を展開している。
歴史的背景も、政治的背景も、遠く近く、深く浅く複雑で、知れば知るほど、わからなくなる、多様性の国、インド。
昨年、アンベードカルゆかりの地、そして佐々井秀嶺上人が身を賭して生活されているナーグプルを訪れ、佐々井上人が発掘されたナーガルジュナ(龍樹)ゆかりのマンセル遺跡を目の当たりにしたときに、宗教間の歴史の渦の中に立った気がした。
仏教の聖地の上に、ヒンドゥ教の聖地を重ねてくる。
ヒンドゥ教の聖地の上に、イスラム教の聖地を重ねてくる。
聖地とは、宗教の相違を超えて、人間を惹きつける力があるのか。あるいは、異教への冒涜、征服の証なのか。
イベリア半島のレコンキスタ(国土回復運動)もまた、似たような匂いだ。南スペイン、アンダルシアのコルドバ。ここにメスキータと呼ばれる麗しきモスクがある。しかしこのモスクは「聖マリア大聖堂」とも呼ばれる。
キリスト教徒がアンダルシアを奪還したあと、モスクの中に、大聖堂や礼拝所を設けたのだ。メスキータはイスラム教とキリスト教が同居する、極めて稀有な建築物として在る。
アヨーディヤー。
異教徒共存の、協調と平和の証となるような場になることを切に祈る。
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これまで、ざっとしか知らなかったので、少し掘り下げて調べてみた。事実誤認があるかもしれないが、備忘録を兼ねて、ここにシェアしたい。
【アヨーディヤーとは】
《ヒンドゥー教にとって》
○インド北部、ウッタル・プラデーシュ州東部の町で、ヒンドゥー教の7聖地のうちのひとつ。
○ヒンドゥー教では、ラーマ王子誕生の地として『ラーマーヤナ』(インド二大叙事詩のひとつ)に記されている。
《イスラム教にとって》
○13世紀、イスラム勢力の支配下となり、16世紀にはムガル帝国に。
○1528年、ムガル帝国の始祖バーブルによってラーマ寺院は破壊されたとされ、跡地に「バーブリ・マスジット」と呼ばれるモスクが建設された。
[Buddhist claims]
The Buddhists have also claimed the Ayodhya site. According to Udit Raj's Buddha Education Foundation, the structure excavated by ASI in 2003 was a Buddhist stupa destroyed during and after the Muslim invasion of India. Besides the 2003 ASI report, Raj has also based his claim on the 1870 report of the British archaeologist Patrick Carnegie. According to Carnegie, the Kasauti pillars at the Ayodhya site strongly resemble the ones at Buddhist viharas in Sarnath and Varanasi. (Wikipedia)
《仏教にとって》
調べていたところ、上記の通り、仏教徒にとってもアヨーディヤーは重要な地であったことが確認できた。
○紀元前6世紀、ガンジス川中流域に栄えた王国、コーサラ国の初期の首都。最盛期の国王は仏教徒だった。
○ブッダ (釈迦) が滞在したSaketaもしくはSaketと呼ばれる仏教の聖地は、アヨーディヤーの古い地名だとも言われる。
【アヨーディヤー判決の背景】
○1949年、英国統治からの印パ分離独立の2年後、ヒンドゥー教徒が「バーブリ・マスジット」内にラーマ神像を安置するも、両宗教の衝突を懸念した政府が閉鎖。
○アヨーディヤーはヒンドゥー教、イスラム教の両宗教にとって重要な聖地であるとの認識が一般化。
○1980年代、現政権でもあるBJP(インド人民党)を中心としたヒンドゥー教徒によるモスク開放要求が盛んになる。
○1992年、全国から集った約 20万人のヒンドゥー教徒が「バーブリ・マスジット」を破壊。主導者はBJPの政治家だったとされる。この破壊行為を受けて、全国にヒンドゥー教徒とイスラム教徒の衝突が発生。数日間で 1100人以上の死者を出す宗教暴動に発展。当時の様子は、映画『ボンベイ』(1995)や『スラムドッグ・ミリオネア』(2008)などでも描かれている。
○2002年2月、民族義勇団と世界ヒンドゥー協会が、アヨーディヤーにヒンドゥー寺院の建設を認めるよう、当時のBJP政権に迫る。ヒンドゥー至上主義を掲げるBJPは、民族義勇団と近い政党だが、連立政権の他党の反発を恐れ建設を許可しなかった。
○2002年3月、裁判所は、「バーブリ・マスジット跡地での宗教活動の禁止」を命じた。これを受けて、決起集会に参加したグジャラート州の世界ヒンドゥー協会のメンバーが乗った列車が、イスラム教の暴徒に放火され58人が死亡。事件の翌日からグジャラート州内で暴動が多発し、死者は合計で800人を超えた。
○今回の最高裁判所による判決は、1992年以来27年に亘って続いてきたヒンドゥー教徒とムスリム教徒との戦いに決着をつけるものである。
【本日。アヨーディヤー判決の内容】
◎2019年11月9日の午前10時30分に最高裁からの判決が下されるとのニュースが、12時間前の昨夜、公表された。上記の流れから、判決の内容によっては、暴動などが起こる可能性があることから、各地で厳戒態勢が敷かれている。
◎判決の内容は、事態の勝敗を問わない、両宗教の立場を慮った内容になっているとの認識のようだ。
◎11月9日午後4時30分現在、暴動などを知らせるニュースは特にない模様。ここバンガロールでは、公共機関や学校が閉鎖され、多くのポリスが市街に配備されるなど厳戒態勢が取られているようだが、坂田マルハン家界隈は、普段と変わらぬ、平穏な土曜日。隣の工事現場からは槌音が、彼方のモスクからは、コーランの旋律が響いている。
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そして判決の内容。なにかしら、うやむやな点が否めず。英文を下記に掲載しているので、関心のある方は読んでください。と逃げたいところだが、要点をピックアップしてみる。
最高裁は、両宗教がそれぞれに、アヨーディヤーを聖地であると主張する人たちの意見を尊重しつつも……
◎紛争の中心エリアである「バーブリ・マスジット跡地」2.77エーカーには、ヒンドゥー教のラーマ神を祀る寺院にすることを許可。
◎ウッタル・プラデーシュ州に対し、界隈エリアから5エーカーの土地を重要なモスク建立のためにイスラム教徒に提供することを指示。
◎1992年のヒンドゥー教徒による「バーブリ・マスジット(モスク)破壊」は違法行為であったと定義。
といったところか。
双方、納得のいかない点もあるかもしれんが、もうね。
仲良くしてください。
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1. Supreme Court has granted the entire 2.77 acre of disputed land in Ayodhya to deity Ram Lalla.
2. Supreme Court has directed the Centre and Uttar Pradesh government to allot an alternative 5 acre land to the Muslims at a prominent place to build a mosque.
3. The court has asked Centre to consider granting some kind of representation to Nirmohi Akhara in setting up of trust. Nirmohi Akhara was the third party in the Ayodhya dispute.
4. The Supreme Court dismissed the plea of Nirmohi Akhara, which was seeking control of the entire disputed land, saying they are the custodian of the land.
5. Supreme Court has directed the Union government to set up a trust in 3 months for the construction of the Ram mandir at the disputed site where Babri Masjid was demolished in 1992.
6. The Supreme Court said the underlying structure below the disputed site at Ayodhya was not an Islamic structure, but the ASI has not established whether a temple was demolished to build a mosque.
7. The court also said that the Hindus consider the disputed site as the birthplace of Lord Ram while the Muslims also say the same about the Babri Masjid site.
8. The court also said that the faith of the Hindus that Lord Ram was born at the disputed site where the Babri Masjid once stood cannot be disputed.
9. The Supreme Court also said that the 1992 demolition of the 16th century Babri Masjid mosque was a violation of law.
10. While reading out its judgment, the Supreme Court said that the UP Sunni Central Waqf Board has failed to establish its case in Ayodhya dispute case and Hindus have established their case that they were in possession of outer courtyard of the disputed site.