ベルリンの壁が崩壊してから30周年を迎えた今日。そのことに関してを反芻し、諸々記しておこうと思っていたのだが、アヨーディヤーの件を調べて綴るに終わってしまった。
連なる歴史について、綴りたかったが、すでに夕刻、ビールを飲んでしまい、半ば酩酊状態の午後8時過ぎ。しかし、このままでは不完全燃焼につき、メモだけでも記しておこう。
○1945年2月、クリミア半島のヤルタで行われた首脳会談を端緒に始まった米ソの冷戦構造。
○1980年代後半の、ソビエト連邦ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(再改革)。政治体制の改革運動。自由主義(資本主義)の導入。
○共産主義に限界を感じていたゴルバチョフ。しかし1980年代後半、高度経済成長の果てにバブル経済に突入していた日本を訪れ、「世界で唯一、共産主義が成功した国は日本だ」といった主旨の言葉を残す。
○1989年11月、東ドイツの中にあったベルリン(一都市の中に、東西ドイツが存在していた)の、東西を隔てていた壁が取り壊される。
○1989年12月、ベルリンの壁が崩壊した翌月、マルタ会談が開催され、ソ連のゴルバチョフ書記長と、米国のブッシュ(父)大統領の首脳会談と通して米ソ冷戦が終結。この会談が開催されたマルタ島に、坂田は今年3月訪れたことで、マルタ会談の詳細を知った。
○1990年3月、東西ドイツ統一。
○1990年11月。坂田は1988年の新卒時から勤めていた旅行ガイドブックを製作するプロダクションを辞め、昭和シェル石油のドライヴ情報誌を作る小さな広告代理店に転職していた。25歳の若さながらも、編集を任され、1年分の海外ドライヴ取材の企画を任された。ネットのない時代。新聞やテレビの情報、地図をもとに海外ドライヴ取材の目的地を決める。その筆頭に選んだのが、東西統合直後のドイツだった。
○1991年1月。湾岸戦争勃発。海外渡航自粛令が出ているなか、坂田は、外部のフォトグラファー、ライターとともに、南フランスとピレネー、スペイン国境の取材を経て、ドイツへ。旧西ドイツのフランクフルトから旧東ドイツのベルリンまで、ドライヴ取材をした。このときの経験もまた、稀有すぎる。昨年訪れたドレスデン。第二次世界大戦で爆撃されたフラウエン教会(聖母教会)の再建にまつわる物語と、再生した教会を見たときの感動は、筆舌に尽くしがたい。
○アルバムに残っているわずかな写真。灰色のブランデンブルク門@ベルリン。煤けたツウィンガー宮殿&ゼンパー劇場@ドレスデン。
○1991年7月、インドが市場を開放。経済の自由化を図る。1947年8月15日の印パ分離独立以降、社会主義的経済政策を打ち立てていたインドだが、湾岸戦争やペレストロイカの影響などを受け、財政難に陥っていた。ちなみにインドは、その歴史的背景から、東欧との関わりが深い。インドのブランドと思われがちな靴メーカーのBataは、チェコ(スロバキア)の会社だ。また、バンガロール拠点のコーヒーチェーン、カフェ・コーヒーデーは、プラヤはウィーンに店舗を出している。
……といったことを、それぞれにエピソードを交えて、自己満足のためであれ、綴っておきたかったが、今日はもう無理。
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