明日、月曜の朝、急遽デリーへ飛ぶことになった。デリーに住んでいる夫の義父、ロメイシュ・パパの具合が悪いのだ。
パパは、昨年のクリスマスのころから、体調を崩していた。病院で検査を受けてのち、心臓疾患の薬を処方してもらったのだが、その直後から急激に体調を崩した。当初は薬が強すぎたための副作用かと思われたが、実は、感染症を併発していたらしい。
今年に入っても、体調が戻らず、数日前に急激に容体が悪くなり、2日前に入院した。アルヴィンドは、昨日の朝、デリーに飛んだ。心臓内科系集中治療室 (CCU)で治療を受けているパパは、輸血をされ、全身がむくみ、非常に状態が悪いと、夫は動揺していた。
本日未明の午前1時15分、夫から電話があった。パパの心臓が一時停止し、危篤状態だという。夫の激しく動揺する声に一瞬で目が覚める。ワシントンDCに住んでいたとき、我が亡父が危篤だとの電話を受けたときの、途方に暮れる気持ちが、瞬時に蘇る。何も手につかない。寝ることもできない。ただ祈ることしかできない。
「祈る」という人間の行為は、祈りを捧げる対象のためだけでなく、むしろ自分の心を鎮めるために必要なことなのだということを、今日はつくづくと、思い知らされた。
ブランケットを羽織って、夜の庭に出る。静まり返った闇夜に、煌々と満月の光が降り注いでいる。庭の仏像に手を合わせてみるも、気持ちが落ち着かない。ふと、「御百度を踏もう」と閃いた。
ゲストが我が家に来訪し、庭を案内するときなど「ここで御百度を踏めますよ〜」などと軽口を叩くのが常だったが、まさか本当に100往復することになろうとは。無論、1往復約50歩。100往復で5000歩程度だから、大した距離ではない。
100を数えるのに、先日、ダライ・ラマに御目にかかった時に触れていただいた数珠を使った。108の数珠。27個おきに赤いビーズが配されていて、つまり4分の1が確認できる。
最初の4分の1は、気持ちが高ぶったまま、どうにか助かりますようにと涙ながらに歩いた。パパは80歳。ひょっとすると、一般には「天寿を全うした」と言われる年齢かもしれない。しかし、まだまだ、天寿を全うして欲しくはない、まだもうしばらくは、生きて欲しいのだ。
普段はわたしが歩くと邪魔しにくる猫らが、異変を察知してか、遠巻きに眺めている。
次の4分の2に入ったころ、喉が渇いたので、水を飲んだ。すると、少し気持ちが落ち着いた。今度は、すでに他界しているダディマ(祖母)や我が亡父、そして40代後半で他界した夫の実母に、「パパを追い返してください」と頼みながら歩いた。
さらに疲れてきた。もう、このくらいにしておこうかなと思った矢先、夫から電話があった。
パパの心拍数が戻り、極めて危険な状態から脱したという。ほっと胸を撫で下ろすも、しかしまだまだ重篤な状態であるにはかわりない。亡父坂田泰弘がパパを追い戻してくれたのだろうと勝手に想像、感謝し、さらに歩くことにする。
最後の4分の1を歩いている時、そういえば、満月の日は、犯罪が多いだけでなく、人間の誕生と死が多いはずだと思い当たり、気になり始めた。
お百度を踏み終えて午前3時30分。部屋に戻り、調べてみたところ、やはり。満月の日の満潮時は出産が多く、干潮時は他界する人が多いという。今年最初の満月は1月11日の夜。12日のインドの干潮時は、チェンナイが午前3時48分とある。この時間帯が分岐点だと思われ、祈りつつ、夫から電話がないことに安堵して、4時ごろに寝た。
今朝のパパはまだ不安定な状況だったが、昼過ぎに、心臓の様子は安定し始めており、あとは感染症をいかに克服するかにかかっているという。この先のことは、誰にもわからない。病院の面会時間は、朝晩、わずか15分ずつ。わたしが行っても、パパに何をしてあげられるわけでもないが、今は夫や義継母のウマと一緒にいたいので、1週間、デリーに滞在することにした。
パパの個性的な「愛されキャラなエピソード」は、語るに尽きず。
これまで何度か、1月末から2月にかけての時期にバンガロールを訪れ、STUDIO MUSEにも参加した。女子に囲まれるのが大好きな、いい味出してるロメイシュ・パパ。わたしがデリーに行くと、心置きなくお酒が飲めるとあって、やたらとうれしそうに「ミホ、赤と白、どっちがいい?」と、ワインを勧めてくれるパパ。我が家に来ると、昼間からビールを所望するパパ。
パパと直接に会っての最後の会話は、11月末、我が家に滞在していた時。わたしが夫より一足先に、アムリトサルへ旅行へ出かける日。前夜、パパには「わたしは明日の朝、早く出るから、起きなくていいからね」と言っていたのだが、朝、パパが起きてきたのだ。”You woke me up”と言いながら。物音で目覚めたのだろう。
「起こしてごめんね。またね」と言ってハグをして別れたのだった。……明日、また起こしに行くからね!