ロックダウン56日目。軟禁生活58日目。ロックダウンは第4フェーズに入り、5月31日までは、基本的な行動制限が続く。68日間に亘る外出制限を終えるまで、あと10日間だ。
茫漠として心許なく、非現実的な現実の中で、潤沢に時間があるはずなのに、一日は瞬く間に流れ、奇妙な時間は重なり続ける。
日々、食べ、飲み、読み、書き、時に歌い、時に踊り、家事労働をし、猫らと戯れる。
ロックダウン下にあり、しかし幸いにも、日々の暮らしが逼迫しているわけではないわたしが発信することの一つ一つは、誰かの気持ちを逆撫でしたり、反感を得たりすることもあるだろう。
わたしがニューヨーク在住時にホームページを立ち上げたのは、2000年。同時にメールマガジンを発行し始めた。インターネットによるコミュニケーション黎明期から、諸々お世話になっている発信の場所だ。
当時、インターネットによる他者とのコミュニケーションは、とても新鮮で、メールマガジンの読者とのやりとりも、楽しいことが多かった。一方で、それまでは知り得ることのなかった「他者の闇」が明らかに見えるようになったのも事実。
匿名をいいことに、理不尽な言葉を投げつける人々。今となっては実名で、堂々と毒を吐く人もいるけれど。思っていることをはっきりいうということは、思いやりや配慮を欠いていいということではない。
毒。人間、誰もが毒を持っている。わたしとて同じだ。当たり前に悪態を尽くし、むかつくし、誰かや何かに対して、悔しさや憎らしさを感じることも多々ある。しかし多くの人は、そういう負の感情をコントロールしようと、心がけているはずで、それが「社会性」というものだ。
思ったことをそのまま口に出していたら、即、戦争に突入。我が家の日々の夫婦喧嘩状態になってしまう(←反省すべき)。
気に入らないことがあると、相手の真意もわからぬまま、時には自分の読解力のなさを棚に上げ、相手の気持ちや立場などお構いなしに、汚れた刃物のような言葉で、バサバサと斬りこむ。あたかもそれが、クールとでも言わんばかりの。
そんな大人を見て、子どもは大人に敬意を抱くだろうか。子どもは未来に希望を持てるだろうか。
こんな時代だからこそ尚更に、「毒を吐く場所」を間違ってはいけないと思う。必要情報を得ようとニュースサイトを見ても、SNSをざっと一瞥しても、そこらじゅうに毒が吐かれているのを見て思う。情報の取捨選択は益々難しい。
毒を吐きたい人は、日記を書けばいい。自分だけが読む、日記を綴ればいい。折に触れて過去の自分を見返せば、自分が他人に毒を吐けるだけの器か、それほどにもできた人間か、ということに、思いを馳せることができる。
そんなこんなを、平時以上に感じるCOVID-19世界。
今、最も大切なのは、健全な心身と、健康的な食生活。その基本がなければ、ロックダウン明けに再び訪れるであろう第二波、第三波を乗り越えられない。
わたしは、わたしにできる、楽しいと思えることを、なりふり構わず続けよう。とりあえず、ぶら下がり健康器に加え、尻トレ、は続けている。それでも身体がなまるロックダウン生活。
今日から、かつてミューズ・クリエイションのダンサーズで披露したダンスを復習しつつ、踊る時間も加えようと思う。